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青い鳥

 Twitterの話である。

ここ数日「児童の性的搾取」を禁じるTwitterのポリシーが話題になっている。それを見る限り対照が実在か非実在かは関係なく禁止されているようだし、「児童の性的搾取を妄想したり、そうした行為を助長する」ことも違反とされるようだ。「妄想」まで禁止と言うのは内面の自由にかかわることだという声も見られたが、(実際に規制できるのは表出したもののみとはいえ)そういった妄想をする人にTwitterを使ってほしくないというお気持ちの表れかもしれない。

 何が「児童の性的搾取」に該当するのか判断するのはTwitter社なので、その恣意性は懸念されるところではある。Twitter社の本社はアメリカにあり、どうもアカウントの凍結等は本社で行われているようなので(Twitter Japanがあるにもかかわらず)、その基準もアメリカのものが適応されると考えてよいだろう。そうなると、実際の「児童」「未成年」のみならず「アメリカ基準でそう見えるもの」も対象になるだろうし、日本の感覚とのズレが問題になることもありそうだ。

 アメリカにも表現の自由はあるわけであり、実在人物に被害を及ぼしていない(全ての表現は誰かを傷つけかねないので被害と言えば全て被害なのだが)ものを禁じるのは表現の自由の侵害だ、こういう話はできると思う。ただし、Twitterも一私企業であり、客を選ぶ権利はある。

 問題なのは、半ば社会インフラと化しているSNSやWebサービスは私企業によって運営されているということだ。例えばTwitter、Facebook、Instagram、YouTube、さらにはGoogleだって公的機関ではなく利益を追求する私企業である(もちろんこのnoteだってそうだ)。彼らは国家の法律に違反する自由を認めることはできないが、反対に法律で禁じられていないことでもポリシーや規約として客や利用者に求めることができる。カフェやレストランが運営側の方針に合わない、あるいは他の客の迷惑になると判断した客を利用禁止にするのと同じような話だ。

 我々は現状巨大な私企業に生活の一部を支配されていると言っても過言ではないだろう。先ほどカフェやレストランの話を出したが、これらとTwitterなどが異なるのは他の選択肢がどれほどあるかだ。他のカフェやレストランはたくさんあるだろうが、Twitterなど先ほど挙げた大企業のポリシーと合わなくなった人が他に行く同規模の場というのはそうそうあるわけではない。競合他社がたくさんある状況ならできるだけ多く客を囲い込む必要も生じるが、市場が寡占状態であれば「嫌ならよそに行け」という態度もとりやすくなる(しかも今回取り上げたポリシーは歓迎する人も多いだろうし何より「正しい」ので客を失う損失を補うだけのメリットすら見込める)。

 今後我々は国家の法律とはまた別に、ITインフラとなった私企業の定めるポリシーに生活や行動を規定されることになりかねない。それは民主主義ではないし、内政干渉・文化の破壊へとつながるかもしれない。企業ポリシーは基本的に善意で定められているのだろうが、彼ら(しかも外国企業も多い)が勝手に定めたことがそのまま生活に影響する事態は、良いとは言えないだろう。

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