それは私のなのに?

先日、息子が昨年のクラスメイトと揉めて、歯を食いしばりながら公園から帰宅した。

最初は何を聞いても答えてくれなかったが、落ち着いた後、ぽつぽつと話し出してくれた。


息子は今、リップスティックというものに夢中だ。

スケボーのようだけれど板の部分は瓢箪様でタイヤが2つしかない。

スケボー少年だったのだが、友達に借りたことからハマり、つい先日、新型コロナウイルスで滞っていた(業界の方々お疲れ様です。感謝しています!)流通を乗り越え、待ちに待った自分のリップスティックが届いたのだ。


嬉しくて公園で毎日遊んでいたのだが、公園で出会った前述の子と、揉めた。



相手の子(Aくん)にリップスティックを貸してほしいと言われたらしいが、息子はそれを断った。

「なんでだよ!?」と理由を問われた息子は

「まだ届いたばかりで新しいから、今はまだ誰かに貸したくないんだ」と伝えた。

すると相手の子が

「お前はいつでも使えるんだから、今は俺に貸せよ!」と言ったとのこと。


ハハーン。

きっとそうやって親に言われてきたんだろうなぁ。

「Aくんはいつでも遊べるでしょ!ほら、貸してあげなさい!」

ってやつ。

私はあれが好きではない。

自分がやりたくて、やっと自分のものが届いたのに、なぜ?我慢して貸すために買ってもらったんじゃない、って思うよね?

私は息子にそう言って育ててこなかった。

自分のものなのに、貸すために我慢する意味がわからない。

「自分が楽しく遊んで、そのときに貸してあげられるのなら貸してあげなさい。でも、我慢してまで貸す必要はない。貸すときはルールを決めて使おうね。そして、今まで貸してくれていた子が貸してほしいといったときには、お礼も兼ねて貸しなさいね。」

そう伝えた。

でも、そのせいで息子は歯を食いしばり、帰宅したのだ。

「貸せないなら持ってくるなよ。」と言われ。

「そんなこと言われたら帰りたくなるよ。」ともらしたら

「帰ればいいじゃん」と連呼され、肩口を押され。


それでも私はこどもが自分のもので遊ぶのを我慢することなんて美徳にしたくない。

必要な我慢と不必要な我慢って、ある。

不必要な我慢は自分のことや周りのことを嫌いにしてしまう気がする。

なので、「その考え方のままでいい。ただ、その子のことを嫌いになるのは仕方がないけれど、周りを巻き込まないように。あいつムカつくよね、とかAくんを他の子が嫌うよう誘う言葉は言っちゃだめ。距離を置けばいいよ。」と伝えた。


その日の夜、担任の先生に伝えてほしいと言われたので連絡帳ではなく便箋に手紙を書いた。

息子にも読ませた。

それは連絡帳に挟んだのだが、朝見ると、机の上においてあった。

息子は「まずは自分で距離を置くことにする。それでもしつこかったら、その時先生に手紙を渡したい。」と言った。




子供の頃に教わることの中には、案外「大人のため」に「子供に強いる」ことがある。

私も未だに朝は急かしてしまうし、忘れ物にもうるさい。寛容になれない母ちゃんである。

猛省。

でも、子どもたちが大人になったとき、「子供を不幸にする大人の都合」を少しでも押し付けないようになっていてほしいなぁと思う。



余談だけれど、息子は一年生の最初もAくんに泣かされて登校を渋った。

しかし、それから先生のヘルプや夫婦で無理をさせなかったこと、更にはAくんが思いの外しつこかったこと(笑)等のおかげで、息子はとても強くなった。

昨年のクラスのみんながAくん含む強い男子にルールを捻じ曲げられても逆らうことを諦めていた時、一人で泣いて食ってかかるくらいには強くなった。(これはたまたま娘の登校しぶりに3ヶ月付き添っていた間に何度か見てしまった)

そこだけは、Aくんに感謝しているところだ。


強くなったなぁ。

母子分離できなくてハゲ上がりそうに悩んでいた日々が懐かしい。

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