「VTuber」の身体と魂の話

好きなものの話をしよう。

昨日はVTuberの話をしたけれど、すぐに1000文字を超えてしまって「VTuberにはいろんな人がいるよ!!」というありがちな話しかできなかった。
今日はもう少しVTuberっぽい視点で魅力を語りたい。


VTuberにあって他のコンテンツにあまり見られない要素として、「身体」と「魂」の概念がある。
「身体」というのはそのままキャラクターの外見やデザイン。
「魂」というのはいわゆる「中の人」だが……VTuberアニメなどのそれとはウエイトが全く違う。

そのキャラクターの振る舞いを決めるのは「魂」であり、「中の人」である。
同じような初期設定と身体を持ったVTuberであっても、魂がどんな振る舞いをするかでキャラクター性は大きく変わる。

キャラクター・役柄を演じるも、キャラクターなどお構いなしに自分をさらけ出すのも自由だ。全ては魂が決める。
恥ずかしながら最近やっと月ノ美兎の動画を観てみたのだが、委員長要素が最初の挨拶しか無かった。想像以上だった。

でもそれが却って魅力になっている。良き。

度々起こる身体と魂の奇妙な乖離が、「どのコンテンツで勝負するか」「どんな系統のキャラクター(身体)か」という基本の二軸に加え、「身体と魂をどこまで合わせるか」というz軸を生む。
普通の「演じる」タイプのコンテンツでは絶対にありえない自由が、VTuberという存在をさらに魅力的にするのだろう。

(この「魂」の重要性を示す最たる例が「バーチャル蠱毒」なのだと思うが……私はこのコンテンツには殆ど触れられなかったため、詳細な言及は避けようと思う)


実際この要素は結構大きい。
無理にキャラクターを作る必要がないから強みが出やすい(多分)し、観てる側としても肩肘張らずに安心して観れることが多い。
それに何より、魂の自由は活動の自由を担保する。昨日の記事で述べた「多様性」を、「演者・魂の好きに暴れていい」という不文律めいたルールが、他の世界では認められないような戦い方を受け入れている。

だからVTuberは面白い。
やりたいことを、やりたいようになっている人たちを見るのは、楽しい。


全然まとまらないし意味不明な文章になった上にもう1000文字間近になってしまった。自分で読んでいて何も魅力が伝わらなくて泣いている。
毎日読みやすい文章を書き続けるのは難しい。3日目にしてもう心が折れかけている。
生き恥を晒しているようで結構しんどいが、ここでやめると勿体ないので頑張って続けていこうと思う。

VTuberについての話もまだ終わっていない。まだ一番言いたいことが残っている。
「VTuberは死ぬ」。
明日でVTuberの話は一区切り。最後に地獄の話をして終わろうと思う。

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