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元ちとせ アルバム『虹の麓』リリース記念 スペシャルインタビュー

オリジナル・アルバムとしては14年ぶりとなる元ちとせの新作『虹の麓』。今年でデビュー20周年を迎えた彼女にとって大きな節目である作品が、まさか世界がこのような状況下で生まれることになるとは思いもしなかっただろう。しかし、というかだからこそ、彼女でなければ歌うことのできない、彼女でなければ表現することできない歌が一堂に会したアルバムとなった。

「前から『20周年はこういうことをやろう』みたいな話をスタッフとしてたんですよ。もちろんアルバムの話も含めて。で、ちょうどそういう話し合いを始めた頃にコロナが来て、ライヴはどんどん無くなるし、話し合い自体も集まれないからなくなって。誰かとご飯を食べることもできないし、いろんなことが不自由になっていって。例えばレコーディングも今までみたいに集まってできないし、今回初めて曲を書いてくださったのに直接お会いすることができない方もいて。そういう意味ではすごく難しい環境での制作でした」

 長年、奄美と東京という物理的に距離が離れた中で音楽活動を続けてきた彼女でも、移動の制限や人に会うことができないコロナ禍での制作には大変難儀したようだ。ましてや今回、坂本慎太郎や折坂悠太といった楽曲提供したアーティストたちとのやりとりもデータやオンライン上だったという。普段はボーカル以外のパートでも積極的にレコーディングに立ち会うことで、楽曲を身体に染み込ませようとする歌い手だけに、その苦労はさぞかし大きかったことだろう。

「なんとなく曲を集め始めたのは2年ぐらい前だったんですけど、コロナがやってきて今まで当たり前だと思っていたいろんなこと——日々の暮らしとか普段の生活が、どれだけかけがえのないものだったのかというのを誰もが感じたと思うんですよ。もちろん人に直接会わなくてもできることが増えたり、移動しなくても済む、みたいな新しい利便性も生まれたかもしれないけど、やっぱり私は人と会って一緒にご飯を食べたいし、レコーディングもみんなで集まってやりたいし。そういう当たり前だったことってものすごく大事だったんだなっていう思いに寄り添えるようなアルバムにしたいと思って」

 ちなみに元ちとせは戦後70年にあたる2015年に『平和元年』というカバー・アルバムを発表している。これは平和への思いを歌に込めた作品で、2005年の坂本龍一とのコラボレーション曲「死んだ女の子」と同様、「戦争の記憶を風化させない」という大きなテーマを擁した一枚だったのに対し、『虹の麓』は彼女の発言の通り、ごく当たり前の日常や暮らしに目線が注がれたアルバムとなっている。

「あとはやっぱり、20周年という節目で、今の自分の声というものをここちゃんと残しておきたいっていう思いは最初からありました。この20年で、自分の声も歌い方も変わったし、自分自身が親になって感じたことや社会との関わり方も変わって。そういう変化を経た自分というものを残したいって」 

 さらにオリジナル・アルバムの発表が2008年の4thアルバム『カッシーニ』以降途絶えていたことについては、「ワダツミの木」を手がけたプロデューサー・上田現の存在の大きさが少なからず影響しているようだ。『カッシーニ』のリリースを待たず帰らぬ人となった彼のことを、彼女はこう振り返る。

「彼が不在のままオリジナル・アルバムを作ろうっていう思いにはなかなかなれなかったところはあります。それよりもあの人の才能と作品を受け継いだ者としての使命感というか、その思いを太くしたい……みたいな。だから……これは現ちゃんが亡くなってからよく思うことなんですけど、震災とか災害とか人間の平和を脅かすような出来事が起こるたびに『現ちゃんだったらどんな曲を書くんだろう?』って想像するんですよ。それこそ今みたいな世の中を見たら、どんな曲を書くのか……みたいなことは一人のファンとして思ったりします」 

 今回のアルバムには、間宮工やHUSSY_R、田鹿祐一といったこれまで元ちとせの作品に名を連ねてきた作家陣に加え、前述した坂本慎太郎や折坂悠太を始め、LITTLE CREATURESの青柳拓次、長澤知之、さかいゆう、冥丁といった豪華クリエイターが参加。新しいソングライターとのコラボレーションは、彼女にとってプレッシャーを感じながらも、歌うことに対する新たな扉を開けることになったようだ。一聴すればわかるが、その歌と声は往年のキャリアに胡坐をかくようなものではなく、むしろ瑞々しさにあふれている。20周年にして彼女は新しい声を自らの手で掴みとった、そんな印象を受ける。

「今回はどの曲も新鮮に感じるものが多かったですね。あとはやっぱりプレッシャーも(笑)。だって折坂さんもそうだし長澤くんもそうだけど、彼らはシンガーソングライターなので、当たり前なんだけどご自分が歌ったデモが私のもとに届くわけですよ。それを聴くたびに『これを……私の唄にするためにはどう歌えばいいの?』みたいな(笑)。それぐらい曲の中に自分を見つける作業に苦労しました」 

 折坂も長澤も個性的な声を持ったアーティストである。その声に代わって自分が歌う理由を見つけることは、技法や経験以上に自分自身に「歌うこととは何か」を問いかける必要があったのだろう。そうして手にした彼女の新しい歌の表現は、これまで以上に曲の世界観や物語に、彼女自身が寄り添っている印象がある。

「例えば無機質だったり淡白な声であったとしても、言葉の置き方とかリズムの取り方によっては、むしろストーリーの語り部みたいに歌うことができるというか。それって技術とか経験でできることかもしれないけど、自分の中での曲との向き合い方がすごく大事だなって思うんですね。実際シマ唄もそうで。いろんな人たちに歌い継がれてきたものじゃないですか、シマ唄って。そういう人たちの人生経験が詰まってる歌い方なので、そう簡単に真似できるものじゃない。だから自分から歌を掴みに行くというか、迎えに行く感じで。それを今回強く実感しました」 

 そんな苦労の末に完成したアルバムは、上質な衣類に袖を通したような肌なじみの良さがあって大変に聴き心地の良い作品となっている。しかしそれは日常生活に自然と溶け込んでいくような普遍性を持ちながらも、片隅には死生観や「もののあわれ」のようなものが縫い込まれていたりもする。見過ごすことも目をそらすこともできない現実があるからこそ、祈りと願いを込めて何でもない日々の感情を綴った歌。それが『虹の麓』であり、20年の節目を越えた元ちとせがスタートさせた音楽人生の第2章なのかもしれない。

「私にとってのシマ唄がそうなんですけど、人生の中での御守りみたいな一枚になってくれたらいいなって思います。何気ない日常に寄り添ってくれるアルバムだし、ゆったりとリラックスして聴けるんだけど、気づいたらいつの間にか自分の身体に深く染み入っている、みたいな。『あ、この歌ってそういうことなんだな』ってふと気づくような、そういう存在になってもらいたいです」

 文:樋口靖幸(音楽と人)


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