2024年8月1日 木よう日

 きょうはわりあい涼しかった。気が狂ったような暑さに慣れすぎたのかもしれない。
 もう8月だ。夏だ!去年の12月とか今年の1月に、野木亜紀子の新作の映画が、いちばん好きな俳優の満島ひかり主演でこの夏に公開だと知ったとき、めっちゃ観たいけど夏まで生きられる気がしないから観られないのかなと思ってかなしかった。もう目前だ。観れそうだ。

 さいきんはひたすら買い物をしている。ものが大好き。むかしから。お金があるのはいい。ほしいものが好きなように買える!ちょっと尋常じゃない額のものを尋常じゃない量、買っている。
 高いものをたくさん買う、ということがあまりにもネガティブに扱われすぎている。と思う。いろいろな面で。どうして高いものを買うときや、たくさんものを買うときに、罪悪感なんて抱かなければならないんだろう?買えばこんなにしあわせになるのに。

 38平米の部屋に一人で暮らしている。間取りは1DKということになっているけれど、ダイニングキッチンと寝室にしている部屋が隣接していて、引き戸をしめればべつべつの部屋になるというだけで、実際はワンルームに廊下と水回りがくっついてる感じだ。角部屋で、窓がふたつあって、ダイニングキッチンの部屋には腰窓が、寝室にはでっかい掃き出し窓がついている。いわゆる単身者用の1Kっていうのは最悪だ。あの縦長の間取り。廊下にあるキッチンが真っ暗なのがとくに最悪だ。それで7,8畳とかのまた長方形の部屋。そんな部屋に学生みたいな家賃で長い間住んでいたけれど、なんだかもう人生がどうにもならないというか、やることがないぜとなって、家賃に糸目をつけず、引っ越そうと思ったのだ。思ったときにはあんまりいい物件がなくて、限界まで予算あげてこれか……と意気消沈したものだったけど、そのあともしつこくねちねちとSUUMOを巡回していてこの部屋を見つけた。当初の限界ギリギリ予算より1万円ちょっとやすくおさまったし、誰よりも早く内見してそのまま申し込みをして契約できた。運がよかった。
 別にそんなつもりはなかったけど、前の部屋の家具をそのまま運び入れてみたら、ちっともしっくりこなくて、ほとんどすべての家具を買い替えた。ベッドも、ダイニングテーブルも、デスクも、飾り棚も。家具に10万円以上出す、というかそもそも、ひとつのものに5万円以上出すこと自体ほとんどなかったので、いちばん初めにヴィンテージの家具を買ったときははらはらしたものだったが、ケチって買ったそこそこの家具と並べると、その輝かんばかりの美しさと質感、そして安物の安物なりのあからさまな様子に愕然として、そこから欲しいと思った家具には必要な金をかけると決めた。それまで自分の人生に縁があるとは思えなかったものがどんどん購入されどんどん部屋に運び込まれた。27歳になってはじめてスタンドライトのある生活が始まり、ペンダントライトのある生活がはじまり、かびんのある生活がはじまった。
 引っ越してから2年半くらいたつけれど、目に映る気に食わないものすべてを、買い替えたり買い足した収納に収めたりして、やっと部屋が完成した気がする。所持しているものの量に比べたらそれでもちょっとこの部屋は狭いから、ところどころ気に入らないところはあるけれど、もうほとんどいい感じだ。廊下も洗面所もきれいにした。気に食わない床も建具もクッションフロアやリメイクシートで隠した。そのままむき出しにおいていてもすてきな収納家具に、見せたくないものを収めて、タオルや化粧品もぜんぶ周りに合うようなパッケージのものを選んで並べている。そのぜんぶに金がかかる。そのぜんぶに金をかけてきた。かわいいぬいぐるみ、カーペット、かびん、テーブルランプ、リネンセット、クッションカバー、ドール、欲しかったものはぜんぶ買った。
 わたしはしあわせだ。この部屋が好きだ。家に帰るのがいつもたのしみで、出勤するときもっとこの部屋でいろいろやりたいなと思うけど、かわいい洗面所で身支度しているとなんとなく気分がよくなってきて、これまた大量の額縁でかざった玄関で、壁掛けにしたかがみににこっと笑って部屋を出ることができる。
 部屋が広いから食洗器を置ける。食洗器は最高だ。お掃除ロボットのほうがやたらともてはやされていたような気がするけれど、平均的日本人は食器洗いより掃除機をかけることのほうが嫌いなのだろうか?もしそうだとしたら、わたしはそれとは真逆の人間だ。とにかく洗い物をしたくない。コップだって洗いたくないのだ。ほんとうに。食洗器が来てからはそこに詰めて水を注げばそれでおわり。水をやかんでそそぐ動作は好きだ。植物の水やりみたいだし。それで自炊も食事も苦じゃなくなった。シンクはだいたいいつもからで、それもいい。掃除機をかけるのは好き。だってこの部屋が好きだから。それをすみからすみまであらためて見てうっとり。うっとりしているうちにきれいになるのだから、どうしてそれがいやなんてことがあるだろう(ユーフィ←わたしのお掃除ロボットの名前、ごめんね)?
 そう、この部屋にいて嫌なことがない。目に入るものの形状がいちいち好みで、うっとりする。それらを使って生活ができる。それがこんなにいいことだとは!

 このすべてに金を遣う道中で罪悪感なんか抱いていたらもっと時間がかかったし、あるいはこんな場所にそもそもならなかったことだってありえたと思うとぞっとする。何の意味もない罪悪感。100万持っていたら100万使えるんであって、罪悪感なく100万遣うのに1000万貯金がないとってのは、結局のところ100万のことを馬鹿にしているのだ。100万で買えるすてきなものたちのことを。このすてきな生活のことを。100万は大した金額だ。っていうかお金はすごい大事で、だからつかうのである。大事なものをつかわないと大事なものはあんまり手に入らない。ふつうは。
 お金をつかうのにもコツとか訓練とか慣れとかが必要で、だからなおさら、お金ははやくたくさんつかう必要がある。最初は失敗しがちだ。失敗してやっとうまくお金をつかえることはあるし、こんなにいいもんならもっと早くにお金をつかうべきだったと思うことだってある。だからほんとうに欲しくて、頭から離れなくて、ずーっとスマホでその画像を眺めつくしているくらいならさっさと買ったほうがいいのだ。それで満足して忘れることができるのならそのほうがいいし(買いたいのに金額にビビってもだもだしている間の焦燥感といったらない、あれはほんとうにいやなものだ)、こんなにいいもんなら他のも欲しい!と思うのだってそれでどんどんしあわせになるのだからぜんぜんわるいことがない。試してみることはなんにおいても大事なことで、お金を遣うことや欲しいものを手に入れることだってそうなのだ。

 というのはちょっぴり、山ほど買い物している自分へのいいわけじみているかもしれないが、それでもそれまでの自分には何となく縁がないと思っていた金額のものを満足するまで買いそろえて集めてみていまとてもしあわせなのだった。それを言いたかった。むかしのわたしみたいなひとに。つまり1万円使うのに10万円の余剰がないと意味もなく不安になるようなひとに。数百万円の貯金があってこの先使う予定もないのに、意味もなく、物を買うことに罪悪感をいだくひとに。

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