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季語「蜘蛛」についてのあれこれ


1 初めに

俳句ポスト365 (haikutown.jp)、2023年6月19日〆切分の季語は「蜘蛛」です。
作句を進める中、5月末日時点で、自分の句は蠅虎の描写をしてる句が多かったのです。家の庭やら職場にあるグラウンドなど、地べたを見れば巣を作らない蜘蛛がなんぼでも見れました。この一方で、立派な蜘蛛の巣を作り、その真ん中に蜘蛛がドンといる光景になかなか出会えなかった……私の生活圏では、今年の5月半ばから末まで、立派な巣を構えている蜘蛛は意外といなかったのです。会ったのは田植えの済んだ近くの用水路にいたナガコガネグモぐらいでしょうか。
毎年毎年、紫陽花を見に庭に出ようとすると、エコキュートと家の外壁あたりに女郎蜘蛛の巣ができているはずなのですが、思えばそれは夏であっても、暦上もっと後だったのかと思い出されました。
そういえば、木枯らしの吹くころ、それこそ落葉が巣について破れてなお、真ん中にいるジョロウグモを見られることがあります。その姿が、荒れ果てた屋敷に住む没落貴族の女が、思い人をじっと待つ姿に見える‥‥‥そんな話が古典文学にあったはずです。そんな話を思い出してジョロウグモにあわれを感じたことがあるのは確かです。
つまり、「蜘蛛」という季語と自分の住む環境の時期が意外にもずれていたと実感したところです。蜘蛛も蠅虎も三夏の季語として大歳時記に載っていますが、見られる時期が意外と違うのだというのが今回の実感でした。

2 クモとは何物か

節足動物「門」鋏角「亜門」クモガタ「綱」クモ「目」に属する動物のこと。
これらの動物の共通して持っている特徴を挙げていくと

① いわゆる虫のひとつ。まずは何らかの昆虫を思ってみる。しかし、昆虫とは違い、節足動物。昆虫は体が頭部・胸部・腹部の3つに分かれるが、蜘蛛は頭胸部(前体)と腹部(後体)の2つに分かれる。また、昆虫は胸部から脚が3対・6本伸びているが、蜘蛛は4対・8本の脚がある。羽はない。
② 腹部の先端、つまり尻から糸を出す
③ 口の手前に鋏角という、牙にも似た突出物がある。牙との違いは感覚があり、また、関節を有する場合もある

他にも、「え?クモは、巣が作るのが普通ではないの?」「8つ眼があるのが普通じゃないの?」といった疑問もあるかもしれませんが、クモ目の生物のうち、半数くらいの種は巣を作らないといいますし、8つの眼についても、眼が4つ(ユアギグモ科のある種)とか、無眼の種もいたりします。論理式に対しての反例が沢山いる種がクモなのかもしれません。

さて、先に「門」「亜門」「網」「目」と鉤カッコをつけて記述しました。これらは生物の分類による種類わけの単位みたいなものかと理解しています。これらの分類の下位には、さらに「科」「属」「種」という細かい分類があります。

細かい分類のうち、「種」で言うと、世界には35000種ほど、日本には1200種ほどの蜘蛛がいるそうです。たとえば、分類学(「分類」という言葉に引っ掛かりを覚える方もいるかもしれないので、生物学の一つのジャンルとして存在すると述べるにとどめます)の見地から見て、我々人間を種に分けてみると、蜘蛛よりずっとずっと種は少なくなります。

「ニッチ」という言葉があります。Wikipedia(ニッチ - Wikipedia)によれば、「1つの種が利用する、あるまとまった範囲の環境要因」とあります。先に、クモには人間に比べて多様な種があること書きましたが、多様性を持つことで、様々なニッチに適応した生物だと言えます。別な言い方をすれば、共通項が先に示した①~③くらいしか挙げられないくらい色んな種類の蜘蛛がいて、様々な生態系の中でクモは立ち位置を確立しているのでしょう。

(ここまでの記述で、句作で役立ちそうなこと)
・昆虫との姿の比較。昆虫を基準とすればヘンテコな姿。頭~胸が一体化しているとか、脚は沢山あるとか、羽がなくて飛べないとか。
・糸を出す
・鋏角
・色んな場所に適応できる種がいる、多様性

