曖昧で厳密な「数学」の話
好きなものの話をしよう。
昨日は「数学」の話をした
https://note.mu/chitose_memo/n/n19b898ac16a7
多くの人にお堅いイメージを持たれがちな数学という学問だが、それを支える「定義」という概念は案外ふんわりしたところから始まる。
だが、そんな曖昧なベースを元に誰もが言いたい放題言っていたら、当然学問として成立しない。
それでも数学が1つの大きな学問として成立しているのは、うまく「定義」を統制するルール、或いは自浄作用めいたものが存在するからである。
今日は、その話をしていこう。
直感との合致
数学は積み重ねの学問だ。
身近な題材から始めて、より一般的かつ複雑な世界に話を広げていくことが多い。
このため、「直感から大きくずれた定義」というのは少ない。
大抵は身近な、当然にも思えるようなことを「論理的に」「曖昧な言葉を使わず」表現することからスタートするし、ここを無理にずらしても世界をうまく体系化しにくいのだ。
(私の勝手なイメージだが)数学の最終目標は「万物を数学で示す」ことだと思っているので、
これを無駄に妨げるような定義はあまり浸透しにくい。
突然「1+1=3だよ!!」と言われても「えぇ……」となるだろう。
1+1=2なのは、そうなる定義を採用した方が「1個のリンゴと1個のリンゴ。合わせて2個」という直感に合いやすいからなのだ。
有用な定義
もう1つ、「定義」を見定める上で重要な概念がある。
「有用性」だ。
昨日の記事でも書いたが、数学の主な構成要素は「定義」と「定理」である。
このため、1つの「定義」最終的により多くの定理を導ける方がありがたい。
(数学者はこういう時よく「うれしい」という言葉を使う。理由は不明である)
また、より広い世界に適応できる「定義」の方がうれしい。
整数の世界だけのルールより、実数の世界で通用するルールの方がより様々な場面で活用できて便利なのだ。
日本語より英語の方がより多くの国で使えるし、そういう意味では英語の方が強いよね。
そういうことである。
逆に言うと扱いにくい……学問体系を整備しにくい「定義」は、あまりうれしくない。
そういう扱いにくい定義よりも、より扱いやすい定義が多くの人に採用されて今に至っている。
これが、数学の(より拡張すればあらゆる学問の)面白い部分なのではないかと思う。
おわりに
「定義」とは、皆がそうであると認めたルール。
始まりはこんな感じでふんわりしている数学の世界だが、より良い、うれしい定義を探して使っていくことで、今の数学ができている。
案外曖昧に始まる数学は、そんな数学者たちの真剣な試行錯誤によって、厳密で美しい学問へと昇華されていくのだ。
ふわふわでかちかちな数学の世界。
思い切って触れてみると、また違う景色が見えてくるかもしれない。
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