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久保田裕之の半生をゲームで語る(後編)

あらためて大仰なタイトルだなこれ(笑)。んな有名人でもないし、ちと気恥ずかしくもあるけど、書き直すのもめんどいしこのままいきます。

「自己紹介をゲームで語る」

ということで後半行ってみましょか。注記は前半に書いているのと一緒なので、既に読んだ方は読み飛ばしてちょ。


注1)長くなり過ぎたので前編と後編に分けました。前編はこちら

注2)写真はすべてパッケージに印刷されたものを掲載しています。これについては弁護士にも相談のうえ「パッケージは一般に公表されているので、ゲームソフトに対する個人的見解を記載するホームページ上でパッケージを表示させるくらいであれば違法性はない」の見解をいただいております。ただしメーカー等関係者の方から削除要請等いただいた際には対応させていただく所存でございます。

注3)noteのマイページにも書いているのですが、当方の名前は久保田裕之です。chitoseArkとは久保田がクリエイティブ活動するときのブランドネームのようなものです(大人の事情で作品に本名書けないのです)。


[3] 私が初めてワンコインクリアしたアーケードゲーム
メトロクロス
1985年 開発・販売:ナムコ

メトロクロス01

(上ならびに本記事中の「メトロクロス」の図はすべて手持ちのファミコン版のパッケージからとっております。ゲームセンターの画面と異なることをご了承ください)

前編で書いたように私のゲーム人生は中学生の時にPC-6001mkⅡというパソコンを購入するところから始まるのですが、当時パソコンが自宅にある家というのは珍しかったらしく、それまで来たことのないようなクラスメートがぼちぼち来るようになったのでした。

そのクラスメートのひとりが持ってきたのが、何を隠そう、

「マイコンBASICマガジン」
(通称「ベーマガ」)

だったのです。これは神の采配なのか?私が後にベーマガで記事を書かせてもらうことになるのは、このときすでに定められた運命だったのか?
…という誇大妄想はそのくらいにして話を進めます。

初めて読んだベーマガでもっとも興味深く読んだのは「メトロクロス」というゲームの紹介記事でした。

ペーマガ85年7月号

近未来を感じさせる前衛的なグラフィック。
主人公が走る通路はきれいに並んだ市松模様の回廊。
しかしそこはトラップだらけで、言うなれば障害物競走。
ゲーム内容は、とにかく制限時間内にこの通路を走り抜けられればクリア、間に合わないとゲームオーバーという設定らしい。

やってみたい。
けど、このパソコン(PC-6001mkⅡ)で出来るものなんだろうか?
いやP6で出てなくても、誰かの家のパソコンで遊ばせてもらえばいい。
すぐに友人に「これは何という機種でプレイできるのか」と確認したところ「パソコンじゃなくて、ゲームセンターに置いてあるゲームだよ」という回答が返ってきました。

ゲームセンター?
ゲームセンターって、あのゲームセンター?
ギャラクシアンやらインベーダーやらが置いてあって、不良がゴロゴロいて、下手をするとカツアゲに合うという、あのゲームセンター?

ゲームセンター

いや冗談でもなんでもなくて。
当時の世間的な認識として、ゲームセンターとはそのような場所であったと思います。現にほとんどの小・中学校でゲームセンターへの立ち入りは禁止されていたはずだし、ゲームセンターが不良のたまり場だというイメージは普遍的なものでありました。

そして私は学校の中で…まぁ言っちゃうとかなり立場の弱い方に属する身でした。いまの言葉で言えば、スクールカーストでかなり最下層の方にいたといったところでしょうか。
そんな私がゲームセンターに行く?
ぶるぶるぶるぶる。
冗談じゃないわ、狼のオリの中に飛び込んでいく子羊がいるものか!