3 ジョロウグモとコガネグモ

「2」ではクモのもつ共通項を①~③として挙げましたが、私たちの見ることのできるクモの特徴を挙げていくと、季語「蜘蛛」についてイメージが膨らんでいくと考えます。
幸いにして大歳時記には「蜘蛛」の傍題として「女郎蜘蛛」が挙げられています。このクモの特徴を捉えていけば、何か見えてくるかもしれません。

ジョロウグモと言えばメスで体長1.7㎝くらいから3.0㎝くらいの体長(体長ですので、頭部から腹部の端までの長さで、脚を入れればより大きく見える)を持ち、黄色と黒の縞々の脚、腹部に黄色やら黒やら緑っぽい色の模様があります。クモとしては大型なもので、実際に見れば嫌でも目立ちます。
腹部の派手な模様が女郎の派手な服のようにも見えるから「女郎蜘蛛」という名だと言います(「上臈」から来ている説もあります)

さて、このジョロウグモ、よく「コガネグモ」と混同されもするようです。コガネグモは、メスで2.0㎝から3.0㎝程度の体長で、腹部に黄色と黒の縞々があります。大型で目立ち、その縞々から一緒くたにされてジョロウグモと呼ばれがちなクモだそうです。

ただ、混同されつつも別々な種類のクモ。まずは、それぞれのクモについてウィキペディアのリンクを張っておきます(ジョロウグモ、コガネグモとも、画像があるので、苦手な人はお気を付けください)

ジョロウグモ→ジョロウグモ - Wikipedia
コガネグモ→コガネグモ - Wikipedia

ウィキペディアから得られたことをもとに、これら二種の共通点や差異を記していくと、典型的なクモの特徴や習性をしることができ、そして季語の持つイメージ等が湧いてくるかもしれません。私が一番注目したのは、ジョロウグモとコガネグモの成熟時期の違いで、コガネグモは初夏に、ジョロウグモは秋に成熟すること、そして、コガネグモが秋には死んでしまうという記述でした。

なかなか大型のクモに出会えないのも、なんとなく分かる気がしました。

3-1 目立つ姿は何で?
ジョロウグモもコガネグモも、黄色と黒を中心とした派手な外見をしています。この外見は、「蜜標(みつひょう)」、つまり植物の蜜を出す部分への擬態らしいです。私たち人間には見えない紫外線を昆虫はキャッチできるといいます。
蜜標は紫外線をよく吸収し、他の虫を誘因するようにできています。黄色が紫外線を反射し、黒に部分で吸収するとなると、そのコントラストで蜜を求める虫が「お、あそこに蜜がありそう」と勘違いして誘引されてしまうらしいのです(これは、クモの巣にも効果があり、クモの巣は紫外線を反射し、巣の真ん中にいるクモを暗く見せ、「大きな花がある、あそこの真ん中んが暗い、蜜があるに違いない」と他の昆虫などを錯覚させ、誘引するそうです)
なお、クモの背の色についてですが、種類によっては、黄色と黒以外にも、例えば、赤色やその色を使った柄を背に負っている種もいます。この色の違い、捕食「する」ための色でなく、捕食「されない」ための色だとも言います。例えば、鳥に対して赤色の柄を示すことで「毒があるからな!」と警告しているのだそうです。

・目立つことで捕食しよう/されまいとするあり方
・誘引効果、誘惑

3-2 「蜘蛛の巣」「蜘蛛の囲」を作る
もしもクモの巣をイラストにしなさいと言ったら、一重の巣を描く方が多いと思います。例えば、絵文字「🕸」のような、こんな感じです。
この絵文字のモデルはコガネグモの巣だろうと思います。ジョロウグモの場合、より複雑な巣を作るといいます。
ツツジなどに小さなクモが複雑な巣を作ったりもしますが(あのツツジを囲むような巣は、たぶん「蜘蛛の囲」なのでしょう)、ジョロウグモの場合、もっとでかくて豪快な規模となります。

しかし、ジョロウグモもコガネグモも立派な巣を作るのは共通です。

コガネグモは林の入り口や草地、田畑など自然が豊富な所にいます。ジョロウグモも同じような所にいますが、民家など、より人間の生活場所付近でも見かけられます。コガネグモに比べてより人間に近い環境で生きられるのがジョロウグモ、とも言えそうです。

