「ペルソナ」・・・人がかぶるこころの仮面

ユングの言う「ペルソナ」という概念について書いてみましょう。日本語では「仮面」と一応訳されます。

これは、人が外の世界と関わる時に、おのずから形成される心の姿です。

ギリシャ悲劇や日本の能では、演じ手はそれぞれいろいろな「仮面」を使い分けて演じてきました。演じるのはすべて男性ですが、男の面、女の面、老人の面、鬼の面などいろいろあります。能面だけでも200種類の面があるそうです。

これにより、役者はいろいろな社会的な役割を演じ分けることができるわけです。

人が外の世界と関わる時も、さまざまなペルソナ=仮面を使い分けているとみなすことができます。子供に接する時は親の顔になっているでしょうし、会社では部長の顔になっているかもしれません。それは別人のように見えるかもしれません。

このように言うと、仮面の背後に「本心」を隠して、押し殺して、社会に順応している、みないなイメージで受けとられかねませんが、私がユングを読む限り、「ペルソナ」という概念には、もっと細やかな意味があります。

人は、自分がやさしい人間の「演技」をしているつもりはなくて、ほんとうにやさしい人間だと思いこんでいる場合でも、実は、無意識のうちに、ペルソナ=仮面をさらしているだけと考えることもできます。自分が、自分の一面だけをおもてにさらしていることに気づいていない。

だから、時と場合によって、それがいつの間にか入れ替わってしまう。それは他人の目から見れば、同じ人間の態度(それどころか実際の顔の形相)だとすら思えない場合があります。

普段は穏やかなこの人が、こんなに血相を変えて怒ることもあるのか、などとびっくりすることは、結構よくあるのではないでしょうか。

それどころか、本人自身が、自分が時と場合によって別人のような態度をいつの間にか取っていることによって生じるトラブルに、混乱してしまうこともあります。

そうした自分のいろいろな側面を、冷静な目でみつめる、もうひとりの自分のまなざしが必要です。

皆さんも、自分が怒ったり悲しくなったりする時に、「あ、今、自分は悲しくなってる。泣いてる・・・」などと、冷静にみつめているもう一人の自分がいつの間にかいることに気づくことがあるでしょう。

これを、何か自分のありのままの感情に素直ではない状態と受け取る人もあるでしょうが、実は、感情に流されるままになっても、自分や自分と関わる人にとっていいことはあまりないかと思います。

例えば、親が、普段の、親らしい態度を脇において、子供に、対等な人間として、ほんとうに思っていることを伝えたいとします。

恋人同士や、夫婦同士、友人同士や、仕事仲間が、普段の馴れ合い(傷つけあい)を脇において本心を伝えたくなった場合も同じです。

これ、感情的なったら、実は相手に理解してもらえるどころではないわけです。激しい感情の背後にある、心の針のような傷つきとか、相手に対する愛おしい思いとかの肝心なところは伝わらない。

むしろ、本心とは、自分の中に冷静な自分をきちんと確保した上で、うまく「演じる」つもりになった時に、相手に伝わるというところがある気がします。

言い換えれば、自分で意識的に「仮面」を選ぶということです。

これは、必ずしも、理性的に論理的に「説明」するということではありません。「自分自身」を演じる「役者」のような心境になれるかどうかです。こうしたコントロールのもとに相手に伝えると、逆に相手の心に響くことも多いです。

自分の気持ちを相手に「察して」もらうことを期待する日本の人間関係においては、こうしたことが下手な人が非常に多いと思います。

これは欧米の、少なくとも良識的な人々の間ではかなり当たり前のことです。こうした人たちの話しぶりや表情や身振りは、日本人には大げさに、わざとらしくすら思われます。

まさに俳優やミュージシャンの少なからぬ部分は、こうしたことに秀でています。本人は、決して感情任せではないんですよね。人にどう「表現」すれば(演じれば)伝わるのか、もう一人の自分がいつも冷静に見ています。熱演、熱唱に見える場合ですらそうです。

ユング自身の本に、「日本人には『ペルソナ(仮面)』がない」と、ボソッと説明なしに書いている場所があります。ユングは、はるばるスイスまでやってきた留学生とかしか、日本人には接していなかったと思うのですが、私はこれを、「日本人には、自分で自分を『役者』にして、他人に表現(演技)する力がなさ過ぎる」と感じた、という意味に理解したいと思っています。

恐らく、いろいろ不祥事を起こしたりせず、心を病んだりはしないでやっていられる、現実の俳優やアイドルも、こうした、自分が「ペルソナ」を演じているという自覚が十分にあるのだと思います。

れいわの山本太郎氏は、「ペルソナ」をかぶる達人だと思います。

どれだけ感情的に熱弁をふるっているように見えた時でも、実はもう一人の自分がいて、冷静に「演技」をコントロールしている。

むしろそれだからこそ、山本氏のメッセージは人の心に届くし、彼への信頼も生まれるわけですね。

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