そうは言っても、やってみたいものはやってみたい。
障害が大きいほど燃え上がるのが恋心。

数か月、悶々と悩んだ私が取った行動は、

「自転車で地元から離れたゲーセンに遠征してやりに行く!」

というものでした。

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しかしアーケードゲームの旬というのは短いもので、そのころにはメトロクロスを置いているゲーセンはほぼなく、私は渡り鳥のごとく都内23区はおろか東は江戸川区、西は立川まで走るわ走るわ。いやはや体育の授業5段階で2しか取ったことがない奴にこんな体力があるとは思わなかったよ。

で、結局「メトロクロス」は池袋サンシャイン地下に当時あった「ゴリラ」というゲーセンで発見したのでした。ここは地元からそんなに離れておらず、かと言って地元の学生が来るにはちょっと離れており、隠れてゲーム攻略に打ち込むには絶好の場所だったのです。

メトロクロス02

さてそんなわけでようやく叶った「メトロクロス」のプレイ。それまでベーマガの攻略記事をそれこそ穴が空くほど読んでいたとはいえ、アクションゲーム苦手な私にとってその攻略は至難を極めました。

いつまでたっても抜け出せないスリップゾーン地獄。
なかなか踏めないアルミ缶(時間2秒停止)。
一向に出来るようにならないクラッカージャンプ。
いつも突き飛ばされる、転がってくるジャンボカン。
ほかにもキューブに突き飛ばされるわ、ネズミに噛まれるわ、チェスのコマにどつかれるわ…etc、etc。

基本的には「覚えゲー」なので、覚えてしまえば何とかなるのですが、何せこのゲーム32面もあって長いのですよ。しかも後半ステージになればなるほど「ひとつのミスが命取り」になってくるため、全面クリアしようと思うとその緊張感もハンパないです。パソコンのゲームと違って1回のプレイに100円かかりますからね(1プレイ50円の店もありますが)。それだけ1回1回真剣勝負してましたよ。それでもやり続けたのは「メトロクロス」の魅力に取りつかれてたからなんでしょうね。女の子に声もかけられなかった当時、私の恋人はきっとあれだったんだろうな。「おれの恋人はゲームだぜ~~っ」って絶叫したゲームセンターあらしみたいですが(笑)。

結局ワンコインクリアを達成したのは初めて見つけてから約2年後くらいのことだったと記憶しています。
季節は高校入って1年が過ぎた春先のことでした。
クリアしたときのことはいまでも覚えているのですが「やったー!!」って感情よりも「あぁ、終わっちゃったんだ…」って心境でした。一瞬の高揚感の直後に強烈な虚無感に襲われたような、そんな気持ちだったのを今でも覚えています。

あれが恋と呼べるものならば、私の初恋はあのとき終わったのでしょう。

とはいえ、「メトロクロス」を最後までやり切ったことは後にゲーム記事を書く仕事においても決して無駄にはならなかったと思っています。あの経験があったからこそ、以降に対峙することになる「ロックマン」や「悪魔城ドラキュラ」など難易度の高いシリーズ物に対しても臆することなく戦えたわけで、そういう意味では「メトロクロス」は私のゲーム人生にとって大きな経験値を残してくれたのだと思っています。

後日談

ところで「メトロクロス」を発見した後も私のゲーセン探しの旅は終わりませんでした。休みのたびに都内はおろか関東近県まで自転車で遠征し、珍しいゲームを発見しては友達と共有し合うみたいなことをしてたので、普通の学生よりむしろ健康的な日々を送ってたかも(笑)。

自転車旅

社会人になっても自転車に乗り続けた私は本格的なロードバイクに乗り換え、東京の自宅から房総半島、伊豆、そして長野県にまで自転車で行くほどになりました。あのときベーマガ見てなかったら私こんなに自転車乗る人生歩んでなかったよ。人生ってホントに何がきっかけでどう転がるか分からないものですね。


