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秋田犬ももこ 4匹の猫と不登校の娘-2

 (ここまでのお話はこちら💁‍♀️)

5 出会いはカオス

 元々、そんなに犬に好かれる私じゃない。
 そう思い始めたとき、北桃姫(ほくとひめ)ちゃんの方から私に寄り添ってくれた。この瞬間に、それまでやや冷静さを取り戻そうとしていた私だったのだが、一気になにかが頭の中で弾け飛んだ。
 ビッグバンである。
『絶対にこの子、うちの子だから!』
 そう思ってしまった。
 経済的にとか、散歩がとか、家の狭さがとか、そのあたりのことは一気に消し飛んだ。ふとみれば娘は私よりもテキパキとO夫妻とすでにうちの子にする前提で話をしている始末。唯一、猫が……と気になったのだが、
「うちの皐月も猫とうまーくやってるから」
 ひーさんの一言で、ちりのように吹っ飛んだ。

考えるべきことが吹っ飛んでる私と、北桃姫。

 あれよあれよと言うまに、私の小さなFIAT500には後部座席をフラットにするための板がO夫妻によって敷かれ秋田犬用ではなく柴犬用のしかサイズ的に入らないが、まあ小柄だから入る、とケージが置かれていった。
 そもそも車高があるんだからどうやって本犬を乗せるんだろうと心配になったが、ちら、と見ると、まだ出発しないの、とでも言うようにあっさりと飛び乗ってケージに座っていた。

ちんまり。気がついたら素直に乗ってた。

 準備万端、いつも食べていたと言うフードを買わせていただき、器やその日のフードやトッピング、使っていた運動ひも、おまけに道中食べなさいと私たちにおにぎりまで頂いて至れり尽くせりな状態で車は出発したのだった。
 イマイチ頭の中は冷静さを欠いていたが、笑顔で送り出していただき困ったらいつでも連絡していい、と言われたことでなんだか大丈夫なような気がして気分は高揚していた。

 えらいことになったかも。
 岡山から山口に向かう道中、確かなんどか冷静さを取り戻してそう思った気がするが、車内は99%興奮状態だった。
「犬だよ、お母さん、天然記念物だよ!」
「秋田犬がマルコ(うちの車)に乗ってるよ!」
「名前どうしよう、名前! 女の子だよ、かわいいのがいいよねえ!」
「北桃姫、でもう桃ちゃんて呼ばれてるから、桃ちゃんでいいんじゃないかな。桃香とか、桃子とか」
「そっか、どっちにしろ桃ちゃん! ねえお母さん、座ってる〜、お行儀よく座ってるよ〜」 
 そして桃ちゃんが座った、立った、目を開けた、目を閉じた、それだけで大興奮である。そうして楽しい道中は3時間以上かけて山口の我が家へ到着したのだが、ここにきてようやく私は思い出した。

 どうやって、猫たちに会わせずに部屋に入れるんだろう。

 玄関は1つ。猫たちは自由にどこでも出入りができる。今はあるが、この時点ではゲートやケージ、サークルといったものは一切、ない。
 ここまで犬を迎えるのに全く準備をしていない人はいないだろうが、これから迎える人は絶対に準備をしたほうがいいと心からお勧めする。
 玄関を入ると、猫の脱走防止に内ドアがある。なので、玄関まではまず大丈夫。問題は、そこからだ。元野良で警戒心がある、のん理事長とこばん園長はおそらく犬の匂いだけで逃げるだろう。同じく元野良だが好奇心が強すぎる小梅がチョロチョロと動き回る可能性が高くて要注意だが、最も危険なのはブリーダー→ペットショップ(売れ残り)→我が家という全く外界を知らず恐れを知らない好奇心の塊スコ、もなか社長だ。
 なにしろもなか社長は初対面の相手でもなんでも、とにかく正面から顔面パンチを喰らわす。喧嘩を売らせたらトップセールスマンに違いない猫なのだ。その、気だけは強い社長が、見知らぬ巨大な来訪者になにもしないわけがない。
 もなかパンチは大して痛くもないが、桃ちゃんの逆鱗に触れてしまったらえらいことになる。秋田犬vsスコティッシュフォールドなんて、考えなくても無理がありすぎる。
 関係性もなにも、相手の存在に慣れてすらいない時点でそれだけは避けたい。

