「実戦的」フォーカシングとは?

「実践的」のIME変換ミスではありません。「実戦的」

前にも書いたが、「感情のままにふるまう」ことは、むしろ自分の「ほんとうの気持ち」を伝えることつながらないことがあまりにも多い。自分が自分の本心を冷静に観察できる視座を確保し、それを相手にうまく伝える表現力(ある意味で、「演技」するスキル=ユングの言う「#ペルソナ」の統御)を磨くしかない。

ちょっと厳しいことを言えば、他人に感情をありのままにぶつければ「とりあえず」受け止めてもらえるのは子供だけであり、成熟した感情的交流は「表現力」=「演技力」を磨き上げることによってしか得られない。これが日本人は苦手だと、実はユング自身が延べている。

真の意味で「理性的」であるということは、「合理的に」「頭で」考えようとすることからは生じない。むしろ、自分の中に生じてくる、説明のつかない「モヤモヤ」「違和感」に、しっくりくる言葉をじっくりと探せるかどうかだ。このことをやれている人は結構多いと思う。

相手に「言い負かされて」しまわないで、自分の中にある、説明のつかない「違和感」を大事にして、そこからじっくり言葉を探す人は、建設的な議論に相手をも引きずり込めることが少なくないかと思う。

実は、実践的(というか、「実戦的(!)」)な #フォーカシング とは、そのようなことに他ならないのであって、何も特別なことではない。やれる人はやれている。

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