[4] 私の人生に最も影響を与えたゲーム
アスピック
1986年 開発・販売:クリスタルソフト

アスピック

「アスピック」とは見下ろし視点のフィールド移動と3D視点の迷宮探索という2つの要素を兼ね備えた、まぁ当時わりとよく見かけたタイプのオーソドックスなRPGです。

ストーリーがとてつもなく「邪悪」であることを除けば。

「邪悪」。そう、このゲームは当時そのエンディングを見た者たち(見なくとも内容を誰かから聞いた者たち含む)の間で賛否両論の嵐を巻き起こしました。という表現は実際には適切でなく、賛1に対して否9くらいの勢いといった方が合っているのではないかという感じです。

文学、芸術…どんな世界にも表現の自由が許されている以上、物理的な暴力によらない「邪悪」は創作物という形をとって世に生み出されることがあります。そしてそれは時としてそれを受け止めた人の人生を大きく変えることもあるのです。その結果としてその人が自分の生きる道を見出したとき、はたしてそれは本当に「邪悪」として扱うべきものだったのでしょうか?
…これから皆様にお聞かせするのはそんな物語です。

ただし、それを語るにはどうしたってゲームのストーリーについて触れねばならず、いわゆる「ネタバレ」を避けられません。もう30年以上経過しているゲームですのでいまさらネタバレしても困る方はそんなにいないだろうと思いますが、「どうしてもそれは困る」という方は本ページの一番上まで戻り、目次から「ネタバレ回避」というところをクリックしてそこから先をお読みくださりますよう、どうかよろしくお願いいたします。

アスピック03

ざっとかいつまんで説明するとこうです。勇者がある冒険(「リザード」という前作)から戻ってくると、姫が魔法使いにさらわれたという。姫を連れ戻したら結婚させてくれるという約束を交わした勇者はお供2人を伴って魔法使いのところに行くのですが、魔法使いは姫を魔界の王アスピックに献上してしまったという。それならばと魔界に乗り込んだ勇者ご一行様は魔界の王アスピックをボコって姫を連れ戻すのですが、その際に呪いをかけられてしまいます。

呪いの内容は「勇者が万人に忌み嫌われる」というもの。そのため街に帰っても街の人が恐ろしがって話もろくにしてくれない。何だか剣呑な雰囲気のなか王城に凱旋するとそこには以前に会った魔法使いが。「また会ったな、フッフッフッ」とだけ言って姿を消してしまう魔法使い。ともかく王様に会うと「よく姫を助けた。しかしお前にはアスピックの呪いが・・・」と言われ、結婚どころか身包み剥がれて城外に叩き出されてしまうのです!

アスピック02

かくして哀れな勇者は人間に対して復讐を決意。魔界に戻ってミノタウロスとスケルトンを仲間として引き連れ王城を襲撃し、王様を倒して姫をさらってしまいます。そして姫とともにアスピックがかつていた場所まで戻ると勇者の身体に痛みが走り…。

このとき画面に映った光景を私は死ぬまで忘れることはないでしょう。

勇者の人間の身体が、蛇の後ろ姿に変わっていく。
そして、アスピックと化した元勇者がこちらをゆっくりと振り向いて言う。

「私は アスピック。永遠の命を 持つ 呪われた 蛇。
殺されても 殺されても 殺した人間に 乗り移り 身も 心も 奪い取ってしまう 悪魔の 化身。
永遠の 命を 持つがゆえ 永遠に戦い続けなければならない 悲しみを・・・」

そして元勇者であったアスピックは再び背を向けるのです。
おそらくは、次にやってくる勇者を待つために…。

アスピック01

私は当初、このエンディングを信用していませんでした。
相当プレイ時間の長いゲームです。これだけ長い時間かけて冒険し続けた結果がこれってことはない。どこかでバッドエンド引いただけだよねこれ?
そう思って3回くらいやり方変えてクリアしてみたけれど結果変わらず。
その後どこかの雑誌で作者のインタビュー見て

「アスピックは悲劇なんですよ」

っての見て、私はもうそれ以上の悪あがきを止めました。

悲劇。
確かに文学作品にだって悲劇とされているものはあるよ?
でもそれは、その悲劇性を通じて何かしらを訴えかけ、鑑賞者に強烈な印象を与えるべく仕組まれたものなんじゃないの?
それは運命に立ち向かった結果の敗北であったり、人生の賭けに敗れた結末であったり、主人公の因果応報をその身に刻まれるものであったり…少なくとも「悲劇になるだけの必然」が物語の中で明らかな場合にのみ許されるものなんじゃないの?