 疲労困憊の頭をひねくり倒して考えた策は、ひとまず玄関に全員が入り娘が先に室内へ、そしてもなか社長を2階に誘導するというものだった。んが。
 ことは計画通りには進まないもの。人間と桃ちゃんが玄関に入りドアを閉じ、娘がもなかを誘導するのを見届けて、もう誰もいないだろうと私が桃ちゃんを連れて部屋に入ったときだった。誘導されていったはずのもなか社長、そして猫3匹が揃いも揃って全猫リビングに集合のち、突然現れた巨大な犬を前にフリーズ状態になっていた。

 あの時の4ニャンの顔は、おそらく一生忘れられないと思う。
 びっくりを絵に描いたような、正真正銘のびっくり顔だった。
 そして私に連れられて長旅ののちに家に入ってきた桃ちゃんも、同じくびっくりしていたのだろう。その場ででっかいうん○をボトボトッ、と落とし、それを合図に我に返ったビビリ番長こばんがシャーシャー言いはじめ、小梅とのんが走って逃げ、好奇心を全面に押し出したもなか社長がグイグイうん○を入管検査しようと迫ってきたのだから、桃ちゃんもびっくりで後ろに下がろうとしてドアにお尻が当たり、またびっくり跳ねるわ、私はうん○からもなか社長を遠ざけようと娘を呼ぶが娘はうん○の始末が先だとビニール袋を取りに行き、その間に再びもなかが……
 軽くいって、カオスである。
 かい摘むと、とりあえずうん○を片付けて人間たちは桃ちゃんを連れて夜の散歩へと出た。よく考えなくても、長旅でおしっこをしてないのだし、クールダウンするにもちょうどよかった。

 見上げたらもう星空で、寒いけれど何故か楽しくて、娘がコロコロとよく笑った。
「星がー、すごいね」

 これが私たち親子とももちゃんの最初の散歩だった。

「すごい、桃ちゃんおっきいね、やっぱり」
「おっきいけど、優しいよ。桃ちゃんさっき、もなかに怒らなかった。もーちゃん(もなか)がうん○クンクンしたのに」
「そうだね、やさしいね。外暗いけど、大丈夫?」
「桃ちゃんがいれば、なんかさ、怖くないよ」

 そしてそれは同時に、娘が怖がらずに家の外を歩けた、数ヶ月ぶりのことだった。

6 病院、それは鬼門

 桃ちゃんにとって我が家にきて最初の夜は、たぶんとんでもないもんだっただろう。
 それまで絶対にしたことがなかったという室内でのうん○と、自分より小さくてちょろちょろ動く猫たちに威嚇され、さらにそのうちの1匹はこともあろうか落下したうん○に向かってきたのだ。
 えらいところへきてしまった。そう思って当然である。
 だが桃ちゃんにとっての苦難は、そこから始まった。寝床となるケージすら用意していなかった人間が翌日、なんとかホームセンターでそれらしきものを買ってきたのだが、なんだか小さい。
 小さい上に、屋根がない。そこで人間は何を考えたかコタツ天板を外して乗っけてきたのだが、今度は頭がつかえるし全体を覆うには小さすぎる。
 だめだこりゃ。
 桃ちゃんはこの辺りできっと、この人間はどうやらだいぶ抜けていると思ったのだと推測する。なにもわかっちゃいない。わたしがしっかりしてやらねば、きっとろくなことにならない。
 おそらく、賢い桃ちゃんはこんなふうに諦めたのだろうと思う。
 それくらい、我々の受け入れ態勢は無に等しかった。
 ただご飯と散歩だけは、O夫妻から教えられていたから初日も、次の日も、なんとか提供することができた。
 ところが、二日目の夕方くらいからだろうか。人間の方でなんだかおかしいことに気がついた。
 
