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「君の膵臓をたべたい」実写映画版とアニメ映画版を一気に観た。

ちょっと不思議なタイトルだなと以前から思っていた。

まずは今回観てみようと思ったのは、「響」映画版と同じ月川翔監督と知ったから。


アニメ版もあることは、Amazon Prime Videoで並んで表示されているから気づけた。

実写映画版はいろんな賞をはもらって評価が定まっているようだが、実は12年後の物語と並行して描くというのは、実写版オリジナルの脚色らしい。

おそらく原作に近いのはアニメ映画版の方だろう。

アニメ版は実写版の約1年後制作の作品のようだ。

映画版は、「響」と同じ、小栗旬と北川景子が出演しているので、おそらく「月川組」みたいなものが存在するのであろう。

物語は、これ以上ないくらいに淡々としている。

主人公は、病院で「共病文庫」というタイトルの文庫本を拾う。

それは「僕」のクラスメイトである山内桜良(やまうち さくら)が綴っていた秘密の日記帳であり、彼女の余命が膵臓の病気により、もう長くはないことが記されていた。

「僕」はその本の中身を興味本位で覗いたことにより、身内以外で唯一桜良の病気を知る人物となる。

それをきっかけに、「僕」と咲良との間に、「友達くん」と呼ばれる独特の絆が形成されていく。

タイトルの意味については割愛するが、人が生きることの意味は、関係の中で生きることだというメッセージが込められた作品である。

非常に「淡い」作品であり、大きな事件が起こるという物語ではない。その意味では、「聲の形」の方が、かなりドラマを秘めた展開である。

しかし、こういう作品が、多くの人に愛されるというのは、何かいいことのように思う。

アニメ版の咲良の方が、元気で快活な描かれ方をしているように思われるが、繊細なカメラワークによって描かれる実写版の魅力も捨てがたい気がする。

2つの物語は、結末が違う演出のようでいて、行き着く先は同じ地点である。

原作は読んでいないが、2つの映画版共に、原作へのリスペクトが非常に高い作品であろうことは容易に想像がつく。

青春物語というより、もっと普遍的な物語であるように思う。


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