巣の形の違いや規模はウィキペディア等に任せるとしますが、その巣を作る糸はどんなものでしょうか。

例えば、私はヤンマやセミを捕るためにクモの巣を枝の先端に絡め、トリモチ代わりにしたことがあります。オニヤンマをどうにか捕まえたかったのですが、亡き父にトリモチ作りにはずんぐりしたジョロウグモの巣を使え……と言われたことが思い出されます。いま思うと父はコガネグモとジョロウグモを一緒くたにジョロウグモと呼んでいた一派だったのでしょう。
さて、世の中には自然科学コンクールというのがあり、その中で、ある小学生が「ジョロウグモとコガネグモとで、糸の重さへの耐性はジョロウグモの方が上」「よく伸びるのはジョロウグモの糸」「粘着力が強いのはコガネグモ」といった観察記録を残してくれています(自然科学コンクール 第55回文科大臣賞 https://www.shizecon.net/award/detail.html?id=339)。
こうしてみると、自分の父も体験的にコガネグモの糸の方が粘着力が高くてトリモチ代わりにするによいと言われたのか、あるいは、オニヤンマでも取るときの経験則でものを言っていたのか……とそんな想像をしました。

さて、巣を作るクモの生態については、例えば、機織りとか織物といったイメージを起こされる場合もあるようです。
日本でなくて残念ですが、ギリシャ神話においては、「アラクネ」という存在がいます。アラクネは、機織を司る女神アテナよりも織物の腕が良く、その腕を惜しんだ女神により蜘蛛へと転生させられる、そんな話があります。
立派な巣を作り、それが機織のイメージに繋がっているわけですが、これは類想となるかも。

また、詳しくは触れませんが、巣に獲物を捕えて餌にする習性は、残酷な捕食者を思わせもしますが、幸運を捕えるという意味もあるようです。

3-3 眼
ジョロウグモもコガネグモも、眼は8つあります。反例的存在はあれど、眼が8つあるクモは多いようです。
そして、その眼の作りは、複眼(たとえば、トンボの眼を拡大してみると六角形が集合していて、その六角形それぞれが一つの眼で、眼の集合体が複眼)ではなく、クモは単眼(複眼が眼の集合体なら、クモの眼は、眼に見える部分がちゃんと一つの眼)です……それにしても、眼が8つもあればどんな見え方をするのでしょう?
見え方については良く分かりませんが、視力は大して良くないらしいです(一方、ハエトリグモ辺りでは、正面を向く眼の視力は良いとも言いますが)。これは、クモの巣に獲物が引っかかった時に、振動を察して頼りにして、食餌に向かうから。
じゃあ、なんで眼が8つもあるのか?
8つ眼があることで、クモの視界は広くなります。その焦点は、頭の上にあるらしいです。
ここで思い出したのがシマウマ。シマウマは顔の横に目が付いており、真後ろ以外はカバーできる視界を持っています。その角度、350度。ライオンやチーターなどに捕食される側としては、食われないように天敵をキャッチしやすいように進化したのでしょう。
では、クモは?
巣を作り、振動で獲物をキャッチしつつも、ぼんやりながらも広範囲をカバーする視界があることで、より正確に獲物の位置を把握するのか?もしかすると、鳥とか蜂といった天敵を察知するために視野が広いのか?
それとも、巣を張り、振動を頼りに獲物を捕らえることから、進化の中で眼を8つに増やしながらも、複眼になって視界を活かすのを諦めた……今回、視力が良くないどころか、その眼は殆ど見えていないとする文章にも出会いました。
ともあれ、眼は8つの種が多いこと。写真を拡大すると、蜘蛛の眼って案外綺麗で、宝石のようにも見えます。そんな句もあって良いかと思います。

3-4 大きく派手な雌、小さく地味な雄
ジョロウグモやコガネグモに限らず、クモは雌の方が大きいというのは有名だと思います。
ジョロウグモだと雌は雄の2倍以上、コガネグモだと5倍の体長となります。当然、雄雌で大きさがあまり変わらない種もいたり、中にはオスの方が大きい種もいるようです。

