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「パリ、テキサス」-ハーフミラーと投影的同一視-

ヴィム・ヴェンタース監督による1984年、独仏合作作品。

私が大学院時代にVHSで観て以来だから、30年ぶりぐらいに観た。

一回だけしか観なかったが、私にとって、実は一番敬愛する映画という認識でいた。



テキサスの荒野をさまよう髭面のひとりの男(演:ディーン・スタントン)がいる。

彼は水を求めて一軒家に勝手に入り、冷蔵庫を開け、水を飲み、氷を頬張ると、眠り込んでしまう。

医者のもとで目を覚ますが、医者の質問には何も応えない。4年間の過去の記憶がないらしい。

手持ちの紙に、ただ、「ウォルター・ヘンダーソン」とだけ書いてあった。

ロスで看板工をしているウォルター(ウォルト 演:ディーン・ストックウォル)のもとに連絡が入る。男はウォルトの兄のトラヴィスという人物で、4年間失踪していた。

ウォルトは早速テキサスまで飛行機とレンタカーで向かう。

トラヴィスはジェーン(演:ナスターシャ・キンスキー)という妻と、妻との間にいた子、ハンター(演:ハンター・カーソン)と3人で暮らしていたが、トラヴィスも思い出せない「ある事件」をきっかけにトラヴィスは失踪、同時にジェーンも、ハンターを、弟ウォルトと、同居する恋人アンの住む家の前に放置し、失踪する。

ハンターはウォルトとアンのもとで、父と母と思い込まされて育つ。

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さて、ウォルトはテキサスの荒野の中の医者のもとにたどり着くのだが、トラヴィスはすでに失踪していた。

ウォルトは、荒野の中で再び歩き続けていた兄トラヴィスを、やっとのことでつかまえる。トラヴィスはウォルトを弟だとはすぐに認識し、ウォルトの車に大人しく乗る。

しかし相変わらずトラヴィスは何を問いかけても口を開かない。

二人は一軒家のモーテルにたどり着き、ウォルトはトラヴィスの新たな服と靴を買うためにトラヴィスを残して車で出るが、その間にトラヴィスは再び失踪、ウォルトは再びトラヴィスを探し出さねばならなくなる。

2つ目の、前よりは清潔で大きいモーテル、ここでウォルトはロスのハンターに、「今お前の父と会っている」と電話で真相を伝える。

トラヴィスは今度はウォルトの言うことをきき、服も新しくして髭も剃る。

ウォルトが「ロスへ連れて帰る」というと、トラヴィスははじめて言葉を発する。

「パリ」

と。

ウォルトは「パリなんてヨーロッパだから簡単に行けない」という(実は、テキサスにパリという場所があるのだが)。

ウォルトは空港に行き、トラヴィスを飛行機に乗せようとするが、トラヴィスはそれに抵抗して、離陸しようと滑走路に向かい始める飛行機から降ろされてしまう。

2人はしかたなくロスへと2日かけて再びレンタカーで向かおうとするが、トラヴィスは前乗っていた車を再び選ぶことにこだわる。

その行程で、トラヴィスは随分ウォルトと気軽に対話するようになる。

トラヴィスは古い写真をウォルトに示し、「テキサスのパリのこの土地を買った」と言う。それは荒野の中の一軒家だったが、「なぜ買ったかは忘れた」と。

トラヴィスは運転を代わろう、眠れよと言い出すが、いつの間にか高速道路を降りて、砂利道を走っていた。

「土地を買った理由を思い出した。母と父がはじめて愛し合ったのがそこ。僕の人生はそこで始まった」

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ロスに2人はたどり着く。アンはトラヴィスを歓待したが、別れた時3歳だったハンターは現在8歳、ドラヴィスを父親だとは認識したが、そっけない態度をとる。

トラヴィスはベッドで眠れない。深夜にハナ歌を歌いながら台所で食器を洗い上げると、今度は皆の靴全部を磨き上げる。

翌朝、ベランダには全ての靴が並んでいた。

トラヴィスはハンターの小学校からの帰りの出迎えに自分が行きたい、2人は歩いて帰ろうと言い出すが、実際に放課後になると、ハンターはトラヴィスが待っているにもかかわらす、友達の車に同乗させてもらう。

