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季語深耕 セーターのこと

1 角川大歳時記から


俳句ポスト、R5.12.19〆切の兼題は「セーター」。
角川大歳時記でこの季語を引くと、いきなり「正しくはスウェーター」と始まります。以下、引用です。

「防寒を主とした毛糸で編んだ上着(中略)前開きのものをカーディガンという。一般にセーターという時は、かぶる形のものをさす(中略)デザインや色、素材で様々に楽しめる」

何気なく読み進めれば「そんなものか」と終わるものですが、「正しくはスウェーター」などと始まっては、語源等調べたくなるところです。

2 セーターをなぜセーターと呼ぶのか:語源について

セーターとは小さい時からあまりに身近にあった衣類の名称ですので、疑問に思わずここまで来た自分がいます。
セーター。アルファベット表記なら「sweater」。汗であり、動詞としては、汗をかくという意味の「sweat」に、「er」がついたもの。
「er」には、「〇〇するもの」「〇〇させるもの」という意味があるようなので、「sweater」とは、汗をかかせるもの、という意味となるようです。
「ファッション史探検」(新潮選書)という本を見ると、「運動をして汗をかき、体重をへらすための厚手のスエットシャツというのが本来の意味だった」とあります。この本では何の運動かは書かれていませんでしたが、webで調べるとアメフトの画像が出てきたりしました。まぁ、なんの運動でもいいけど、今で言うならサウナスーツのような感覚なのかな、と。
先に挙げた「ファッション史探検」によれば、セーターは、1860年ころに編みブラウスとしてイギリスで登場したといいます。
これが1890年くらいにアメリカで「セーターとして」迎えられたと記述がありました。先に記した通り、アメリカではサウナスーツのような使い方でまず迎えられたと考えられます。
これが、1900年代になるとドライブ用の服となって流行したとあります。
自動車誕生から今日までの自動車史(前編) | トヨタ自動車のクルマ情報サイト‐GAZOOによると、1908年、アメリカではT型フォード(画像→005_l.jpg (640×472) (gazoo.com))が開発され、自動車が大衆化したとあります。リンク先の画像をご覧になっていただくと分かりますが、車高の高いオープンカーから更にドアを無くしたような外見の車です。
これが当時の最先端だとします。この最先端にアメリカに入ってきて比較的歴史の浅いセーターを組み合わせるのは、流行の最先端を走っている気分だったのかも?と考えたりもします。
何より、ドライブ中に発汗目的でセーターを着るというのはまずありえないことですから、発汗させる服として受け入れられたセーターが、防寒目的の服として使われるようになったと考えられます。
なお、フランス語でセーターは「プルオーバー(pull-over)」、引っ張って被るもの、という意味らしく、セーターと比べると汗の要素はありません。

日本でいう「セーター」。どうやらアメリカ経由の汗混じりなものが起源なようです。

3 セーターの歴史

先に、セーターは1860年ころのイギリスで、編みブラウスとして生まれた、と書きました。
ですが、これは社会的、文化的に大衆に影響のある人が身に着け、流行させるものとしての衣類。いわゆる、ファッションとしてのセーターです。
イギリスで流行する前……アガサ・クリスティの描くミス・マープルが編み物をする以前に、編みブラウスの元となった服を着ていた人たちがいたのでした。

イギリスの王室属領にジャージーという島があります。イギリスよりフランスに近い場所にある島です。ちょっと調べると、政令指定都市よりも内政的にはずっとずっと権限を持つ場所らしく、ちょっと興味を持ちましたので、ウィキペディアのリンクを貼っておきます。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Jersey_in_its_region.svg

セーターの原型となるものは、この島で編まれていた漁夫の為の仕事着だったといいます。先に挙げた「ファッション史探検」を参照すると「十五世紀ごろからジャージー島の女たちが漁をする男たちのために編んで」いたといい、「漁民がカナダに近いニューファンドランド島周辺の漁場に出ていて国際的に」広がったものとのこと。

大西洋を渡って漁に出ていたことにまずは感服しますが、ニューファンドランド島にだけセーターが広まったのではなく、国際的に広まった、というのはなぜでしょうか。ここで、ウィキペディアでニューファンドランド島(ニューファンドランド島 - Wikipedia)を見てみると、こんな記載があります。

「1497年のイタリア人航海者ジョン・カボットが(ニューファンドランド島を)再発見」し、その後、「ポルトガル人、スペイン人、フランス人、バスク人、イングランド人などの漁師たちがたどり着いた。17世紀末、アイルランド人の漁師たちはこの島に『魚の島』あるいは『魚の土地』という意味の「Talamh an Éisc」という名をつけた」。
ジャージー島がイングランド領となったのは13世紀初頭のこと。よって、上記のイングランド人の漁師にジャージー島の漁師がいたと思えます。