『アスピック』が見せたそれは、極めて不条理な代物でした。それまで真っ当に進めてきており、主人公にひとつの落ち度もないのに、姫を助けるや否や「貴方は呪われました。残念ですが助かりません」と突然宣告され、奈落に突き落とされて終わりというシロモノです。
これを「悲劇なんですよ」のひと言で片付けられてたまるもんですか!

ですがもっと考えてみると「アスピック」の悲劇性はさらにこの上をいっていたのです。
それは「悲劇の循環」という、物語の構造そのものでした。

「アスピック」の後半ストーリーからエンディングを見る限り、以後の話は次のような構造になることが分かります。

① 姫が勇者(アスピック)にさらわれる
② 勇者がアスピックになる
③ 次の勇者がアスピックを倒して姫を助けるが呪いをかけられる
④ 勇者が追放される
⑤ ①に戻る

どうしたって話の構造上こうなるのです。
勇者は必ずアスピックになり。
姫は魔界と王城をいったりきたり。

物語がそこで終わっているのですから、絶対に誰も救われません。
これを「邪悪」と言わずして何と言うのですか。
もう文句のつけようがないくらい、究極のバッドエンドですよこれは。


「アスピック」ネタバレ回避ここから

ところで私は中学3年生のときにこれを見たのですね。
中学3年生ったらバリッバリの受験シーズンですよあーた、こんなにゲームしてる場合なのかって感じですけれども。

だけどこれはキましたよ。
勉強なんかしてる場合かって感じですよ(いや勉強しろよ)。

それで一時ヘコんだり、「悲劇の循環」について考えたりしたわけですよ。
そこで思い至ったのですね。
これからのゲームに必要なのはこれなんだって。
プレイしたあと、これほどまでに心を強烈に揺さぶられるような感動が必要なんだって。
そして、たぶんまだ多くの同世代の連中はそこに気付いていない(という風に思ってたの、何せほら中三病なので)。
よし、決めた…!

「私はゲームクリエイターになる!」

それが甚だしい誇大妄想と勘違いがもたらした激情なのだとしても、それまでおよそ夢なんてなく、いやそれどころか生きる望みすら持っていなかった私を突き動かし、受験勉強に本腰を入れさせたのは事実なのです。

その意味では、私もまた「アスピック」の呪いにかけられたのでしょう。
お、何かうまく話がまとまりましたな。

後日談

「アスピック」の衝撃が物語によってもたらされたのは間違いないと思った私は、とりあえず文章書けるようになろうと思い、文学部のある大学を目指しました。結果、大東文化大学の日本文学科というところに何とか入ることができ、その在学中に「マイコンBASICマガジン」にてゲームの記事を書く機会に恵まれたので、まぁそういう意味ではゲームに携わる仕事には関われましたかね。アルバイトのような立場ではありましたが。

就職に関しては、当時アミューズメント機器の開発も手掛…けようとしていた会社に入社。これで私もゲームクリエイターとしてデビューだ!と思っていたのですが、希望とは裏腹に同社製造の商材であるデジタルサイネージ(当時は「電光表示機」と呼んでいた)の営業に配属。やがてこの会社ではアミューズメント機器から手を引いたので、結果的に学生の頃の夢は叶わなくなってしまいました。が、同社にてデジタルサイネージ向けのコンテンツを制作・配信する仕事に従事するようになったため、ゲームではありませんがクリエイターにはなれました。なので夢は半分破れて半分叶ったってところでしょうか。

ゲームで語る自己紹介はこんなところでしょうか。
私の半生ゲームみたいなもんやねーこうしてみると。


#自己紹介をゲームで語る

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