散歩は世界を平和にする、という話

好きなものの話をしよう。
例えば今日は、散歩の話をしよう。


歩くのが好きだ。
実際のところ「歩くこと」が好きな人間がこの世界にどのくらいいるのかは分からないが、少なくとも私は好きだ。

歩くのが好きなので毎日大学までの片道1時間を徒歩で通学しているし、
歩くのが好きなのでお金が勿体ないと思ったら片道2時間でも歩ける
「いや、交通費がもったいないなって思って……」と言うと同期や後輩にそこそこ心配されるし、心配故にそこそこ怒られたりするが、気持ちを理解しつつも「別に無理して歩いているわけじゃないんだけどなぁ」となる。


いや、私だけじゃないでしょう。毎日1,2時間くらいなら歩ける人。
……私だけじゃないよね??


もちろんこの記事で言いたいのは「皆毎日2時間歩こう」ということではない。
私だけではないと信じてはいるが、当然私の「徒歩」に関する認識が世間一般のそれとずれているのは流石に認識している。

ただそれにしても、「歩く」という行為を毛嫌いする人は多いなぁと感じる。
健康云々や運動云々のよくある話は抜きにして、徒歩・散歩大好き人間の私としてはそれが少し悲しいのだ。


だから、今日は私が思う「散歩」の魅力を語っていきたいと思う。
この記事が、あなたが街を歩いてみる1つのきっかけになってくれると嬉しい。

前提のはなし

私が今からするのはあくまで「散歩」の話である。
「ウォーキング」の話ではない。

「健康のために歩いた方がいい」「適度な運動で生活習慣病対策を」みたいなことは多分ほとんど言わないので、そういったものをご所望の方には合わない可能性がある。
私は毎日通学で2時間歩いているが、筋肉がつく気配はないしちょっとぽっちゃりしてきたお腹に頭を抱えている。

あ、でも「日光を浴びる」という意味では散歩は健康にいい。
家に籠っていると心が病みますからね。

面白いくらい変わる景色

住んでいる場所・歩く場所によっても変わるかもしれないが、歩いて街を移動してみると、案外めまぐるしく景色が変わる。

本当に何も無い田んぼ道を通り、住宅街を通り、小学校の横を通り、栄える街を通り…………。
「世の中には様々な景色がある」という当たり前のことに、徒歩という最も遅い移動方法だからこそ気づくことができる。

やってみれば分かるのだが、あまり意識していなかった景色に気付くのは案外楽しい
何度も通ったことのある道に実は小さなラーメン屋があったりする。
時間帯によって様々な子どもを見ることができる。
近くの畑で何が育てられているのか、近くを歩いて初めて知ったりする。

「歳をとると1年が短く感じるのは、学びが減るから」などとはよく言ったものだが、そういう意味で散歩は、絶えず新たな学びと発見を提供してくれる。

歩くと頭が回る

考え事をする時に散歩はとても良い。
これは「運動で頭に血液が〜」という話ではない。いやそれもあるかもしれないけど。

歩く時は基本的に他のことはできない。
PC作業なんかは当然できないし、勉強や読書も危険だろう。歩きスマホに関してはもはや今更言うことは無い。

となると、必然的に頭を回すしかないのだ。
半ば無理やり考える時間を作っているような形だが、これが意外と効果的だったりする。

「歩く」か「考える」かしかできないのだから、上手いこと考えることに集中できる。
一方で「歩く」という動作と、五感で得る景色や音などがいい感じにノイズになってくれる。

簡単ゆえに先延ばしにしがちなことも解決できるし、気が重くなるような難しいことにも、そこまで深みに嵌らずに気楽に思考を巡らせることができる。

特に「考え込みすぎて気分が悪くなる」タイプの人に散歩はおすすめだ。
毎日近くのコンビニにスイーツを買いに行く、みたいな簡単なルーティンから歩く習慣をつけると、何かと突破口が見えてくるかもしれない。

みんな歩こう

散歩はとてもいい。
新たな発見の連続だし、この目まぐるしい情報化社会の中で、ゆっくり物事を考える時間まで確保できる。

皆散歩しよう。
散歩は世界を平和にする。
絶対する。

本当は「おすすめの散歩のしかた」みたいなことも書きたかったのだが、余裕で1000文字をオーバーしてしまった。
せっかくなので、この辺りは明日改めて書いていこうと思う。


それでは皆様、
良い散歩ライフを。

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