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子どもを無理に泣き止ませない

子どもが泣いたり、辛い時、何とかしてあげたい、泣きやませたい気持ちはわかる。
悪気は無いし、子どもを思ってのことはわかる。しかし、こちらのただ心配任せなそれは、どんなに相手の負担、害になることか。うっとおしい。。

私の子どもの母子手帳には、赤ちゃんが泣く理由に、「おむつが濡れている」と言うのがあったけど、最近の紙おむつは性能が高いので、おしっこが出たくらいで泣くことはあまりないと思う。

体の異常でもなく、それでも泣きやまない時もあるが、その時は、泣き続けている赤ちゃんを見ているのは辛いけど、あまり大きく騒がず、「私だけは何があってもついていてあげる」と、静かに抱っこして泣かせてあげればいい。

「これ以上どうしろっていうんだ!」と夜泣きする乳児を投げつけた母親を知っている。ほんと恐ろしい…

見知らぬ人に対し、特に1歳くらいの小さな子どもが大泣きするのは当たり前のこと。
特に男性は泣かれやすく、それを「自分が怖いのか、、」と落ち込んだりするのは間違いで、何も心配する必要ない。
知らない人は、信頼関係がないのだから、警戒し、不安で当然。男性女性の区別がついてきて、男性の方をより人見知りするのは、正常で大事な成長の証。
自然に人見知りのない子どもなら、それもその子の良い発達。

オロオロオロオロ、ただ心配ばかりしてれば、いっとき楽かもしれない。
しかしそれは、本当に子どものことを思ってはいない。親の「自分本位な」心配任せでなく、心配に振り回されず、誰も代わることのできない苦しみは、ただ、苦しませてあげるべき時がある。
本当に相手のことを思いやる気があるのなら、ぐっと堪えて、感情や反応を思い切り放出させてあげるべき。

親が見ているのが辛いから、親が面倒だからと、子どもをただ必死で表面的に泣き止ませようとするのは最もしてはならない。それでは子どもへの上からの押さえつけ。
子どもがどこかぶつけて泣き出した時など、「痛くない痛くない」と否定したり(痛くないのはアンタだ!)、「強い強い!泣かない!」「うるさい!みんな見てるよ!笑われるよ!」「こんなことぐらいでなんて恥ずかしい!弱虫だ」など、羞恥心に訴えて抑圧するのは最低だ。
痛くて当たり前、悲しくて当たり前、苦しくて当たり前なことは、泣くぐらい許すべきだろう

誰も代わってあげることのできない、自分で引き受けるしかないものを、子どもも親も、そうやって解っていくべき

辛さの根本的な解決ができないのなら、苦しむことを内に閉じ込めさせず、思い切り解放させるのが子どものためである。

そして、それが一番、泣き止むことが早く、辛さから解放され、周りも早くほっとできるんだ。
周りから無理に押さえつけられ、子どもの抑え込んだ苦しみは、消えることなく、その後も子どもの中で腐ってますます悪化するんだ。
むしゃくしゃする、イライラは強いのに、本人もわけがわからず自覚できなくなるだけに、タチが悪い。。

しかし、いつでも子どもの感情を、周囲への配慮なく出させればいいというのは違う。
子どもが大声で泣き出しては迷惑になるような場所なら、移動させるなど、周りにも迷惑にならず、子供も安心できる場所にしてあげるべき。

電車の中などで、いい年をして、我が物顔で平気で大声で騒ぐなんてのは、「人目ばかり気にして抑圧の強い人間ほど、周りへの配慮、他人への思いやりがなく、自分のことしか頭にない」例だろう。

こういうのが諸悪の根源だと思うけど、どう対策、改善、指摘したらいいのか、あまりにも「普通」で、「些細」で、蔓延し過ぎていて。。。
警察で捕まえることもできない、法律で取り締まり罰することもできない。

でも、「理由なき反抗」の映画で、序盤に「また親に恥をかかせる気?」と言った主人公の母親が、「ニュースではよくこんなことが起きるけど、まさか自分の子に…」と言う結末になるように、事件にまで発展するものを生み出す可能性の問題だと思う。

完璧な人間も親もいるわけない。
私は、「親とは大恩ある立派なものだから、ありがたい親によく従って、感謝して親孝行しなければならない」という考えを持たない。

親になるのは、性行為の結果なんだから、偉いことでもほめられたもんでもないことは、みんな本当はよくわかっているはずだ。

石原裕次郎の「陽のあたる坂道」という映画でも、「父さん、子供は暴力でも人工受精でもできるんだよ」という台詞があったと思う。

「男なんか、父親になるのにいっこも痛い思いもせず、ただイイ思いしただけじゃねーか!どこが偉いもんか」というのが本音の人も多いだろう。

「親に向かって何だ!誰が食わしてやってると思ってんだ!」という言葉で、自覚はなくとも子どもを支配しようとする親は、「じゃあちゃんと避妊すれば良かっただろ?テメーの責任だろーが!こっちだって、こんなクソみたいな世界に生まれたくなんかなかったのに」と言われる荒んだ展開になっても仕方ない。子どもが言っていることは正しい。

母親は、確かに出産で大変な思いをする。でも、母親が一方的に苦しむのでなく、覚えていないだけで、子どももまた、出産の時に苦しんで、同じように大変な思いをして生まれてくることがわかってきている。あんなにも泣きながら生まれるしね。

「大変な思いをして産んでくれた母親に感謝」という思いが、子どもの中に自然にあるなら、とても素晴らしいことだけど、「あなたもまた、大変な思いをして生まれてきてくれたのよ、ありがとう」ということも、もっと広まるといいなと思う。

妊娠中、つわりがひどくて、「この子がいるせいで、こんなに苦しめられている」と言った人がいて、驚いたことがある。生まれてからも、「戦争のようだ」と言っていた。

私も本当につわりが苦しかったけど、母体がこんな状態じゃ、胎内環境がいいわけないし、お腹の子も苦しいだろうと可哀想だった。子どものせいで苦しめられているという発想はなかった。

親が多く集まる場で、子どもの愚痴はつきものだけど、「養殖のハマチじゃあるまいし、子どもは後で太らせて食うためか?…なんてゲスい下心なんだ」と吐き気がすることがある。

親というものを、変に美化することはないと思う。
残念ながら、子どもを虐待したり、殺す親も現実にいる。

素直な気持ちで、親が好きなら、とても素晴らしい、幸せなこと。
血のつながりがなくても、自分を愛してくれたと思う人がいれば、法律はともかく、心の上では確かに親だし、そういう「親」は、絶対的な上下関係や、親孝行、恩返ししろとは言わないはずだ。
そして、この世界で自分が好きだと思った人を、友達だと思えばいい。相手がどう思おうが、過去の人だろうが、人間でなかろうが、そういう存在に出会えたことって、素晴らしい。

未来戦隊タイムレンジャーの「小さな故郷」という回で、「ふるさとに、きまりなんてない」という好きな言葉がある。
生まれ故郷を持たないシオンは、自分が守った場所を故郷にして、小さな木を植える。

こうやって、この世界に好きな場所、好きな人をつくっていくことが、自立なんだと思う。

画像は、うちにしばらくあった、タイムレンジャーのブイレックス。こういう男子なおもちゃは、固いし痛いけど、いろいろ変身したり、仕掛けがたくさんあって面白い。
ブイレックスの相方(?)、滝沢直人が、タイムレンジャーで一番好きな人物だった。
滝沢直人の俳優の笠原紳司さん、今の仮面ライダーに出演されてるけど、相変わらず、目から血ィ吹きそうな熱演ぶり!


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