「VTuber」は死ぬ、という話

好きなものの話をしよう。

一昨日、昨日とVTuberの話をしている。
一昨日は「VTuberは多様性がすごい」と、
昨日は「VTuberは身体と魂の概念が面白い」と話した。

でもそれらは本当にありがちな話で、私が本当に書きたいことではないのだ。
VTuberの話は今日で一区切り。
最後に、私がVTuberに惹かれる、惹かれてしまう一番の理由を記していこうと思う。


VTuberは死ぬ。

誇張ではなく、彼女たちは死ぬ。
引退や卒業だけではない。心が折れて魂が死ぬ。オーバーワークで魂が倒れる。外の事情で魂を奪われる。戦いに負けて身体を奪われる。
無名だろうと有名だろうと、時として終わりは唐突に訪れる。身体と魂の存在がVTuberをVTuberたらしめるのであれば、それらが離れてしまうことを、「死」と呼ばずして何と呼ぶのか。

1人のVTuberが消える瞬間を見たことがある。
ある日唐突に、登録チャンネル一覧に「このチャンネルは存在しません」の文言が現れるのだ。
暫く意味が理解できなくて、慌てて残っているチャンネルを整理して、そして漸く誰かの死を理解した。もう、名前も思い出せない。

VTuberは存在が近すぎる。
魂の存在がフィクションの壁を壊したせいで、コンテンツの終わりが直接胸に突き刺さる。
「推している子たちにもいつか死が訪れるかもしれない」と考えると吐きそうになる。私まで死にそうになる。
リアルに近すぎるこの世界は、それ故に私たちには重すぎる。

VTuberは死ぬ。
此処は、「終わり」という言葉を超えた現実がのしかかる地獄である。


だから、VTuberなんて推さない方が良い。
最後に傷つくならば、わざわざ自ら苦しみに行く必要なんてない。


…………否。

断じて否である!!!

確かにこの界隈は地獄だ。
誰かの栄光の裏で何百人も死んでいく世界だ。いつ誰が死んでいくか分からない、ある意味においてどうしようもなく救いのない世界だ。

だが、だからこそ美しく輝く世界でもある。

きっと彼女たちは知っているのだろう。この世界に蔓延る現実のことも。自分の後ろに佇む死神のことも。
それでもなお彼女たちは歩みを進めるのだ。それは「夢」のためかもしれないし、「願い」のためかもしれない。
それが本当に笑っちゃうくらい素敵で、眩しいくらい綺麗なのだ。


1つの存在の「命」を賭けて、夢と願いを追う世界がここだ。
その輝きを見てしまったら、もう逃げられない。逃げるわけにはいかない。


どんなことがあっても推し続けると決めたVTuberが私には2人いる。
きっと彼女たちにもいつか終わりが来るのだろう。いつか死が訪れるのだろう。
それがどうした。
何も悲しいだけが終わりじゃない。彼女たちが最後に笑って幕を降ろせるのならば、きっとそれはハッピーエンドだ。

そんな幸せな最後を迎えられるように、精一杯の声で応援するのが私たちの仕事だろう。
死が蔓延る残酷な世界でも、せめて、彼女たちの足元を照らすくらいできないと、ファンの名折れだろう?

そう思ってしまう魅力がこの場所にはあって、
そう思ってしまえば、案外楽しいんですよ、ここは。


ここは「多様性」と「夢」の世界。
きっと貴方にも、お気に入りの子が見つかるだろう。
その時は、ぜひ全力で応援してあげてほしい。
スパチャでもグッズ購入でも、ファンアートでも応援コメントでも構わない。
それが、暗闇を歩く少年少女の道標となってくれるはずだから。


ようこそ。VTuber沼へ。死で満たされた現世の地獄へ。
貴方が少しでも此処を気に入ってくれるなら、私はとても嬉しく思う。

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