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ハロンタウンのユウリとは誰だったのか(キバナ×ユウリ)

「ちょっと待てよ、嘘だろ」

深海の底で、気が遠くなるような時間を、過ごした気分だった。
何重にも重なったベールの向こうから、声がする。

「お前、なんでこんなとこにいるんだよ」

耳は聞こえる。
だけど、目が鉛のように重たくて、開かない。

低くてよく通る声は小さく、震えていた。
聞いたことがあるような。

誰だっけ。

「ユウリ!……おい、起きろよ!」

声の主の名前を思い出す前に、彼が呼んでいるのは、
自分の名前であることに気づいた。

思い引力に逆らうようにして、薄っすらと瞼を開ける。
ぼやけて揺れるランタンの光に照らされた彼は、スマホロトムを耳に当て、ひどく焦った様子で話していた。

「俺だ。宝物庫でユウリを見つけた。すぐ搬送の準備をしてくれ。ホコリだらけの箱ン中にいて息はあるが、起きやしねえ。……ハァ?俺だって知るかよ、ともかく大至急来いって!」

彼の名を、自分は知っている。

「キバナ……さん?」

うまく声が出ない。
それでもじゅうぶん伝わったようで、キバナは視線を移し、目を見開いた。

ここはどこですか、なにが起きたのですか。
問いかける前に、世界が揺れた。
キバナが思い切り抱きしめたのだ。

肩に、熱くて冷たい何かがじわりと広がる感覚。
泣いている。彼が。一体どうして。
そこでまた、意識が途切れた。


***


再び目覚めたユウリが見たのは、病院の天井だった。
消毒液の匂いが鼻をついて、顔をしかめる。

「……っ、先生!ユウリが!ユウリが目を覚ましたぞ!」

ベッドの横にいたのは、幼馴染のホップだった。
そのホップを押しのけるようにして、キバナがユウリの手を握る。

「ユウリ、大丈夫か?どっか痛いとこ、ねえか?」
「は、い」
「まったく!急に半年間も姿を消したと思ったら、宝物庫の奥に隠れてるなんて、人騒がせにも程があるぞ」

ホップが呆れて言う。
そのホップの頭を「バカ」と、キバナが軽く殴った。

「あんなとこにわざわざ隠れてるわけ、ねえだろ。なあ、ユウリ?お前、どっかの誰かに誘拐されてたんだろ?後でちゃんと警察が調べるっつってたけど、俺さまがキッチリ殺してやるから、安心しろよ」

目尻を垂れさせながら言うにしては随分物騒な発想で、ユウリは強ばる。

「あの、その件なんですが」

ヒートアップする二人に戸惑いながら、ユウリが片手を上げ、口を開く。

「半年間も姿を消したって、私のことですか?」
「えっ?」
「なぜあんな場所にいたのかも、思い出せないんです。私はワイルドエリアでバトルの訓練をしていたはずなんですが、目覚めたら箱の中にいました。」
「本当に?」
「はい」
「じゃあ俺たちの名前も……?」

ホップが恐る恐る、自分を指差す。ユウリは慌てて首を振った。

「いえ、それはちゃんと覚えてます。あなたはホップで、あなたはキバナ」
「よ、良かったぞ……」
「マジかよ。記憶喪失ってやつか?いや、でも俺らのこと覚えてんなら、この半年間の記憶だけ失くしてるってことか」

記憶喪失。まさか自分がなんて。
ユウリが呆然としている時に、慌ただしく医者が入ってきた。

「身体の方はなんの異常もありません。昏睡期間が長かったためか、気だるい状態が続くと思いますが、まあすぐに治るでしょう。念のため様子を見ますが、明日には退院できますよ」

医者はユウリにいくつか質問をした後、頷きながら言った。
ユウリよりも神妙な顔をして聞いていたホップは、胸をなでおろす。

しかし、ユウリがこれまでに出会ったトレーナーや街の名前、旅先での記憶などを尋ねられて答える度に、泣きそうなほど安堵していたのは、キバナだった。

「ただ、短期記憶障害があるようですね。ちょうどユウリさんが行方不明だった半年間の記憶がスッポリと抜け落ちてしまっているようです」
「その記憶は戻るのか?」
「わかりません。何かの拍子にフッと思い出すかもしれないし、あるいは一生このままか」
「ちくしょう。じゃあユウリを誘拐した奴らの手がかりもねえのかよ」
「まだ誘拐されたって決まったわけじゃないぞ」