体色については、雌の方が派手なことが多いです。コガネグモの雄は雌の縞模様に対して、茶色一色です。
先に、クモの体は獲物を誘き寄せる色であり模様をしていると書きました。そして、雌は体が大きいとなれば、大きな体を維持するためにも派手な体となったといえそうですね。
体が大きいことで何に有利かというと、より多くの卵を産めることで、繁殖能力が高くなるということ。例えば、ジョロウグモは秋に木の幹や建物の壁に、白い(いかにもクモの糸で作られた雰囲気があるのですが)歪なドーム状の卵嚢を作ります。コガネグモはコガネグモで卵(卵塊)を産み、糸でぐるぐる巻きにして卵嚢を作り、巣の端に下げておくといいます。
体の大きさもさることながら、より多くの餌を捕食した雌の方が、より多くの卵を産め、ジョロウグモの場合産卵数は1000弱から2000超と栄養状態によって随分左右されるようです。
雄は、産卵しない分小さいままで進化をしなかったのか、それとも小さく進化したのかは良く分かりません。ジョロウグモもコガネグモも、成体になると自分で巣は張らなく、雌の巣に住むようになり(居候?)雌との交接の機会を窺うようになります。
雄は、雌との交接の際に捕食されてしまうリスクを抱えてもいます。コガネグモの雄は雌の機嫌を窺うように巣を揺らして交接できるか探るといいますし、ジョロウグモは雌が脱皮した直後を狙って交接を試みるといいます。失敗すれば子孫を残すことも許されず、死のリスクが伴うのがクモの雄だとも言えます。

・雌が大きく派手
・雄は小さく地味
・雌に食われかねない雄の、雌のご機嫌を窺ったり、脱皮後を狙っての交接に慎重と言えば聞こえばいいけど、せこさや卑怯さを感じるかも。
・命がけの雄

3-5 蜘蛛の子
クモの子たちは卵嚢の中で孵化します。ジョロウグモなら孵化してそのまま卵嚢で越冬する、コガネグモについては産卵時期によって卵嚢から出てきて活動するか越冬するか違うようです。お母さんグモはしばらくの期間卵嚢を守りますが、寿命が尽きたりしてやがていなくなります(初夏など早めに出産したコガネグモについては、卵嚢を守り切って子グモたちが出てきてから死ぬこともあるようです)。
卵嚢から出てきた子グモたちは、団居(まどい)を作る場合があります。必ず作ると言えないのは、ジョロウグモもコガネグモもさらに下位分類(例えば、コガネグモと近い種にはナガコガネグモがいますが)があり、種によっては団居を作らない種もいるからです。
さて、団居。一見小さなクモの巣が葉や壁に貼りついていて、なんとなく繭っぽくも見えます。近づくと透けており、中には子グモがたくさんひしめいている。見て決して可愛いとは言えないものでしょうか。ただ、この団居にエアダスター等で空気を送ってみると、子グモたちはワーッと散り散りに逃げます。やがて戻ってくるのですけども、一連の流れを見てみるのも面白いものです。
卵嚢を傷つけたり壊しても、子グモたちがワーッと散り散りに逃げる様子は見られますが、はて、「蜘蛛の子を散らす」とは、卵嚢から散っていくのか団居から散っていくのか、分からなくなってしまいました。
言えるのは、子グモたちは卵嚢や団居で集団生活を送っていること、散り散りに逃げるのは、まとまって逃げると外敵にまとめて捕食されたりするので、そのリスクを軽減するためでしょう。
反対に、この団居に蠅でも引っかかったら、一旦はみんなでわーっと逃げつつも、「あ、ごはんだった!」と今度はわーっと群がって皆で分け合うようです。
上の段、可愛らしく書いたつもりでしたが。今回、この文章を書いている期間に職場の喫煙所の外壁に団居の後を発見しました。抜け殻らしき茶色ぽいものだけ残って綺麗なものでなく、触るのは憚られましたが‥‥‥横から見ると明らかに蠅らしきものの死骸が残っていて、これを突いたら中身が無かった、皮だけポロポロと崩れ去りました。クモは糸で獲物をぐるぐる巻きにして動けなくして毒を注入し、中身をドロドロにして吸いますが、団居の小グモたちも同じことをやったんでしょうか?
小グモたちは、一度脱皮するなどして、少し大きくなると、団居の中の先導役がより高いところに登りだします。そこに子グモたちは付いていき、ある程度の高さに来ると、「バルーニング」といって、子グモたちは風に乗りそれぞれ散っていきます。
小さなクモたちの独り立ちの時です。

・母性
・子供たちを見守って死ぬ
・集団生活
・生きる知恵
・独り立ち

4 蜘蛛のイメージ

ジョロウグモやコガネグモに触れながら、句に役立ちそうなイメージを挙げてきましたが、ここではこの二種に限らないイメージを書いていきましょう。

・不快害虫でも益虫
俳句ポストの兼題が発表され、また、〆切が近づくにつれ、Twitter界隈ではクモは苦手だ、ハードルが高い、というコメントをちらほら見ました。そりゃ、8本も脚があって8個も目があって、巣を張って捕食する習性、いざその巣が自分にまとわりついたら確かに触覚的に不快だし、毒があるというイメージも働いて、蜘蛛がダメという方は多いと思います。

