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夢二題2

今回は、ちょっとグロい内容も含みますのでお許しください。

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私は自分の家(といっても、現実には住んだことのない、アパートみたいな部屋)で、3匹の、随分大きくて、肥え太ったネズミを飼っているようです。

私は眠気と戦いながら、親族の接待をしています。

ふと気づくと、いつものように、ネズミ達を、台所のレンジの鍋に一匹ずつ入れて「入浴」させていたことを思い出します。

あわててレンジまで駆けつけると、ネズミたちは一層え肥太って、お湯にしなびたような状態になっています。

最初は少し目が開き、少し身体をまだ動かしていましたが、すぐに死に至ったようです。

私は罪悪感と後悔に打ちひしがれます。

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夢フォーカシングに、「昨日のことは?」という質問があります。

ここから連想したのは、昨晩夜遅く、私はソーメンをゆでて食べようとしていました。

その際に、いつの間にか眠りこけていて、鍋で沸騰したお湯をわかしていたことをすっかり忘れていたのです。

そのことに気づき、あわてて駆けつけると、お湯は蒸発していましたが、幸い、レンジの安全装置によって、とっくの昔に火が消えており、鍋はすでに冷え切っていて、取っ手とかも溶けるとかなく、私はほっとしました。

そのことをまずは想起したのですが、「私の飼っていたネズミとは何だろう?」ということが当然気になります。

このネズミが私の「分身」だとしたら?

・・・何となく想起される事柄はありますが、それをこのブログで具体的に書くのは控えたい気分です。

このネズミに「なってみた」ら?

・・・そんなにこちらを恨むことはなく、むしろこれまでここまで、過剰でお節介にまでに「甘やかしてくれる」中で天寿を全うしたことについて、感謝すらしているようでした。

ところが、今これを書いているうちにハッとしたのは、十年前の父親が、まさに浴槽の中で、自動温度調節の高熱のお湯に浸かったまま意識不明で植物状態になって死に至ったということでした。

母親はそれに気づかすにいた自分、私に電話をかけようとしても電話番号を間違えてばかり、それどころか199番にすらうまくかけられなかったことを後悔し続けていました。

父は税理士で、引退したあとも、母と共に暮すマンションで、十数件の確定申告をさばいていました。

徹夜に近い状態が続き、やっと最後の1件を残すところまで来て、少し気の緩みもあったのではないか、それなのに冬の寒い晩にベランダに自転車漕ぎに出て、それから急に熱いお湯に浸かったのもよくなかったのではないかと母は推測していた・・・そのことを思い出したわけです。

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もうひとつの夢。

父親と私は連れ立って、久留米から西鉄電車で南に数駅から更に徒歩でかなり離れたところにある、郊外店の、実に巨大な大きな電気屋にいます。

私達は、誰か(忘れました)に連絡を取る必要があることを急に思い出しますが、あいにく父も私も手元に携帯を持っていないことに気づきます。

店の中に公衆電話がとこかにないかどうか探し回るのですが、今のご時世ですが、どこにもないようです。

それで、一階の案内所に二人で向かい、受け付け嬢(2人いました)に、「電話を借りたい」と頼むのですが、

「この店には電話はありません、スマホも売ってはいませんし、店員も使用禁止になっています」

という答えしか返って来ませんでした。

「今の時代に、それでは店員も不便だろう」

と、夢の中の私は思います。

私と父は諦めて、徒歩で西鉄久留米駅まで戻ることにします。

その際私は、

「僕はこの電気屋は使っていない。北の方の宮の陣の近くにある電気屋に、自転車で足をのばすことが多いから」

と父に語ります。

でも、それは、南の方の店に父と共に向かうのが嫌ゆえの屁理屈のように自分でも感じています。

ところが、すでに述べたように、久留米から南に数駅、しかも郊外にある電気屋から、実際には、ものの数分で西鉄久留米駅までたどり着けるのでした。

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ひとつ思い当たるのは、今日の早朝、レビューとして書いた、「君の膵臓をたべたい」で、携帯電話のメール(この物語設定ではスマホですらないみたい)が二人のコミュニケーションで重要な役割を果たしていたこでとです。

電話というのは「関係」の象徴だし、無意識へのアクセスの通路でもあります。

私は今、無意識へのアクセスは、こうして夢を見るたびに自分で夢解釈を試みるくらいですから、十分に維持していると思いますが、「外部の」他者とのコミュニケーションは?というと、狭い範囲に限られているかもしれません。

「君の膵臓をたべたい」で描かれたような、「関係の中で生かされている」という状態からは、少し実感は遠くなっている気もします。

あと、父の向かう店に共に行きたくない、反対の道を行きたいというのは、私が常々感じていた、父の言うとおりにしたらろくなことはない、という反抗心かと思います。

ところが、亡き父の方が一枚上手だったのかもしれません。

結局、父の行く道の方が、遠いようで近いということかと思います。

父の方が、よっぽどリアリストでしたしね。

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