 くさい。
 どうにも、獣臭いとか犬臭いとかじゃない臭さがある。
 桃ちゃんの体からは匂わないが、どうも甘えてきたときに特に強烈に匂う。
 猫と暮らして数十年の経験から、大体なんか異様に匂うときはなにか異常があるとわけで、どのみち健康診断も必要だしワクチンやらの話も聞かねばならぬしで早速ながら獣医さんのところへと向かった。
 それが三日目だったのだが、ここで思わぬ事態に陥った。
 車を降りた途端、桃ちゃんはパニックに陥った。
 一度も来たはずのない場所なのに、絶対にドアには近づいてくれない。
 連れて行きたいのに、断固拒否の姿勢でジリジリと道路側へ下がってゆく。
 四苦八苦していると、いつも猫たちを診てもらう女の先生が出てこられた。
 動物のプロだ、助かった、と思ったのだが……なぜか桃ちゃんが落ち着かない。
 落ち着かないどころか、よりパニックになっている。
 そしてなんとかクリニックへと思う私に言われた言葉に、私は返す言葉がなかった。

「その犬、戻せないんですか。猫がかわいそう」
「秋田犬って凶暴なんですよ。猫が襲われることもある」
 
 その時点までひーさん夫妻、O夫妻、さらには猫たちとの初対面カオスまで含めて、我が家に桃ちゃんがいることに対してネガティブな意見がなかったから、この言葉は本当に深く刺さった。
 猫がかわいそう、4匹もいるのに。
 そう言われて、おまけにクリニックに入ることを拒否する桃ちゃんの運動紐を「危険なのでハーネスに変えて」と言われ、この状態では診察ができないとのことで致し方なく帰宅した。特に嫌なこともされずにジャーキーをもらっただけの桃ちゃんは満更でもなさげだったが、これではなんの解決もしていない。
 
 あかん、と言われたので今度はハーネスを買いにペット用品の店とホームセンターを梯子したが、近隣には桃ちゃんサイズがない。自宅からはやや遠いがそこそこ品揃えのある店でようやく、ギリギリ入るサイズを見つけた。
 そうして桃ちゃんの買い物をしながら、頭の芯で浴びたままの冷水が深々と冷えているなと感じていた。
 うちはいわゆる母子家庭で、すでに猫が4匹。その中には高齢の、のんちゃんと先天性の異常が出る可能性が高いスコ、もなか社長がいる。医療保険はあるけれど、完璧じゃない。娘も来年は中学生で、さらに出費が嵩むだろう。
 どう考えても、当たり前に考えれば里親に相応しい家庭じゃない。
 冷静になった頭に、だんだんと様々な問題がもたげてきた。
 あの先生が言う事は、間違ってない。至極当たり前のことを言っただけだ。
 既に一緒に暮らしている子たちのことを最優先に考える、それも当たり前だ。
 
 そんなことはわかっている。
 半日くらい考えながら、すぐにまた今度はハーネスをつけて病院へと向かった。兎にも角にも、この匂いの原因と健康診断だ。先の事は現時点でなんの結論も出ないけれど、せっかく縁あって私のところへ来た以上は必要なことをしてあげたい。せめて、診断だけでも。
 そして向かったクリニックで出てきてくれたのが、今も診てもらっているI先生だった。

「秋田犬だ、かわいいねえ! あー病院は怖いかぁ、大丈夫大丈夫、抱っこで行こっか」

 かわいいと言われた桃ちゃん、I先生が若くて優しそうな男の先生だからなのか、とっても何やら嬉しそうに抱っこされて連行されていった。前回の反応とはえらい違いだった。桃ちゃん若いイケメン好き、決定である。

 そしてやっとの診察。
 体重は22.5kg、やや痩せ型。そして、マラセチアの外耳炎。
 それが、桃ちゃんの健康状態だった。

 マラセチアは、カビだ。聞けば桃ちゃんはおそらく小さい頃に外耳炎ができて、足で引っ掻いたりしているうちに治ったり再発したりを繰り返したらしく、傷跡が重なり耳の穴がとても狭くなっているという。
 そこに秋田犬特有のもふもふの耳毛のせいで、通気性が悪くてどこにでもいるカビが繁殖しやすいのだという。そして独特の臭気を発する。

