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恥という感覚:私は恥ずべき存在だ、というビリーフ

「休めない」って何だ?セルフセッションをしてみた



昨年からずっと引き続き、走り続けた2月3月だった。
最初は走りたくて走り出したはずだった。
その前からずっと走っていたのかも知れない。そもそもいつから私は走り続けていたんだろう?



「休めない」自分はいつも課題だった。いつだって思考が頭の中でぐるぐるしている。考えることを考えている。休んでいるときも考えている。
そんな思考センターのエニアグラムタイプ7の自分あるあるは、スケジュール帳がいつも真っ黒で朝から晩まで予定を入れる、というものである。
ってゆーか予定が勝手に自動的に入ってくる、の方が正しい。


考え過ぎてウツっぽくなって初めて疲れに気付く。(意味もなく涙が出たり、ベッドから起き上がれなくなる)そうなって初めて「おお、ちょっと休まんといかん」とペースダウンすることはあっても、重要案件をこなしていくことは細々と引き続きやる。


ペースダウンのため、中小地味案件を多少先延ばしてほくそ笑むものの、結果また新たな重要案件とブッキングし、結局休めなくなる。


どんな案件でも、「どうか頼む、マシンのように働いてくれ!」と言われたことなど一度もないのに。



この「休めない」ついて先日セルフセッションをしてみた。かなり強引だけどちょっと載せてみる。





休めないということについてどう思ってるの?
 

・休まずにいるのは自分で選んでいるんだよ、誰も悪くない
・休んではいけないの
・休むなら合間に適当に休めばいいし
・ひとり時間なんていらんし
・無駄じゃん
・合理的じゃないじゃん


そうか。休んではいけないと思ってんだね。

私にとって「休む」って何だろう?
休んだら一体私はどうなってしまうの?

私にとって休むって何もしないこと。
絶えず脳を動かし続けなければ、何かをしていなければ落ち着かない。
じっとしていられないの。
休んだら、私は止まってしまう。価値がなくなってしまう。
価値のない私はここにいてはいけない。
誰かが去って行くような、そんな感じがする。



この寂しい感じ、自分が悪いんだって思う感じは、母が弟を産んですぐに、1歳ちょっとの私を残し弟と二人で実家に帰ってしまった出来事かな、と思い至った。
もちろんこの事を私は覚えているはずは無い。私が結婚するとき、母が懺悔のようにして伝えてくれた出来事。記憶は無いのに、なぜか母を探して一人で上がれない2階を見上げている自分が思い浮かぶ。


このところ出てくる諸々の思いは、この辺りへの心象風景、その時感じていた感情なんかにアプローチしていく時期なんだろうなーと思う。


自分は大切に扱われる存在ではない、私は恥ずべき存在だというコアビリーフ



価値のない私はいちゃダメな存在なんだね。

その感じをグググーーーっと自分の体で感じてみる。
胸の中に小さく丸まった何かがいる。
非常に切ないような、情けないような、悲しみに似ているがあきらめてもいるような、丸い塊。

それはこう言ってる。
「私はそもそも大切に扱われる存在ではない」


へぇ。すごい。確かにこれはある。
昔からなぜか自虐的なところが私はあった。
自分の失敗をネタにして笑いを取ったりしてきたし、好きな人には嫌われるようなことをして、本当に愛されているのか試したりもしてきた。


そして、私は自分の本来の性質を、自分の存在そのものを「恥」だと思っているようだ、と気付いた。自分にそんな感情があるとは意識していなかった。「恥」なんてもの、今まであまり感じたことがなかった。


罪悪感は昔からあった。それは自分の行動が世間や社会や自分のルールから外れるときに生まれていた。心を学び自分のジャッジやルールが緩んできたら罪悪感は感じなくなった。今は多少は出るけど、自覚的になっている。


「恥」だなんて。
なんだ、このこの恥ずかしい感じ。ここにいてごめんなさいって感じ。私がいる(恥)からみんなが困る(罪悪感)という感じ。
居心地悪いこの感じをじっくり観察していたら、ギョギョギョとなるものが出てきた。


ヘラヘラと薄ら笑っている。
実体があるような、ないような、ふわふわしてて、布のような感じ、グレーのお化けのような感じ。

なんだこれ。
小さくて弱くて、ヘラヘラしてる。
なんか色々ごまかそうとしてる。
姑息なヤツだ。
すごく狡猾でズルい。

これの正体、わたし知ってるんだ。
これは認定試験の時に浮かび上がった私のダークサイドだ。
あやさんが見つけて言語化してくれた子。


ダークサイドと共にいる


「卑屈ちゃん」


今はこのビリーフをそう呼んでいる。


マジで気持ち悪いしものすごく居心地が悪い。
胸の中がザワザワしているし、ここに居られない感がおびただしいけど、今は出てきたそのままにしている。


人との会話の中で、あ、「(卑屈ちゃんが)出た」と気付くときがある。

くそ、コイツ見とけよ、と思う時もある。
あら、出ちゃった、と思う時もある。

ビリーフが面白いのは、思考でコントロール出来ないことだ。
ビリーフは潜在意識にあるので、5%の顕在意識でなんとかしようとしても、どーにもならん。

だから、放っておく。この子は他に行くところがない。
だから今は私の周りをウロチョロしているのを放っておくしかない。超キモいけど。


そんで相変わらず、私は休んでない。本当の意味で何もしないことは出来てない。休むのは下手なんだな。
そりゃそうだよ。今まで「休むは悪」そう信じて生きてきたんだから。鍛錬がいる。これこそ心の筋トレだ。
少しずつ自分の中で感じが変わってるのは気付いているから。


今後「卑屈ちゃん」の正体が明らかになっていくのだ。
乞うご期待。


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