カウンセラーは、自分の欠点について絶えず気づき続ける訓練は受けてはいるが、決して完成された「人格者」ではない。

何回か書いてきたが、心理カウンセラーというだけで何か「人格者」であるかのように思い込む誘惑にはカウンセラー自身も敏感であるべきだが、同時にカウンセラーであるというだけで「人格者」であるかのように想定され、言葉尻を取って攻撃されることは、仕方ないとは言え、結構迷惑でもある。

カウンセラー自身は、いくら専門的修練を受け、自分の心理的欠点に一般の人より敏感であるようになっている(そうでなければさすがにヤブだ)とはいえ、面接場面という「枠」を離れてまで、自分の欠点や弱みを露出しないでいられるほどの存在ではない。

現実的にみると、カウンセラーという人種は、生育歴的にみても問題を抱え、現在の対人関係や家族関係でも悩み深き存在であることが少なくないと思う。現実適応能力も、「カウンセラー」という枠を外すと、弱いくらいで、カウンセラーしかできないカウンセラーしているというのに近いケースも多かろう。

これは精神科医の場合も言えることで、他科ではとてもやっていけないから精神科に流れついたような人も少なくないようだ。

もっとも、最近のように、社会人入学の人が増えている現状では、他の職業でも立派にやっていけるケースも増えていると思う。

更に、心理カウンセラーも、産業界とか、他業種との連携が必要なことも増えているから、必然的に社会性が磨かれる機会も増えていると思う。

ただし。実は、そのような、不適応者と紙一重の面を持ち、そうした自分への「自己治癒」を不断に続けなばならない存在であるということが、クライエントさんのセラピーの効果にもつながるという側面もある。 クッゲンビュール=クレイヴ著「心理療法の光と影 -援助的専門家の<力>-」(創元社)を詳しくは参照。

特にユング派の専門知識がなくても読める、非常に読みやすい本です。カウンセラーに限らず、看護士、ソーシャルワーカー、教師など、およそ人を援助する仕事に関わる人間全体における、なぜ援助的専門家を志し、業(なりわい)としているのか、そのことの持つ影(ダークサイド)としての側面と、それと表裏一体となった治癒力について述べた本である。

心理カウンセラーの中には、こうしたネット上で、必要最低限の情報提供以上の発言はせず(個人へのセラピーへの勧誘、SNS上のカウンセリングはしないのは言うまでもないが)、プライベートな発言を一切伏せ、心理専門家の仮面(ペルソナ)を一貫して守るという人も少なくないが、それもひとつの一貫したスタイルだと思う。

それに対して、私がネット上で採用したのは、プライバシーも出し、鎧の下のほころびをある程度自覚的にコントロールしながらもさらしていくというスタイルだ。政治的・社会的発言もしていく。

このことによって「透明な鏡」ではなくなるが、勝手な「投影」「理想化転移」を受けるリスクも減らせる。

あくまでもアカウントを「プライベート・アカウント」と位置づけ、自分のクライエントさんたちには教えない(ネット検索上は不可能)。こちらのアカウントを集客の手段として期待しない。実際こちら経由はいないに等しい)。

仕事用のサイト、Twitterアカウントは別に持っている (フォローは自由)。@kurumefocusing

@kasega1960 のアカウント、専門的情報や、私のカウンセリング観は、遠慮なく発信する(逆に開業アカウントではそれを抑制する)。「他の」専門家向け、一般の方向けアカウントにしているつもりです。

ただし最近は、趣味関係の発信には相当禁欲的となり、このnoteとブログのみを媒体とするようにしました。


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