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大学の一風変わった映画鑑賞実習?の夢

かなり変わってもいるし、凝ってもいる夢をみていた。

私は大学学部生なのだが、その大学で、一風変わった映画鑑賞実習が開かれることとなっていた。

非常に大きなホールのような部屋。横長で、敢えていえばボーリング場のような作りを想像してもらえばいいかもしれない。

スクリーンが8つほど並び、その前に幅7列、縦には20列ほどの席がある。パーティーションはない。

そこでは別々の映画が上映されることになっていて、その映画を観てのレポートを提出することになっている。

どの映画を観るかは先着順。スクリーンにはサムネイルが表示されている。

学生各自が切符のようなID証明を持っている。

映画は、右から古いモノクロの映画が2つ、中あたりの5つは、どういうわけかリカちゃん人形の登場人物が出てくる、カラーだが劇場用アニメシリーズ。

その右側が現代のカラーのミステリーもの、一番左端が、「その他」となっている。

学生の多くはリカちゃん映画など観たくない。白黒の日本映画とミステリー、「その他」が狙い目である。でも、スクリーンの比率上、リカちゃんでもしかたないと多くの学生は妥協するつもりである。

学生たちはぞろぞろと席の確保をはじめる。

私は席の確保がかなり進んだ段階で会場に現れたため、残席は少なくなっている。

途中の経過は忘れたが、私は左から2番めのミステリーの席を確保する。

しかし、トイレの個室に自分の持ち物が入ったリュックを置き忘れたままにしているのを思い出す(この前のエントリーでもこのパターンありましたが)。

私はせっかく確保した席を失う不安を持つが、

「IDカード(すでに述べたように、切符のような大きさ)を席に置いておけば、確保していることを示し、その席は他の学生に取られない」

と、となりの女子学生がアドバイスしてくる。

私はホールを出て、廊下を歩き、エレベーターに乗るが、西(スクリーンの列からすれば、左側)の方向に歩き過ぎてしまい、トイレにはいきつかない、高層エレベーターに乗って上昇してしまう。

降り立ったところは、JRの中央線豊田駅(中央線でもかなり西寄り)と思われる駅で、そこから更に西、八王子駅に向かう電車に乗る。

豊田から八王子は一駅なのだが、途中に、廃止された駅がある場所を通過する(この豊田-八王子間の展開は、私の夢で頻繁に出てくるパターンである)。

私は大学の会場からとんでもな遠いところまで離れていくのに焦りを感じている。

*****

途中経過は一気に飛んで、私はリュックを確保した上で映画鑑賞実習の会場に戻る。

この時点で、

(ID切符を席に置いてきていても、それを他の学生がガメてしまえばその席は取られているではないか。アドバイスをくれた隣の学生が、そこはすでに私が確保済みと伝えてくれていることには期待薄だろう)

と気づく。

案の定、その、左から2列めの実写映画のセクションに確保していた私の席は、すでに誰かに奪われていた。

そこで一番左端の「その他」のセクションに移動してはみるが、私は「その他」については、自分がこの実習とは別に、勝手に観た映画についてレポートすればいいことになっているのを潔しとはせず、結局左から3列目のリカちゃん人形のアニメの残余席に移動する。

映画は各セクション一斉に上映開始となる。

目の前に、古めかしいカラーの、リカちゃんとその家族が駅から列車に乗ろうとしているシーンがはじまる。

私は、暗い中、その映画の内容を刻々とメモっている。

ところが、数分後に、それぞれの映画は一斉に中断される。

学生たちは、

「この数分間だけでレポートを書けというのか? 詐欺だ!」

と騒ぎ始める。

私は、

(手元に詳しいメモがあるから、レポートは書ける。でも他の学生は、記憶に頼らないとならないから、私ほど詳しくは書けないだろう)

と思う。

*****

ここで、リアルワールドで宅急便のチャイムが鳴り、夢は途切れる。

****

ユング心理学の影響が濃い、箱庭療法では、左側の方が無意識の世界とみなされることは、多くの臨床家にとっては周知だろう。

私にとっては、左側というのは「西」という方向性と密着しており、「豊田の隣の八王子」という時、私が15年以上数住んでいたのは八王子であることと、私の故郷、そして現在住んでいるのが、はるか西の、福岡県久留米市であることとも関連するかもしれない。

ちなみに、豊田の次の八王子の途中にある廃駅というのは、中央線の、神田と御茶ノ水の間にある、旧万世橋駅の風情にも少し似ているが、万世橋駅は、神田駅から曲線でぐーっと西側に曲がる途中で、中央線快速もゆっくり通過するのに対して、夢の中の旧西豊田駅は、高速で通過されてしまう。

しかし、この廃駅に、私の無意識の、打ち捨てられた何かが象徴されているのではないかという思いは常々ある。

映画鑑賞実習の真ん中のセクションの大半が、古いカラーのリカちゃん人形アニメであることは興味深く、何かインパクトがあるが、この映画は、昭和35年頃から40年頃の作風のようで、学生たちが生まれてもいない、無意識の古層への誘いを意味している気がする。これらの映画は、カラーだけどピンぼけである。

時代を変えれば、セーラームーンやプリキュアのような映画のようにも思う。これらの映画を、小さな子供向けのものとバカにしてはならないことは、私は繰り返し書いてきた。「セーラームーン」劇場版については、詳しい考察もし、学会発表までしている。

「座れる自分の席があるかどうか」というのは、まさに、自分の「社会的」居場所としての「椅子」が確保できているかどうかと結びつくだろう。

私が左端の、勝手に好きな映画の感想を書いていい「その他」を「ズルだ」と感じ、潔しとはしないというのも興味深い。恐らく私がひよりよがりな自分の居場所に安住することを望まず、現実のどこかの居場所を確保して、公平に人生の勝負をしたいと考えていること(現状はネット相談と年金ぐらしの「自宅警備員」同然なので「左端」なのだが)と関係すると思う。

私が速攻で同時進行的に詳しいメモをとるのは、私の習い性で、昔からカウンセリングや本を読む時や映像作品・TV番組を観る時、講演を聴く時、たいていやっている。

これは、速記録に近い文字でなされるため、ほとんどそれだけで逐語録が作成できるくらいのものである。

私が、これらについての記事をこのサイトでエントリーする時、具体的で要を得ていることが多いのはそのおかげである。

いちいち詳しく読み返さなくても、頭の中に非常に整理された形でインプットされるのである。

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