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巻き添え

 先日梅田の商業施設で男子高校生が屋上から飛び降り自殺を図り死亡、その下にいた女子大生が巻き添えとなって意識不明の重体と報道されていたが、亡くなられたようだ。買い物をしていたら突然上から人が降ってきて死ぬなど、誰にも全く想像できなかっただろう。

 ビルの(特に繁華街の、下をたくさんの人が行きかうようなところの)屋上にそんな簡単に入れるものかと思ったのだが、どうもドアにつけられていたカバーを破壊して入ったようで、警報が鳴ってすぐ警備員が駆け付けたが時すでに遅かったらしい。飛び降りた彼がなぜそのビルを決行の地に選んだのかは気になるところではあるが、おそらくそれを我々が知ることはないだろう。

 それにしてもかわいそうとしか言いようがないのは巻き添えになった女子大生のほうである。世の中では様々な事故や事件があって、予期しない死ともありふれたものではあるのだが、飛び降り自殺の巻き添えになって死ぬというのは、残された家族や友人たちにとっては無念で仕方ないと思う。

 ただ、この事件に対しては、「死ぬなら他人を巻き込むな」という意見が見られ、自分も巻き込まれたくはないしもっともだとは思うのだが、飛び降りた彼のほうもそれなりの事情があったのだとは思うし、社会で苦しんだ人に「一人で死ね」というのも冷たいような気がしなくもない。

「死にたい人が一人で死ぬ」ために一番確実なのは、安楽死を制度化して認めることであろう。現状では自死は可能であるとはいえ、そのハードルは苦しんでいる人にも高いものがあるし、誰かに手伝ってもらうということも、その人が罪に問われてしまうため容易ではない。安楽死が誰にでも認められていれば、飛び降りや電車への飛び込みなど他人に迷惑のかかる方法を選ぶことも、よほどその方法にこだわりがあるとか衝動的なものであるとかでない限りは、随分減らせるのではないだろうか。

 今は苦しいときにどこかに相談すると言っても、「いのちを守る」というのが前提になっており、そういう「縛り」を嫌って相談をしない人もいるだろう。積極的に死を勧めはしないけど、死ぬのも選択肢の一つとして認めてくれるような相談先があれば、受け入れの幅も広がるし、無理やり死のうとして他人が巻き込まれることも減るのではと思う。

 もちろん安楽死があるせいで他人に迷惑をかけてから死のうと考える人が出てこないとも限らない。ただ安楽死があろうとなかろうとそういう自暴自棄になって事件を起こす人間はいるし、問題は安楽死ではなくその人をそういう状況に追い込んでしまった社会の中にある。

 それにしても突然上から人が降ってきて死んだり大けがをしたりする可能性があるのは怖いなあと思う。もっともそんな可能性はほとんどゼロだし、交通事故に遭う可能性のほうがよっぽど高いのだが。

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