他人の言うことは、何らかの意味で「正しい」。


一見上の記事で書いたことと逆のことを書くかのように見えるかもしれないが、実は表裏一体のことについて書こう。

自分に「違和感」を起こさせる人物こそ、ほんとうの自分の気持ちに気づかせてくれるということは、次のようなことのも結びつく。

ユングも述べていることだが、ある意味では、他人の言うことは何らかの意味で「正しい」という前提に立ってみるほうがいいかもしれない。

自分と対立する「他者の」意見というのは、実は無意識下に抑圧された「自分自身」のもうひとつの声である。その言い分をじっくりと聴き統合できた時、人は成長する。

ユング的な見方をとれば、人が「他者」の中に見出すものはすべて「自分自身」の分身である。それどころか自分が自分から無意識的に排除した人格をまさに「体現」する人物が実際に自分に難癖をつけてくることが多いという「共時性」がありがちなのである。

他人と喧嘩するということは、自分自身と喧嘩することに他ならないということになる。


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