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48: 「問題」に対する2つのアプローチ - 和尚「サラハの歌」より



今回は、引用がかなり長くなってしまいました💦


今回の引用は『問題』についての「2つのアプローチ」についてです。


話の中から一部を抜き出しているのでわかりにくいと思いますが、これでもかなり長い引用になってしまったのでこのくらいにしておきます。


ここで話される内容は、『カルマの法則』として知られる考えと対極に位置するのかもしません。


どんな過去があろうと、今この瞬間に離れることができる...こんな感じでしょうか?


■『第6話 私は破壊者』より ( P.244 ~ P.251 )


サラハの歌-タントラ・ヴィジョン <1>
OSHO (著)
スワミ・プレム ビシュダ (翻訳)


二番目の質問──。
あなたは最近のいくつかの講話で、私たちの問題は問題などではなく、実体がないということを話されました。
抑圧的なカトリックの家庭で育てられ、同じくらい狂った教育システムの中で二一年間を過ごしたとしても、あなたはこのようにおっしゃるつもりですか? すべての鎧(よろい)の層、すべての条件づけ、すべての抑圧は存在しない。 即座に、いま落とすことができると?
脳や肉体の筋組織に刻印(インプリント)の全てはどうなるというのですか?
これはきわめて意義深い質問だ。 質問はジャヤナンダからだ。 この質問が意義深いのは、それが人間の内なるリアリティに関しての、二つの異なったアプローチを示しているからだ。
西洋的なアプローチは、問題について考えること、問題の原因を見出すことだ。 それは問題の歴史、その過去に入ってゆくことであり、そもそもの始まりから問題を根絶しようとすることだ。 心の条件づけをはずすこと、あるいは心を条件づけしなおすこと、体を条件づけしなおすこと、脳に残されたその刻印のすべてを除去することだ。 これが西洋的なアプローチだ。 精神分析は記憶へと入ってゆき、そこで作業する。 それは幼年期に入ってゆく。過去に入ってゆく。 それは逆行してゆく。 その問題がどこで生じたのかを見出そうとする。 その問題は、あなたが子供だった50年前、母親との関係で生じたのかもしれない。 そのようにして精神分析は逆行してゆく。50年の歴史! それは非常に長びくし、なかなかはかどらないものになる。 そしてそうなったときでさえ、たいした役にはたたない。 問題は無数に存在するからだ。 それはひとつの問題だけのことではない。 ひとつの問題は除去できるかもしれない。 だが問題は無数に存在する。 もしそれぞれの問題に入ってゆこうとするなら、一生にわたる問題を解決しようとするなら、何百万もの生が必要になる。 くり返させてほしい。 一生にわたる問題を解決するためには、あなたは何度も何度も、何百万回も生まれ変わらなくてはならない。 これはほとんど実際的ではない。 これは不可能だ。 そして、この一生の問題を解決しようとしている時の何百万もの生のすべて、それらの生がそれ自体の問題を作りだし……といった具合だ。 あなたはますます問題に引きずりこまれる。 これはばかげている!
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東洋には全面的に異なる展望がある。 第一に、それはどんな問題も深刻ではないと言う。 どんな問題も深刻ではないと言う瞬間に、問題はほぼ99パーセント死んでいる。 それにたいするヴィジョン全体が変化する。 東洋の言う第二のことは、問題が存在するのは、あなたがそれと自己同化しているのが原因だということだ。 それは過去とはなんの関係もない。 歴史とはなんの関係もない。 あなたがそれと同化してしまっている。 それが真の問題だ。 そしてそれが、あらゆる問題を解く鍵だ。
たとえば、あなたが怒りっぽい人だとする。 精神分析家をたずねたとしたら、彼はこう言うだろう。「過去に入ってゆきなさい。 この怒りはどのようにして生じたのか? どのような状況で、それがあなたの心にさらに条件づけられ、刻印されていったのか? 私たちはこれらの刻印のすべてを洗い落とさなくてはならないでしょう。 それらをぬぐいとらねばなりません。 あなたの過去を完全にきれいにしなくてはなりません。
東洋の神秘化をたずねたとしたら、彼はこう言うだろう。 「あなたは自分が怒りだと思っている。 怒りとひとつだと感じている。 ものごとがおかしくなるのは、そこのところだ。 今度怒りが起こったら、ただ観察者でいなさい。 ただの目撃者でいるのだ。 怒りと同化してはならない。 ”私は怒りだ”といわないこと。 ”私は怒っている”と言わないことだ。 まるでそれがテレビの画面で起こっているかのように、ただそれが起こっているのを見つめなさい。 まるで誰かほかの人を見ているかのように、自分自身を見つめなさい」
あなたは純粋な意識だ。 怒りの雲があなたのまわりにやってくるとき、ただそれを見つめなさい。 そしてそれと同化しないように油断しないでいなさい。 ことの全体は、いかにして問題と同化しないかということだ。 ひとたびそれを身につければ……。 そしてそのときには、”数多くの問題”などというものは存在しなくなる。 その鍵が、その同じ鍵が、あらゆる鍵をあけるからだ。 怒りも、貪欲も、セックスも同じだ。 心に可能な他のすべてのことも同じだ。
東洋はただ、非同化にちどまるようにと言う。 覚えていること──それこそグルジェフが「自己想起selfremembering」と言うときに意味しているものだ。 自分が目撃者であることを覚えていなさい! 留意するのだ! それが仏陀の言っていることだ。 雲が通り過ぎようとしていることに目を見張っていなさい! その雲は過去から生じているかもしれない。 だがそんなことは無意味だ。 それにはある過去があるに違いない。 ただだしぬけに生じることはありえない。 それはある出来事の連続から生じるに違いない。 だがそんなことは関係ない。 なぜそんなことを気にかける? いまのいま、まさにこの瞬間、あなたはそれから離れていることができる。 自分はそれから切り離すことができる。 橋はまさにいま破壊することができる。 そしてそれが破壊されうるのは、いまにおいてだけだ。
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