キバナとホップが言い合っているその奥で、テレビが点けっぱなしになっていた。
誰かがポケモンバトルをしている中継だ。
紫色の長髪と、赤いマントをなびかせている男が、リザードンに指示を飛ばしながら不敵な笑みを浮かべている。

「ああ!アニキ、今はジョウト地方の大会に出てるからすぐに戻ってこれないけど……ユウリが目覚めたって聞いたら、きっと飛んでくるよ」
「アニキ?」

ユウリが聞き返す。
不穏な時間が流れ、ホップは「まさか」とつぶやいた。

「俺のアニキだよ。ダンデ!最強のポケモントレーナーの!」
「最強のポケモントレーナーは俺さまだっつーの」

焦るホップに、キバナが面白くなさそうに茶々を入れる。

「ごめんなさい。思い出せない」
「そんなことって……」

ホップが落胆する。キバナだけが「まあ、良いんじゃね?」と笑っていた。
出会った何十人というトレーナーの名前を思い出せても、なぜか、ユウリはダンデの名前だけが思い出せない。それどころか、会った記憶すらもなかった。


***


翌日、ユウリは病院を退院した。

夜遅く、そらとぶタクシーで駆けつけてくれた母の涙を見て、ユウリも少し泣いた。
こみ上げてくる愛しさとともに、母の記憶を再認識して、ホッとしたのだった。

「じゃあ、キバナさん。ユウリを頼みますね」
「わかりました。なにかあったらすぐに連絡します」

そらとぶタクシーに乗り込む直前、ユウリはキバナと母の会話に耳を疑った。
てっきり、このままハロンタウンの家へと帰るものだと思ったからだ。

「あの……今からどこへ……?」
「ナックルシティに決まってんだろ」
「え?」

なぜ、ハロンタウンではなく、ナックルシティなのだ。

まだ本調子ではないユウリの頭に、たくさんの疑問符が浮かぶ。
しかし、それを確かめる暇もなく、そらとぶタクシーは飛び立った。
ユウリと、キバナを乗せて。

遠くなる地上では、ホップと、母と、ともに駆けつけてくれたホップの母も手を振っていた。

そう言えば、誘拐がどうとか言っていた。
ナックルシティでこれから事情聴取でもされるのだろうか。
そんな風に、ユウリは軽く考えていた。

一度も足を踏み入れたことがない、キバナの自宅に通されるまでは。

「……っ!?」
「あー、悪い。しばらく俺だけだったから、掃除してなくて散らかってっけど」

玄関で立ち止まっていると、トン、と背中を優しく押された。
ユウリは恐る恐る、右足から踏み入れる。

キバナの自宅は、一人暮らしをするには広かった。
廊下からリビングに行くだけでも、他に2つの部屋があった。

リビングの真ん中に置かれたソファには、キバナがよく着ているジャージが無残に放り出されている。

「ナックルジムのジャージ……」

ユウリが拾い上げようとする。ヒョイッとキバナが、ジャージを奪った。

「そこ座ってろ。すぐ戻るから」

言われるがままに、ユウリはソフアに腰を落とす。
ソファの周りにはジャージだけでなく、本、スマホロトムの充電器、空のペットボトルなど、ありとあらゆるものが散乱している。

この様子だと宿主はベッドではなく、ソファで寝落ちが日常茶飯事だったようだ。
キバナのジムはとても忙しいはずなのに、こんなことでジムリーダーは体調を崩さなかったのだろうか。