 原因がわかった、だが試練はここからだった。

「んじゃ、桃ちゃんお掃除しよっか〜」

 やさしいイケメンI先生は大好きなのだろうが、こんな耳掃除は生まれて初めての桃ちゃん。優しげでもI先生、全く容赦はしない。
 がっつり奥の方まで徹底的に、である。
 『なんてことするの、いいかんじのおにいさんだとおもったのにひどいひどい』 多分、人間語にしたらこんな感じだったと思う。
 ずっとぶるぶる震えていた桃ちゃんは、鳴きもせずに頑張ったけれど、この一件でI先生=耳掃除=好きだけど大嫌い、になってしまった。

 そして、この治療は一回では終わらないのである。
 

7 お姉ちゃんと、ももこ

 娘が受けたいじめと、不登校になった経緯は以前ここに書いたとおり。そして桃ちゃんと一緒なら外を歩ける、と娘が言ったのも事実。なのだけれど……ここで安心しては子供の親は務まらない。

 子供とは、面倒になる生き物である。喉元過ぎればとか、そんな生やさしいもんじゃない。瞬時に気が変わる。
 そして犬を迎える上で面倒になりがちなこと、それは散歩であろう。
 当初、O夫妻の犬舎で娘が桃ちゃんと暮らしたいと言った時に、私はO夫妻およびひーさん夫妻、桃ちゃん、ならびにそこにいたすべての犬たちに聞こえるように「まいにち散歩に行くって約束できる?」と問い「できる! 約束する! 雨の日もいく!」という非常に元気な確約を取り付けていたのだ。
 なぜなら、そこに彼女がここまで繰り返してきた歴史があると思っていただければありがたい。
 約束した娘は、自宅のリビングに存在している大きな存在を前に、さすがに今回ばかりはちゃんとやろうと思ったらしい。引きこもりだったのが信じられないくらいに春休みの間も朝6時に起きて、桃ちゃんと私と三人で歩いた。
 非常に良かった。
 2週間ほどは。
 案の定、という感じだが「絶対に」「約束する」は2週間しか持たなかった。実はこのころまだ桃ちゃんはトライアル中という状態で、猫を含む我が家との相性も併せて本当に一緒に暮らしていけるのかを慎重に見るべき期間だった。
 その間に実は、えらく大変な日々が始まってしまったのだが、それは娘の転校先にある。校区が違っても教育委員会が認めれば転校ができると以前に書いたが、娘の場合はいじめによる不登校とPTSDの診断がセットで可能になった。
 その場合、受け入れてくれる学校はいくつか市内にあり、いずれも車だけで30分はかかる場所にある。朝の通勤時間帯を考えると、片道だけで4,50分ほどにはなるだろう。
 その時間を逆算して桃ちゃんの散歩時間を確保すると、必然的に起床時間は5時となる。もう体も大きい娘が慣れて桃ちゃんと散歩をしてくれれば、朝の支度などかなり助かりあと30分は寝られるかな、というのが見通しだったのだがわずか2週間で桃ちゃんの散歩、朝の支度、送迎、自分の通勤などを非常に限られた時間内でこなさねばならなくなった。

 なにごとも思惑通りにはいかないものである。
 
 慣れるまでは本当にきつかったし、今でもきつい。何よりガソリン代の値上げが最もきつい。さらに迎えの時間のために仕事を中断せざるを得ないし、翌朝も早いから夜に執筆などもできなくなった。
 それまでは運動もせず、一日で歩いた歩数がもしかしなくても100歩とかの車ありきな生活だったから、非常に体力的に厳しくいつも眠かった
 救いは、娘が楽しそうに学校へ行き始めたこと。
 半年前には想像することもできなかった姿がそこにあって、帰りにはその日あった楽しい出来事を話してくれる。クラスの男の子たちと遊んだ、とか女の子とこんなおしゃべりをした、とか。
 この転校先になった学校のことはまたいずれ詳しく書きたいと思うが、本当に本当に暖かくて、学校というのは子供らの成長を受け止め育む場所なんだなと思わせてくれた。
 そして機嫌よく帰って、ランドセルを部屋の床に放り投げ始めた。
 この姿こそ、待ち望んでいた姿だった。
 四月になってすぐの頃。
 ランドセルにかけるカバーを、転校することだし新学年になるのだから買おうと考えていたのに、娘はいらないと言い張った。

