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青緑党

 わたしは長いこと、青緑党員でありました。すなわち、どの色が好き、と訊かれたら、必ず青もしくは緑と答える党の所属でした。青は空と海の色、緑は木々の緑であるからです。サイコーです。今でも大好きです。しかし、最近は赤やピンクやオレンジも綺麗と思うようになってしまいました。堕落であります。
この文章は、わたしがいかに青緑党員となり、そして党から抜けることになったかを綴るものです。

 日本でエッチな色といえばピンクだけど、スペイン語圏では緑らしい。それを知ったとき、意外だった。色に対して覚える気持ちは本能的なもので、万国共通だと思っていたからだ。日本のお絵かきで、太陽は赤く塗られるけど、欧米では黄色らしいから、色に対する印象って文化に影響されるわけだ。(ということは、赤色を冷たく、青色を温かく感じる文化圏もあったりするんだろうか?) 

 子供の頃、すなわち、昭和40年代、わたしはクレヨンを小人に見立てて遊ぶ時、赤・ピンク・オレンジを女の子、青、緑を男の子にしていた。そして、ランドセルには黒と赤の二色しかなかった。「どのランドセルがいい? 」と訊かれたので、黒がかっこいいと思って指さしたら、母がとても困った顔になり、結局、赤を買うことになった。あの時のがっかりした気持ちは今も覚えている。本当は選べないんだったら、選べるようなことを言わないでほしい、と思った。

 ランドセルだけではない。母はわたしにピンクやオレンジの服を勧めることが多かった。それは時代の常識だったのだから仕方ないとして、わたしが問題にしたいのは、服だけでなく、子供部屋もまた、カーペットもカーテンもみんなピンク、それも淡い色ではなくて、ショッキングピンクであったことだ。

おお、母よ! 勉強のための雰囲気づくりを考えたとき、それはいったい、適当なチョイスでありましたでしょうか。後年、カーテンを落ち着いた柄に変えることができたとき、わたしは心底、ほっとしたのですよ。
 
 そんなわけで、子供の頃は色をめぐって、母とはいろいろ衝突があった。女の子なんだから、という決めつけが本当に嫌だった。わたしが青や緑が好きなのは、空や海、樹木の色だからというだけでなく、女の子という枠には入りません、という無意識の宣言でもあった。だから、わたしは長いこと、自分の意志で暖色系の服を買うことがなかった。インテリアもモノトーンを選ぶことが多かった。

 オレンジのタートルネックのセーターがほんとうに綺麗だと思って買ったのは、娘がずいぶん大きくなってからだと思う。以前から、他の人からオレンジが似合うと言われることが多かったのだが、わたしはそれを無視していた。わたしは、わたしらしさを貫こうとして、それと反対側にある何かを抑圧してもいたのだ。泣き虫で怒りんぼなわたしとって、青や緑は死守すべき冷静さの象徴で、赤やピンク、オレンジは、わたしが制御できなくなることを恐れる、熱情、感情のシンボルだった。

 母とゆっくり話す機会があった時、どうして部屋がピンクだったのか尋ねてみた。「わたしが小さい頃は物がなかったし、綺麗な色のものなんて、なかなか買ってもらえなかったから、自分に子供が産まれたら、可愛い女の子らしいものをたくさん買ってあげたいと思ってたのよ」
 ああ、そういうわけだったのか。なんだか、しみじみしました。母は終戦直前の生まれです。

「でも、服は、あなたの好きな緑でつくってあげたじゃない」
 言われてみれば、全身、緑の服を着た写真が残っています。そう、嫌だったことは覚えているのに、してもらったことは、けっこう忘れているものなんです。今、冷静に考えてみると、当時にしてはむしろ、子供のやりたいようにさせてくれた親でした。黒地に虎柄のTシャツを着て、弟が買ってもらった阪神のキャップをかぶって遊びに出かけ、「坊主、そこをどけ」なんて言われたこともありましたから。

 そういうわけで、わたしの後半生は、赤やピンク、オレンジとの仲直りの日々だった。ピンクは桜の色だし、赤とオレンジは夕焼けの色だ。サイコーだ。

 道ゆく小学生の背中のランドセルがカラフルになったのはいつからだろう。娘のランドセルを買いにお店にいったら、それはもう、さまざまな色が並んでいて壮観だった。娘は大好きな水色を選んだ。

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