一番を目指すことの 不自然さ
今オリンピックが行われているけれど、
ふと思う。
なんで金メダルを目指すのだろうか?
なんで世界一を目指すのだろうか?
何かを目指すのは、生きる希望や活力になるし、
その人その人が幸せならそれでいいのだけれど。
学校でも スポーツでも、ビジネス、知名度でも、
一番がすごい!、とされている気がする。
なんでかな?????
"気づいたら、一番だった。"
の方が 自然じゃないのかな。
何かを目指すことは、エネルギーを寄せ集めて、
道を作る感じ。
何かが達成されて満足できれば、
ただ、満足感が広がる。
結局、
「一番を目指す」ことも
手段であることに変わりはない。
”気づけば、一番だった”
の方が、自然な気がする☆
また、例えば、
一番になれば、高額の報奨金や、名声が得られるとする。
そもそも、
一番だから、優れているから、何なのだろう。
社会が一番を良し、としてきただろうことに
とても疑問を感じた。
LOVE!!
Chiyoko
生きる喜びが溢れる活動に、大事に使わせて頂きます。 サポートに、心より感謝いたします。 ありがとうございます😊💗💗💗