つまり、色んな国の漁師たちがニューファンドランド島に来ていた。このことから、セーターが国際的に広まるきっかけになったのではないか、と考えられます。ニューファンドランド島からどのようにセーターが国際的に広まっていったのかは分かりませんでしたが、ジャージー島の漁師たちがポルトガルやスペイン(大航海時代の中心と言われる二国です)の漁師たちと接触してセーターが伝わる→大航海時代の文化の伝播→全世界へ……?と思ったりします。

ここで、日本に、大航海時代にセーターそのものがもたらされた、という都合の良い記述にでも会えれば良かったのですが、そうはいきませんでした。日本には17世紀後半になってメリヤス(「莫大小」とか「目利安」と漢字では書きますね)として、編み物が伝わったといいます。メリヤスとはポルトガル語のmeias、もしくはスペイン語のmedias、いずれも「靴下」という意味ですが、それが編み物であり、その為の生地を指す日本語として広まったようです。これは、日本にもたらされた編み物として、靴下が多かったことを示しているかもしれません。

(脱線:私がメリヤスという単語に出会ったのは30年ほど前のことで、大学一年の頃でした。私は点訳ボランティアのサークルに入っていたのですが、教本に色んな単語を点字で打つという題があり、その中の単語の一つに「メリヤス」がありました。この時点で「先輩、メリヤスってなんですか?」という状態で、先輩方も「さぁ?」という感じ。少なくとも30年前には既に死語と化していた単語です)

一方、ジャージー島をセーターの起源としたとき、近隣する島にモノが広まるのは必然でしょう。ジャージー島より北北西辺りには、ガーンジー島があります。

ジャージー島のセーターが大西洋、つまり西へ向かって広まっていったのに対し、ガーンジー島のセーターは北へと向かっていきます。
ガーンジー島は、現代のイギリスでは南の方にありますが、ここの漁民たちは、北へ向かいます。まずはグレートブリテン島の漁港へつき、反時計回りする感じで北へ向かい、北極圏へと向かったらしいです。あるいは、グレートブリテン島をさらに反時計回りにたどり、西側(アイルランド)へ向かいます。セーターも漁夫たちの動きと同じく広まっていったのではないでしょうか。

この漁夫たちのセーターは、どんなものだったか?
厚手で丈夫、例えば、袖口とか襟口にほつれがあっても修復が容易で何十年と着れる。
色んな編みパターンがある。それこそ、漁港や各家庭ごとに「うちはダイヤの編みパターンのセーターで作る」「じゃ、うちの漁港はハート形」「うちはジグザグのラインを」みたいな感じで、編み方が違っていたとも言います。
ファッションとして、という目的もあるでしょうが、ユニフォームのような性格もあったようです。
防寒に加えて、港ごとの仲間意識を育むのに一役買ったことでしょうし、編み方のデザインが漁業者以外にも受け入れられれば、ファッションとして流行したろうと想像できます。なにより(あの編み方はあそこの港のあの家の連中だ)という目印にもなりました。
目印となったことで、あそこの漁港の奴らは関わらない方が良いとか、一目で分かりもしたでしょう。何よりも、万一の時、、、海難事故が起きたとき、この編み方はあそこの港の人だ、と遺体を返しやすくもなったようです。袖口にはセーターを着る人の名が刺繍されてもいた、ということでした。(現在もスポーツのユニフォームの袖口に名前が刺繍されていることを見ます。同じデザインの服を取り違えることを防ぐだけでなく、元々はセーターのような目的があったかもしれません)

さて、このような歴史のあるセーター、日本で広まったのはいつ頃でしょうか。

4 日本とセーター

先に、イギリスで1860年ごろ編みブラウスとして生まれた編みブラウスが、1890年前後にセーター(sweater:汗をかかせる為の服)としてアメリカで受け入れられたと記しました。

それでは、イギリスにおける編みブラウスとは英語で何というか?web翻訳するとKnitted Blouse、この語をググるとKnitted Blouse - Google 検索が出てきました。編み物であり、あったかさを感じる、もしくは防寒には役立たなさそうな編み物を着た女性の写真が上位に来ました。サムネイルを見ると、一部、赤さんの写真もありますが、女性の画像が殆どのようです。さらに見ていくと、英語のWebページがたくさん出てきました。この単語が和製英語では無さそうだとは思いました。

次に、「jumper」という言葉を英和辞典でウン十年ぶりに調べます。パッと見てジャンパーと読めますが、この単語のせいで私は英語のテストを減点された記憶があります。
というのも、この「jumper」、少なくとも私が学生の頃はセーターの意味だったはずなのです。
記憶を裏付けるために、妻がずっと捨てられないでいる、研究社の「ライトハウス英和辞典」(第2版  第19刷1994年)によれば、「jumper」の第一義は「《英》(婦人用の)セーター」、となっています。

