ちょっと穿ったセドナ考・その1~からだの真実?~
昨年、縁あって、セドナへ旅をした。
セドナ、という土地はどうやら「特別な土地」と認識されているらしい、ということは、行くと決まってから知った。
(なにせ、お誘いを受けたとき、「それ、なんですか?」状態でしたから。)
ふむ。そうなのか。それはたのしみだ。
と、旅に出た。
トクベツ視されてる原因のひとつには、「行きにくい」「時間がかかる」というハードルを超えなければならない、という心理的要因も左右しているんだろうと思った。
日本と違う、乾いた空気。
大きな赤い岩と、開放的な空。
なるほど。
素敵な土地であることに間違いはない。
数日滞在して、日本にない景色を堪能した。
身体がとても喜ぶ土地だった。
ただ、「特別な土地」と言われるのは、視覚的な広さと、手の入っていない自然が、日本の人にとってのトクベツ感を増すのではないかと考察していたところ。
加えて。
同行の方々を拝見していて思ったことがある。
わたしは終始元気だったが、岩登り、また岩登り、みたいな毎日で体調を崩す人がいたり、足を痛めたりする人がいたり、まぁ、いろいろと身体に変調をきたしている様子。中には、清々しい気分になった、という方も。
あ。なるほど。「呼吸」と「運動」ですね。とピンときた。
セドナの標高は1370m。
日本で言えば、富士山の1合目が1516m、飛騨高原のトレーニングエリアの低いところが1300m、というところ。
東京の標高は40mである。
例えば都心のタワーマンションの住人のことを思うと、10階を超えると健康被害がちらほらと出始める。
マンションの10階はだいたい地上30m。東京の標高と併せたら、標高70mといったところか。
標高70mでも、身体がおかしくなり始めるような作りをした人種が、いきなる標高1370mに行くわけですよ。
セドナへ降り立った場合、必然的に、「高地トレーニング開始!」なわけですよ。普段、なんのトレーニングもしていないのに。
標高の高いところに行くから、気圧が変わる、必要な呼吸も変わる。
日本の都会で、普段から浅い呼吸しかしていない人が、体調に支障をきたすのは至極当然のことである。
体調には支障はきたさず、「瞑想チックになった」とか「頭がすっきりする感じがする」という場合、それは、身体が無意識に必要な呼吸に調えてくれたからである。無意識に呼吸が深くなっているのである。無意識に調えられる身体を持っているだけ、まだ救いがある。
そして。
狭い都会で、運動不足な人々が、標高の高いセドナで、観光のために動き回る。運動不足が解消される過程で、どこかしら「痛くなる」のも至極当然。
セドナが「神秘的」とされるのって、呼吸と運動という、人間の身体に必要な生存条件が必然的に調えられるから、なんじゃないですか?
スピリチュアルうんにゃら、ではなくて。
ちなみに、わたし自身。普段から呼吸は深い。運動もよくする。多少の高地に行ったところで、影響を受けるような作りをした身体ではなかった、ということ。若干のデジタルデトックスにはなったし、自然がいっぱいの環境で遊べたので、もちろんとてもすっきりした。
セドナがとても素敵な土地であったことに間違いはない。
その2へ続く。
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