・苦手意識も句材にならないか
・意外なところで蜘蛛に出会ったから心臓バクバクになったというのも俳句のタネではないか

けど、益虫という側面もあるのは確かです。アシダカグモはゴキブリをはじめとした虫はおろか、小型のネズミすら捕食するといいます。ゴキブリもネズミも衛生的には好ましくない存在です。この点では益虫であり、隠れた正義の味方、でも、見た目はアレです。

・益虫であり、役立つ
・正義の味方
・見た目に反していいやつ

・神さま仏さま、物語との関係
先に記した中、ギリシア神話のアラクネについて軽く触れました。
日本で有名なのは、やはり芥川龍之介「蜘蛛の糸」でしょうか。お釈迦様が
犍陀多(カンダタ)に対して地獄から出られる最後の一縷として、蜘蛛の糸を使っています。「蜘蛛の糸」にも元ネタがあるのではないかと言われますが、罪深き者への最後の望みを与える存在として「蜘蛛の糸」のような話はこれまで結構見てきた気がします(例として挙げれば、手塚治虫「火の鳥 鳳凰編」の序盤は露骨なくらい「蜘蛛の糸」をイメージさせられます。主人公が自分自身にとっての蜘蛛の糸を殺めてしまってからが本題ですが)
他、腕が六本あり脚が二本ある阿修羅。仏教の守護神です。蜘蛛の化身という記録が残っているわけではないらしいですが、興福寺の阿修羅像(私が見たのは地元の博物館で見たレプリカですが)を見たとき、像の腕の細さに蜘蛛を思ったところです。思っていた以上に細く、作った人の技術にほぉとため息が出ました。これだけでなく、自分と同じように阿修羅が蜘蛛と関係すると感じる人は、特にウン十代以上の男に多いかと思います。根拠は「キン肉マン」の人気キャラの一人、アシュラマン。この漫画の作者が阿修羅=腕+脚で8本だから蜘蛛の化身の超人としてキャラクターを扱ったのも頷けそうです。
神の遣いだとか人気キャラだとかを紹介しましたが、これらの一方、やはり忌避される存在の喩えとして蜘蛛は使われてもいます。例えば、古事記には倭国の王(要は天皇)に敵対する土着の人々を土蜘蛛呼ばわりしていることがチラホラあるうえ、妖怪にも「土蜘蛛」というのがいたりします。こんな蔑称を見ると、昔の人も蜘蛛が嫌だったのかな?などと思えたりしますね。
実際に存在するツチグモ科のクモたちには申し訳ない話です。
また、私は仙台に住んでいますが、自宅から車で15分くらいのところに「賢淵」という場所があります。そこではクモの妖怪が現れて、淵に男を引きずり込むという怖い伝承が残っている一方、この伝承からつながって、クモを水神扱いにもしていたりします。
もしかすると、地方によってはこのようなクモの伝承が残っているかもしれませんね。

・神の遣い
・個性ある姿からのキャラクター化
・昔から嫌われ者だった一面も
・地元にクモの伝承があるならラッキーかも

・朝の蜘蛛は殺すな、夜の蜘蛛は殺せ
朝に出会う蜘蛛は生かしなさい、夜の蜘蛛は殺しなさい、そんな内容の話を聞かされたり読んだりした方も多いかもしれません。
朝のクモを殺すなというのは、クモが巣を作って獲物を捕らえる、つまり、商人にとっては客を捕らえるというイメージからだ、という説からだといいます。お客様を巣に絡めて儲けようという。
一方、夜のクモは殺せって、朝夜で態度を変える人間こそが怖いものですが……「夜の蜘蛛は盗人の先達」という言葉があります。先達とは簡単に言ってガイド役のこと。クモが巣を作るのは夕方からです。つまり、夜に蜘蛛が巣を張っているところには、盗人が「この店は閉店作業の時に蜘蛛の巣を払ってないようで、隙があるな」と思って寄ってくる訳です。
なお、クモは夜の間に巣を作ります。私は、朝になり、カーテンを開けると蜘蛛の巣ができていて、びっくりした経験がありました。
クモが巣を作る時間帯について、ちょっとふれたついで。クモが巣を作るにあたっては、湿度が低く、風も穏やかなとき。朝にクモが巣を作っているようなら、その日は晴れです。朝グモを殺すなというのは、今日は晴れて仕事にしろ休みにしろ良い一日を予告してくれてるのだから、その予告者であるクモを殺すなよ、という意味もあります。