このことから、日本にsweaterが現在の形のファッションとしてのセーターとして伝わって来たのは、アメリカからだったのかと思いました。もし、イギリスから、今で我々が慣れ親しんだ形のセーターが伝わっていたなら、それはjumperという呼び名が先に来ていたはずです。

では、日本にセーター(スウェーター)がもたらされたのはいつ頃でしょうか?
「年表 近代日本の身装文化」(三元社)P416によれば、1936年(昭和11年)9月をして「いよいよやって来たスウェーター時代」という紹介をしています。この時代が訪れた根拠として挙げられているのが、当時あった東京日日新聞9月9日の記事の一節です。そこから引用します「スウェーターは全く一般化してきました。日常着としての需要が盛んになるにつれ、往年の突飛なモードがすっかりなくなり、一見平凡な実用一点張りなものが多くなったのは当然」。

アメリカでセーターが受け入れられたのは1890年頃、ドライブ時のファッションとして流行しだしたのが1900年代。この頃から、「突飛なモード」(風変わりな最先端ファッション)としてセーターが日本にもたらされたのでしょう。これが、大体30年位で日本人好みのデザインのものに作り直され、大衆化したのかと考えられます。

世界、日本のニットの歴史を深堀り | KNIT MAGAZINEというwebページを参照すると、1800年代後半にヨーロッパで編み機が開発され、日本でもその機械を模倣したものが作られたようです。これにより、既製品のセーターも作られるようになっていったと思えます。

でも、既製品のセーターはまだ高かったようです。戦後でも、まだまだ家庭洋裁が盛んだったようで、ブラザー工業のwebサイトから辿ることができるこちら(ヒストリーゾーン | ブラザーミュージアム 音声ガイド (global.brother))によれば、1954年にブラザーが家庭用編み機に参入し、家庭洋裁の機具として随分普及させたようです。そういえば、母が使っていることは1回か2回しか見たことが無いけれど、実家の足踏みミシンの近くに編み機は確かにあったし、この機械の溝板をなぞったり、キャリッジを動かしてカラカラ言わせて遊んだ記憶があります(各部品の名称は今回初めて知りました)。
ブラザーの説明によれば、この編み機の使い方教室はピーク時の1970年代には全国に2万教室以上あったとのこと。現在、コンビニのファミリーマートが約1万9千店舗あるので、それ以上に存在していたことになります。

今の時代、家庭用の編み機を見る機会はすっかり減った(なくなってはいません)のではないでしょうか。実際、2004年にブラザーは事業から撤退しています。

1970年代から21世紀初頭まで。この30年間でセーターは編んで作る・作ってもらうものでなく、購入するものになったと言えるでしょう。

この変化の背景に何があったのか。その一つに、セーターの工業的生産性の向上があったかもしれません。例えば、編み方教室がまだ盛んであったであろう1974年、福原精機製作所という会社では、「編地品質と生産性を飛躍的に向上させ」「業界革命を起こした」編み機が開発されました(沿革と主要開発 – 株式会社福原精機製作所 (pfw.co.jp))。このメーカーに限らず、編み機に発展があったかもしれません。
品質が良く生産性が良くなった、つまり、市場に多くの品物が出回る状況となれば、既製品のセーターの値段も下がってくるだろうと。

また、1950年から工業生産が始まったアクリル繊維について、1958年から日本でも生産が始まっていました。アクリル繊維は、肌触り等がウールに似ているとされる繊維ですが、ウールよりも安価です。日本での生産開始からどれくらいで編み物の生地として普及したかは分かりませんが、生地に拘らなければ安くセーターを入手できるようになったかもしれません(更に時代が進み、現在では、海外生産のアクリル繊維の方が安く済むため、国産のアクリル繊維は苦戦しているらしいです)。

セーターを大量生産できる機械、そして安価な繊維と条件が揃ったところで、さらに、ここに追い打ちをかけるようにDCブランドの流行とバブル景気がやってきます。
デザイナーのアイディアをつぎ込んだ服が、小さなメーカーから、しかし次々販売され、それがありがたがられ流行し、消費される。そして大手のメーカーの服も何か、そういった服と同じようなデザインとなっていく。
名の知れたデザイナーがデザインし、それが小さなメーカー・つまり、品数が少ない状況で流通されるのだから、当然コストは高くなります。でも、世間はバブル景気、値の張る服が次々市場に投入されても、それを消費できてしまう世間である(うちは、蚊帳の外でしたけども)。
こうなると、手編み、あるいは家庭用編み機でのセーターはなかなか入る余地がなくなっていったのではないかと考えます。
バブル景気が崩壊した後であっても、セーター等を自分で作る、補修するという流れは訪れませんでした。ここには、以前なら家庭洋裁の担い手だった女性の社会進出だとか、ファッションの多用化とか、ファストファッションの隆盛等色々触れられるかと思いますが、ここでは深堀は避けます。