ウォルトはみかねて、4年前に、ジェーンを含む4人でビーチにバカンスに行った時の8ミリの映写をすることを提案する。

この映写会の映像の中で、この映画の中ではじめて、トラヴィスの妻、ハンターの母親である、若いジェーンが映し出される。

それにトラヴィスの心が癒やされるのみならず、ハンターも、ウォルト、トラヴィス両方に、それぞれ「お休み、パパ」と言う。

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トラヴィスは、衣料品店で立派な服と帽子を買い込み、再びハンターの小学校の前で待ち受ける。ハンターは今度は、最初は道を隔てた両側の歩道をトラヴィスと歩調をあわせておどけながら歩き、最後にはトラヴィスに寄り添って帰宅する。

トラヴィスは夜になると、ハンターに、古いアルバムを見せながら語りはじめる。

「これが私の父。つまりお前のおじいさん。交通事故で死んだ」などと。

アンは二人が親しくなるにつれて、これまでのハンター、ウォルトとの3人の生活が変わってしまうのを恐れる。

翌日、アンはトラヴィスに、

「実はジェーンはうちに何度も電話で連絡をとってきていた。次第に頻度は減ったが、1年前の最後の電話で、ハンターのための預金口座を作るように求め、実際その後月一度幾ばくかの振り込みが続いている。それはヒューストンからの振り込みだ」

と。

トラヴィスが通る高架橋の上で、男が、「安全地帯などどこにもない」という演説を、ひとりきりでまくし立てている。トラヴィスはその前の通過する。

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トラヴィスは、ウォルトにクレジットカードをしばらく自分に貸してくれという。

彼は、それを使って、中古の59年型フォード、荷台つきを買い、ハンターの通う小学校で待ち伏せ、「これからおかあさんを探しに行こう」とハンターに提案する。

ハンターはそれに応じると即答する。

トラヴィスは、ヒューストンへの途中のガソリンスタンドから、ハンター自身に、ロスのアンたちが待つ家に電話をかけるように求める。

*****

2人はヒューストンの銀行にたどり着く。今日はちょうどハンターへの毎月の振り込みがなされる日。二手に分かれて待ち伏せることにしたが、ハンターがそれらしい赤い車に乗った女性をみつけた時にはトラヴィスは居眠りしていた。

ハンターはトラヴィスを起こすと、2人は高速道路の赤い車を追走する。

赤い車は、ある怪しげな館の前に駐車していた。

トラヴィスはハンターを残して、館の中に入る。

そこは、個室で、ハーフミラー越しに客の男性が女性と対話し、はしたないことをする館であった。

トラヴィスは、女性をチェンジしていき、ついにジェーンとハーフミラー越しに対面することになる。

トラヴィスは一度は会話を中断してホテルに引き上げる。彼は悩み続ける。

彼は、ハンターに語りだす。

「母は普通の女性だった。でも、父は空想にとりつかれていて、母さんをみても母さんが目に入らず、空想を見つめていた」

「そのうち、自分は『パリ』の女性を妻にしていると言いふらし始めたが、そのうち父は本気でそれを信じ込んでいった。母ひどく困っていた」

「ハンター、君はおかあさん(ジェーン)と一緒に生きるんだ」。

夜になったら再び館へ向かう。

・・・ここからの、トラヴィスのハーフミラー越しの再びのジェーンとの対話以降は、さすがにネタバレなし。

このハーフミラー越しの対面と対話は、映画史に残る名シーンであろう。

映像演出に、独特のこだわりがあり、「2人の顔が二重映しになる」シーンが印象的、とだけ言っておく。

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これはトラヴィスのアイデンティティ回復のドラマであるが、普通にそれというだけではなく、次のような含蓄もある。

精神分析の、殊にメラニー・クライン派の用語に、「投影的同一視(projective identification)」というのがある。

これは、自分の中に快が生じると、良い対象から愛されていると空想し、自分の中に不快が生じると、悪い対象から迫害されているものと空想することである。

これを恋愛に置き換えるならば、自分の中に愛しているという思いが生じれば、相手に愛されていると思いこむということである。

二人の間に、相互的にこの思い込み(空想)が生じる時に、幸せな恋愛関係は維持されるということになる。

更に付け加えれば、この心理規制が、「嫉妬妄想」とも関連付けられているところには、今回観なおしてはじめて気付かされた。

・・・身につまされる話である。

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そうはいっても、非常にわかりやすい作品であり、深読みはそんなに必要ないと思う。

クライマックスの、ハーフミラー越しの対話は、男女の機微の理解が必要と思います。

Ry Cooderのスチール・ギターによる音楽は、もはや伝説的であろう。

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