・朝のクモは晴れの予兆、客もいっぱい来るだろう
・夜のクモ=小さいようでも盗人が来るような隙であり荒れを呼び込む

・どんなところにクモがいる?
例えば、コガネグモは草刈りなど人の手が入っていない草地や荒れ地、ジョロウグモは、コガネグモの生息地に加えて、人間の家屋でも掃除の行き届いていない場所にも生息域があります。
荒れ地、そこから発想の結びつきやすい休耕地や空き家や廃屋、あまり人のこない裏庭だとかあまり開けない窓の外、無人駅の隅など。ベタな場所は色々あります。荒廃だとか、昔往来が盛んだったところの人気が途絶えて今は、蜘蛛の巣があるくらいだ、というような句は、恐らく類想でも筆頭格に来ると思います。

・人の出入りのない
・荒廃

・玩具や娯楽としての蜘蛛
蜘蛛の子の団居にエアダスターをかける……という話を、私は前段で書いています。この行為、今回、やってみると面白かったというのが本音の一部でもあります。団居にエアダスターを、かける、のではなく、噴射する、とクモの子達は逃げるより前に地上に落ちたりもしますが。ともあれ、クモにはちょっと申し訳ない悪ふざけでした。いや、これはまだまだ善良な方で、ゴ……やめます。
さて、この一方、たまに休日の夕方あたりの時間帯、蜘蛛相撲なるものが全国ニュースで流れたりもするのを思い出しました。
例えば、高知県四万十市の観光協会のウェブページを見ると、全日本女郎ぐも相撲大会なるイベントが開催されています。使われているクモがどう見てもコガネグモだというのはおいておき、クモ同士を戦わせて遊ぶのは娯楽としか言いようがありません。イベントしまんと~第70回全日本女郎蜘蛛相撲大会 The 70th Spider Sumo Tournament ~ - YouTube
人間にとってクモとは?と考えたとき、こんな一面もあるのかな、というヒントをくれるかもしれません。


5 最後に(「蜘蛛」の傍題の範囲と自分の選句基準)

ここまでいろいろ調べたり、たまたま用水路の上に巣を張っていたコガネグモを捕まえて観察して文章を書いてきましたが、一人の力ではそろそろ限界が来ました。

そこで、最後に今回の投句における私の指針だけ記して文を終えます。

「蜘蛛」について、俳句ポスト365 (haikutown.jp)では、傍題として、蜘蛛の巣・蜘蛛の囲・女郎蜘蛛・蜘蛛の子・袋蜘蛛・蜘蛛の太鼓が挙げられています。これらの季語、角川ソフィア文庫の俳句歳時記では確かに「蜘蛛」の傍題として挙げられていますが、角川大歳時記(生憎と2006年版なのですが)では、「蜘蛛の囲」「袋蜘蛛」「蜘蛛の子」は蜘蛛とは別に項目が立てられていました。これは、新歳時記でも同様です。
また、蜘蛛が「クモ目の節足動物の総称」(俳句ポスト365)であるなら、今回傍題として取り上げられていない「蠅虎(はえとりぐも)」もクモ目ですから、ギリギリOKなのでは?とも考えもしました。
しかし、俳句ポストには「傍題の使用も可ですが、まずは兼題と真正面から取り組んで」とあります。
そこで、選句の際には①「蜘蛛」が季語として組み込まれている句を選び(句を作るにあたり、「蜘蛛の糸」「蜘蛛の囲」を季語にしていたり、蜘蛛よりもその糸や巣に着目されそうな句は避けた)、また、②季語「蜘蛛」を「蠅虎」とした方が良さそうな句は避けることとしました。

長い文章となったわりに、尻切れトンボとなったかもしれません。
ここまで読んでくださった方にとり、少しでも句作の参考になっていたら幸いです。

参考文献
「クモの奇妙な世界」(馬場友希) 家の光協会
・この文献を最大資料とし、Wikipedia(https://ja.m.wikipedia.org/)を初め種々雑多なWebサイトを参照した。

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