ユウリは顔をしかめるが、それよりも、不自然なことがあった。

「どうかしたか?」
「わっ」

戻ってきたキバナが、ユウリの隣に座る。
二人の間には、拳一つほどの間隔くらいしかない。

急な距離の詰め方に、ユウリの肩はビクリと震えた。

「ああ……これな。お前がいなくなってから、全然寝れなくてよ。家にいる時はここで毎日、ぼーっとしてたんだわ」

床に散乱しているあれこれを見ながら、キバナが苦笑いする。

「あ、えっと………す、すいません。心配かけました」

口ごもって謝るユウリを、キバナがじっと見つめた。
病院にいる時から、キバナは何かおかしい、とユウリは思っていた。
馴れ馴れしい。

キバナはもっとストイックで、ユウリをライバル視して、からかうことや突っかかることはあれど、こんな風に古い友人みたいに距離を詰めてくることはなかったはずだ。

まじまじと見られると視線のやり場に困り、ユウリは前髪を直すフリをして、腕で自分の顔を覆った。

「おい、ユウリ」

その腕を、キバナが掴む。
そして引っ張るようにして、ユウリの肩に、ちゅ、と口づける。

「えっ、ちょっ……なにするんですか、キバナさん!?」
「昨日から思ってたけどよ、なんだよ。その喋り方」
「は、はあ?」
「お前が出ていった日のこと、まだ怒ってんのか?」
「なに言って」
「そりゃ、悪かったよ。お前が洗濯物干したあとに、庭でサダイジャにすなあらし出させたことは。新しい戦術思いついて、その場でやってみてえなって思ったんだ」
「な、なんですか、そのくだらない話はっ!洗濯物?」
「あれ?違った?ともかく、機嫌直せって」

キバナの手が、するりとユウリの頭の裏に回る。

「ちょっと」

ユウリが反論するよりも早く、キバナがソファに押し倒す。
何度も繰り返して、慣れたような動作だった。
ユウリがソファに倒れ込み、頭をぶつけようとするのを、キバナの手がそっとガードしたことも含めて。

ユウリを気遣い、守るような。

そんな優しい動きは、あの、ナックルジムのキバナには到底似合わない。

ユウリは目を丸くした。

「ど、どうしちゃったんですか、キバナさっ……んっ」

息が、急にできなくなった。
キバナの唇に、自身のそれを抑えつけられていることに気づくまで、数秒かかった。

熱い。苦しい。
息の仕方が、わからない。
キバナに、キスされてる。なんで。
なにもわからない。

ユウリは、必死で、彼の両肩を押し返した。
しかし、ユウリの頭の後ろを抑える力が、グッと強まるばかりだ。

「ぷはっ」

一瞬、唇を離された。
助かったと思いきや、すぐに角度を変えて、もう一度口づけされる。

今度はより、深く、唇同士が触れ合う。
恥ずかしくて、頭がおかしくなりそうだった。

酸素がなくなってきて震える手を、キバナの頭の後ろに当てる。
キスをねだっているのかとキバナの押さえつける手が緩んだ瞬間、ユウリは渾身の力で、拳を彼の頭に振り下ろした。

「いっ……!?」

キバナがようやく唇を離し、痛みに顔を歪める。

「いてえな、なにすんだよっ」
「ここここここここっちのセリフですよ!なにやってんですか、変態!馬鹿!人が病み上がりだからって、こんなっ……で、出るとこ出ますよっ!」

真っ赤になって後退りし、たたみかけるユウリ。

「お前こそなに言って……」

キョトンとしながら頭をさするキバナの顔が、どんどんと青ざめていく。

「まさかお前、俺との記憶もないのか?」
「俺とのって、キバナさんの記憶はちゃんとありますよ」
「じゃあ、なんで逃げるんだよ。キスなんか毎日してたじゃねえか」
「……え?」

できるだけキバナから離れようとしていたユウリの動きが、ピタリと止まる。

「16歳になったから、キスだけなら良いって言ったのはお前だろ。俺は16歳でもどうかと思ったけど、まあ、お前が言うならって」

歯切れが悪くなるキバナの目が、少しずつ、不穏な色に染まっていく。
ユウリは、ごくりとつばを飲んだ。
さっきとは別の意味で、息が止まりそうだった。

「……私は、16歳じゃないです」
「は?」
「先日、20歳になったばかりです」

ユウリは今にも、叫びだしたくなった。
目に入るすべてを、知っているのに、知らないみたいに居心地が悪い。

ひどく横暴で優しい、この人のことも。

「お前、それどういう……」

立ち上がったキバナの足元で、クシャリと音がする。
ページを開いたままの雑誌を踏んだのだ。

そのページには、ホップの兄だと言う、ダンデの写真が印刷されていた。
大きく派手なフォントで、ガラル地方の無敗チャンピオン、と沿えられている。

ユウリは震える手で、それを指差した。


「チャンピオンは、私のはず、です。なんで?どうして?その人は、誰なんですか?キバナさん……」


(つづく)

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