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家族と自分

 我が家は物が多い。裕福だからと言うことではなく、安物がいっぱいあり、かつ捨てられない性分なのだ。これは妻も私も一緒だが、妻の方がその傾向は強い。

 そして私もではあるがどうも片付けが苦手らしい。洗濯機の上に洗濯物が散乱していたり、キャップの開きっぱなしのボトルがそこら中に置いてある。中身が入っているのにだ。

 こんなに散らかっているのに私と妻でもそれぞれ感覚が違うようで、お互いにこだわりのポイントがずれている。そこに軋轢が生じ、ちょこちょこと口論になる。

 妻はベッドの上で子供が跳び跳ねたりするのがとにかくイヤな様だし、私は私で食卓やキッチンの回りに食べ物の欠片が落ちているのが気になって仕方がない。お互いに、相手の気になることはさして気にならないことだが、当の本人はイライラしている。

 家族と言っても同じ家で育ったわけではないし、過ごしてきた日常も環境も何もかも違う訳で、価値観が違うのが当たり前だ。もともとどこ吹く他人の風だ。

 ある時ふと考えた。家族がいないまま過ごす日常だったらどんなに自由で気ままだろうと。 

 私は独身が長かったこともあり、一人でいることに慣れているし心地も良い。どこかに出掛けるにしても自分の準備だけすれば良いし、何を食べるのも自由だ。そして何をしようが怒られることもない。ゲームだって何時間でも出きるしテレビも占領されることはない。想像するに解放感がすごい。

 そうやって考えを巡らせているとあることに気づいた。

 一人でいるのは自由だが、怒ったり悲しんだり大笑いしたりすることもまた少ない。

 毎日毎日の日常が過ぎていくけども段々と刺激が減り感情の起伏も少ないモノクロの様な日常になっていく。

 家族といる日常は思いどおりにはいかないけど、笑ったり怒ったり悲しかったり感謝したり、色々な色で彩られている。

 その瞬間瞬間は口をききたくなくなったり不自由なストレスを感じるが、後になってみれば良い思い出だったりもする。


 そう思うと毎日毎日、妻や子供にムカついたりイライラすることもいっぱいあるけど、これはきっと『ゆたか』なことなんだろうな。


#ゆたかさって何だろう

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