「なんで。かわいいのあるよ、選べるよ」
「いらない。ここから卒業までで6年分を汚しまくるから、いらない」

 私はこの子のランドセルについて、特に何も言わなかった。汚して壊しているなら何か小言を言うかもしれないが、娘のは新一年生のものと言っても通用するレベルにきれいだった。だから、この言葉にはドキリとした。

「へえ。汚すの? 6年分?」
「うん、こっちの学校で小学校の6年分を楽しむ!」

 そう言い切った娘は、新しい学校で文字通りに弾け始めた。
 男の子たちがふざけて騒いでいたので、自分も加わったり。
 大きな声をあげて遊んだり、走って学んで、先生とのやりとりも本当に楽しそうに、小学生活を凝縮したような1年間を楽しみ始めていた。

 そして、私たち親子にはしばらく存在していなかったごく普通の会話が戻ってきていた。それは、桃ちゃんの病院だったり、ブラッシングだったり、猫たちとのことだったり、もう少し深い話だったりした。

 例えば……

 早朝散歩は主に星空散歩なので、ほぼ他の犬には会わない。
 桃ちゃんが公園を大爆走しても、全く問題なし。
 けれど、夕方の散歩は他の散歩中の犬さんに出会う。そして新入りの登竜門なのだろう、どの犬にあって吠えられるか威嚇されるか警戒されるか、となる。
 特に小型犬にはめちゃくちゃ吠えられる。これは最初からそうで、今でも変わらない。
 その吠えられる桃ちゃんだが、うちに来た最初の頃は一緒に歩くことができなかった。それまでいた犬舎では運動紐をつけて自転車と走るトレーニングをやっていて人に合わせたペースで歩いてなかったのだから、仕方ないといえば仕方ないのだが、リードをつければ走り出す子だった。
 普通に歩いてくれるようになるまでが、本当に大変だった。坂道でもなんでも爆走するので、人間の方は息があがるし下手したら誰かと衝突事故を起こしかねない。
 O夫妻に相談しては工夫して2週間と少し、やっとなんとか一緒に歩いてくれるようになっていたが、それも桃ちゃんにとっては新しい生活パターンとして学習して合わせていたにすぎなく、その間に吠えられると二重のストレスになる。
 吠える犬に遭遇すると、桃ちゃんにピリリと緊張が走る。
 綱に緊張が伝わってくるので警戒と我慢をしているんだろうなと、わかっていた。
 チワワに吠えられ、トイプーに吠えられ、シーズーに吠えられ……他の犬種は会った事もなかったと言う桃ちゃんにとって、散歩で出会い吠えてくる犬たちはどんな風に見えていたのか。

「いきなり知らない人に怒鳴られるみたいんなもんだよね」
「よく我慢してるよね、桃ちゃん」

 桃ちゃんはどんなに吠えられても何も言わなかった。ただ静かに立っていた。例えば吠え返せば、とても大きな声が出るんだから、相手は黙ったかもしれない。

「やり返せば、あのちっちゃい犬なんか一瞬なのにさ。強い大きな桃ちゃん、本当に強いって、こういうことだよね」

 親子そろって感心しきりで、本当に誇らしくO夫妻にこの話をしたら、そのように躾けてるんだから当然だと返ってきて、これまたすごいと感じ入った。
 桃ちゃんを見習って、本当に強くなろう。
 そんな風に娘と話していたような気がするのだが。

 10ヶ月後、今。
 
 挨拶のように吠えてくる小型犬に、桃ちゃんはフツーに思いっきり吠え返しているわけで……やっぱり飼う人間のレベルによるんだろうなぁ、と最初のころを思い出して反省しきり……。

