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どんな分野でも必要な、「臨床的」姿勢

非常な極論を言えば、およそ「思想」というものを学ぶことには弊害しかないと思う。そこには、様々な現実と状況に置かれた個々の「具体的人間」というものが不在だから。

およそどんな技法であろうと、その標準技法を一度はきちんと学び、身につける過程を経る必要はある。後はその技法の「信者」にはならないようにしていくことだ。この段取りは決して飛ばしてはならないと思う。

「〇〇主義」の人間、「〇〇派」の人間、「〇〇党」の、「〇〇障害」の人間がいる前に、ひとりひとりのみんな少しずつ違う、「人間」がいる。そのことを忘れたら、単なる「ファントム(幻影)」を相手とした不毛な対立・抗争があるだけで、何も生産的なことは生じないだろう。

一次データ・資料(あるいは生身の人間)を前にして、一から自分の頭で考えてみて、それから理論や技法を学ぶという段取りが、分野に関係なく、日本の教育で忘れられてきているのではないか? 理論や思想に「あてはめて」物事を見ないのも、ひとつの「訓練」だと思う。

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