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季語「夏休み」

季語「夏休み」(晩夏・生活の季語)
角川大歳時記(2006年版)によると「夏季の休暇」。児童・生徒・学生では、「暑さで学習効果があがらぬため、休みとし(中略)独自の過ごし方が」可能な期間。
社会人でも、盆前後、または小中高生が夏休みの時期に、まとめて休暇をもらえれば、気分は「夏休み」となるでしょう。

「夏休み」という季語は、角川の歳時記では生活の季語に振り分けられています。確かに、学業なり仕事なりの本業に勤しんでいる中の「休み」(しかもまとまった期間)です。しかも過ごし方は基本的に自由。実際、歳時記でも「大人にも子供にも楽しい」(角川大歳時記)、「自由に時間をすごす夏のたのしい長期休暇」(新歳時記)とあります。季語の本意のひとつに「楽しさ」「期待」といったものが含まれるのは確かだと思います。

しかし、ちょっと考えてみましょう。
楽しくなかったり、期待を裏切られるような夏休みもあるかも知れません。
自分のこと(そして、我が子のこと)から例を挙げれば、5年前の夏休みはなかなか忘れえぬものです。
その年は、私の仕事の休みに合わせて、旅行に行く計画を練っていました。海辺のコテージを予約して、子ども用の釣り具を揃え、泊り先までのルート、近くのスーパー等を調べて、と着々と準備を進めていた矢先、暗転、ばたばたと葬儀屋や寺に連絡し葬式の段取りをつけ、子ども用の喪服や数珠を揃え、葬儀場の近くのスーパー等を調べるという事態になってしまったのです。
我が家の5年前の夏休みは、期待が裏切られ、楽しさもへったくれもなくなった夏休みだったのでした。
我が家の例は極端な例かもしれません。ただ、「夏休みになると子どもが毎日家にいて自分の時間がとりにくくなる」とか、「疲れるだろう」とか、あるいは、「友達と会えない、遊べない」、下手すれば「ごはん、どうしよう、給食・・・・・・」といった、心配や不満といったマイナスの期待をする人もいるかもしれません。
また、楽しみにしていても、いざ夏休みを迎えてみれば平板で退屈な毎日が待っていたのかも分かりません。例えば、「なつかしの小学校図鑑」(奥成達、いそっぷ社)という本には「家にいたって暑いし、外に出ればますます暑い。(中略)退屈を持てあます日が何日も続いた」とか「夏休みの長さは子どもにとってしんどく辛い時間だったのではないだろうか」といった文章があります。
加えて、自由に過ごせる期間とはいえ、決してそうではない部分がありました。今どきはやっていない地域も多くなってきた、義務ではないはずなのに同調圧力的な義務感が生じていた、ラジオ体操。一日当たりの量に換算すると普段の宿題より量が多かった夏休みの宿題。とんでもなく細かいパーツが多く、組み立てに細心の注意と時間が必要で、労力で言えば相当なものだけど、プラモデルを提出すると突っ返される自由研究。平板な日々が多いのに毎日つけないといけない日記など。言ってみれば、夏休みならではの足枷であり不自由さ。
家によっては、手伝いを通り越して労働力としてこき使われたりするとか、そういったこともありえそうです。

ただ、こういったマイナスな面も呼び起こすのが「夏休み」という季語の力だと思います。楽しかったこと、そうでなかったこと、夏休みはそれなりに長い期間ですから、そこにあったことは人それぞれ、色んな記憶であり思いを呼び起こすのが「夏休み」という季語だと思います。

最後に。句作の上で。

夏休みは、時候の季語に近い特徴もある季語だと思います。理由は2つ。
1つ目。期間を示す季語だから。例えば学校。(地域差はありますが)7月下旬から8月下旬~末までという期間が夏休みになります(この点、期間だけ切り取れば、歳時記では夏の季語となってますが、晩夏から初秋にかけての季語と言えそうです)。
2つ目。映像がないこと。夏休みという期間は、暦に書きつけて読み取ることはできたとしても、あくまで目に見えないものです。時間を可視する超能力者でない限り。

ここで、「NHK俳句 夏井いつきの季語道場」(NHK出版)から季語の六角成分図を思い出してみます(この成分図については、私の文章を読んでいる方なら既知であると思うので、説明は略します)。これを自分なりにつけてみると、視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚よりも、想像力が突出する結果とな
りました。

つまり、夏休みという季語を前にしたときに、想像力以外の五感に訴える十二音と組み合わせるとそれなりに句はできる、と考えます。例えば、適当に

「夏休み山のお寺の鐘が鳴る」
「夏休み移動図書館巡回日」

なんてものが浮かびました。
ただ、寺の鐘は一年中鳴るだろうし、夏休み以外にも移動図書館は巡回してくるだろう。
何かしら五感に訴える措辞と組み合わせたとき、「夏休みらしさ」がそこに感じられるか、共感を示してもらえるのか?また、

「夏休みラジオ体操してごはん」
「夏休み空白多き日記帳」

夏休みと言えばラジオ体操であったり、日記といったものは類想ベタベタなところでしょうか。先に長々と夏休みの楽しみばかりでない部分を書き連ねましたが、その辺りも含め、類想の幅も広い気がします。
この辺りは、身近な人に、夏休みの思い出を話してみたり、自分の夏休みの思い出をできるだけ詳しく文章にでもすると、そこに類想に根差して多くの人に共感してもらえ、かつ、オリジナリティのあるキーワードが見つかるかもしれません。

さて、結果発表時、どんな夏休みに出会えるのでしょうか?ちょっとワクワクしています。

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