ただ、セーターを含めて衣類を買うのが当たり前となっても、手製で衣類を作る人が一定数いたのは確かです。例えばバブル経済が始まったのは1980年代半ばですが、そこからブラザーが家庭用の編み機から撤退するまで20年近い間隔があります。この20年間、需要があったということでしょう。そして、さらに20年経った今でも、Amazonで検索すれば新品の家庭用編み機が別なメーカーから販売されています。また、本屋にいけば編み物の基本書から応用的なものまで売られています。

歴史には触れませんが、手作りを好むとか、手芸を余暇活動や趣味としている方がいたり、ここ一番(子どもや孫が生まれたときに手作りで衣類を贈りたいとか、シチュエーションはいくらでもありそうで、句の材料にもなりそう)に編み物を贈りたい気持ちを持つ方とか、そういった方がいる限りは、手編みのセーター等も無くならないかと思います。

また、手製のセーター、元々はジャージー島やガーンジー島の女性たちが、漁夫たちの大量や無事を願ってセーターを編んでいたとか。日本においても、手編みのもの・網目の一つ一つに何かしらの思いを込めて編み物をするというのあるのではないかと考えます。例えば、「セーター 歌詞」とweb検索してみると、色んな曲が結果として出てきます(例えば50年近く前の歌ですが、都はるみ「北の宿から」(1975年)には「着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んでます」という、破れた恋への未練たっぷりな一節がありますし、この曲、様々な人にカバーされています。最近では2020年の「都はるみを好きになった人 〜tribute to HARUMI MIYAKO〜」でUAがカバーしています)

5 五感への訴え:句作の為に

(1)視覚
セーターの見た目として、使った毛糸の色(色数や複数色で作った時の模様)、編み方による模様が大きく影響する。
参照した資料で触れられていなかったので、ここまでの文では触れてなかったが、アランセーター(アイルランド西にあるアラン諸島で編まれたセーター)が定番かつ、「これこれ!」という感じだろうか(アランセーター 画像 - 検索 (bing.com))。一方、自分が小さい時に着ていた母が作ったらしいセーターだったかチョッキは、今でいうラグランセーターに似ていたと思う(ラグランセーターとは - Bing images)。
無論、これら以外の模様のセーターは色々出てくる。
また、手作りで左右の袖の長さが違うとか、大小(同じデザインで大きいとか小さいとかの比較、何で大きくなった・小さくなったといった)、ほつれがあるとか、汚れているとか、などなど……
編んでいる途中だとか、完成してるとか、そういった部分もあり得るか。
脱いだ時、暗闇の中では静電気による発光もありえるかもしれない。

(2)聴覚
衣擦れの音、特に脱いだ時の静電気の音など。

(3)触覚
手触り、肌触り。着ることによる温かさ。通り越して暑いとか。場合によってはチクチクするとか、肌にまとわりつくとか、発汗後に感じる寒さといった快ではない刺激もあり得る。また、洗ってしまった、着ている人が大きくなったといったことでの窮屈さ。

(4)嗅覚
着ている人のにおい、手入れの為の洗剤やオイルなどの匂い、箪笥の匂いなど

(5)味覚
普通は無いと思いたい。強いて言うなら小さな子が袖やほつれををしゃぶっている等はあり得る。

(6)連想
主に手製のセーター。編み目に込められた思いが主となると考える。親子であれ恋人、あるいは贈りたい相手への思いや、思われた側の感想。どんな思いがそこに込められるか。それを受け止める側は、編んだ側の思いを嬉しく思うか重たいと思うか、など。

(7)その他
身に着ける者が存在する物体。誰が着ているセーターなのか、ということも組み込みやすくなるか。


最後に、個人的なことを言えば、自分はセーターにはあまり縁の無い人生をこれまで歩んできている。着せられたのは小さい頃か。小学生の頃には既にトレーナーがあったし、セーターは高いし汚すと手入れが面倒だというので母親は子どもに買い与えなかった。自分で服を選ぶようになってもセーターはなかなか選択肢には上がらないできている。こうなると自分の小さなころとか、実際にどんな人が着ていてどんな人か観察するといったことで、どこか今の自分からはかけ離れている気もする兼題だと思っている。

こうなると、どんな秀句が拝見できるか?という点が楽しみな季語である。期待させていただいている。





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