8 採用面接 その1ーもなか社長の場合

 突然だが、我が家は会社制度を採用している。
 妙なことを言い出したと思われても仕方ないが、わかりやすく説明しよう。
 食べたい時に食べ、寝たい時に寝て、元気でかわいいことが最大の業務である猫たちは上級な生き物としか言いようがない。
 かたや人間といえば朝から晩まで働けど働けど我が暮らしは楽にならぬ上に、幹部同士の争いに巻き込まれたり、なんだかんだと這いずり回る日々である。この縮図は、企業そのもの。もしかしたら社会の構造も似たものかもしれないが、そこまで思ってしまうと生きるのが悲しくなってしまうので、あくまでも一企業にしたい。
 と考えると、自ずと平社員は私。幹部は猫たちとなる。
 幹部のちゅーるとご飯と猫砂のために働いてきたわけだが、ここに桃ちゃんという最大級な新人が登場した。前回も言ったが、この時点ではまだトライアル期間。
 まさしく、インターン生というわけだ。
 しかもうまくいけばそのまま永久就職という、双方にとって非常に大事な局面を迎えた事実。我が社において唯一の平社員である私は、心の底から震えていた。
 出会いの場面で触れたが、当社の社長はもなか社長である。実は3月18日、先代の初代社長うめちゃんの命日に二代目社長に就任したばかりであり、この面接は社長として初めての大仕事となる。


「ぼくしゃちょう」


 病院の先生にも心配されたとおり、秋田犬は大型犬でマタギの犬としても有名であるし、闘犬だったという記録もあるほどに勇敢で力強い。対する現幹部たちは猫だし、その中で最も好奇心旺盛な社長はスコティッシュフォールドである。
 スコといえばぺったりお尻をつけて座るスコ座りと丸顔が有名なかわいい猫種だが、彼らには先天的に異常がある。骨、特に関節に瘤ができるという生まれつきのもので、これゆえに発祥国であるイギリスなどでは猫の種類として認めず奇形腫として扱うくらいに発症率の高い先天性の異常を持っている。もなかにも当然、いずれはその異常が出てくるだろう覚悟で迎えたているわけで、その異常自体は人間たちにとっては問題ではないのだが……問題となるのは、戦闘能力の低さだ。
 この時点でもなかは2歳7ヶ月だが、すでに他の子達よりも足は遅いし、階段の登り降りも上手くない。まだスコ座り(発症して進行すると関節の痛みから、あの座り方をせざるを得なくなる)はしないが、
 いくら気合いだけはよくても、相手が大型犬となると完全に分が悪い。
 筋からいって社長が面接するのが先なのかもしれないが、万が一に得意の顔面パンチをお見舞いして桃ちゃんを怒らせたら。もしくは、怒りはしなくても遊べると思われて追いかけられたら。
 逃げ足の速い他の3にゃんならともかく、もなかは足が劇的に遅い。
 これは、慎重にせねば。
 ものすごい緊張が走り、平社員としてできる限り考えた結果、面接はケージ越しにフリースタイルで行うことにした。トムキャットのケージが届いた段階で、桃ちゃんにはケージ入りしてもらい、猫たちには自由に近づいたりしてもらう。
 そうすれば、もなかだけでなく次に好奇心旺盛な黒猫、小梅も一緒に出てくるかもしれない。単体ではなんだか不安だが、仲のいい3にゃんが一緒ならこちらも安心して見ていられる……と思ったのだが。

ずんずん
ふんふん
ふーん
にゃるほど
ふむふむ
ほうほう

 案の定というか、真っ先に近づいてきたのは好奇心の権化、もなか社長だった。本当に早かった。ゲートを開けた途端に、走り込んできた。
 ていうか、他の子はぜんぜん近づいても来なかった。

いいはこだね、これ。

 ケージ越しには平和だったが、もなか社長は果たしてちゃんと面接をしてくれたのか、それともただ単にケージの検品をしていただけなのか。いまいちわからないまま第一面接は終了となった。
 なったのだが、合格と言っていいのかわからないまま、第二面接へと向かう不安は付き纏っていた。
 第二面接……その担当面接官は好奇心の爆走娘、小梅または何をするにも慎重派、石橋は叩いて壊してシャーァアアアなビビリ番長、こばん園長となる。
 波乱の予感しかないのは何故だろうか。

<続く>
 



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