ウマ娘の精神分析 第18章 ゴールドシチー -一流モデルとウマ娘の二足のわらじを履くことにこだわるウマ娘-



 
●実在馬
 
 
サラブレット オス 栗毛
 
1984年4月16日-1990年5月2日
 
北海道門別町に生まれました。
 
幼い頃から金色のたてがみと尾を持っていました。
 
デビュー1年目のGIIで1着。2年目の皐月賞で2着。
 
同期にタマモクロスがいますが、2着で2回敗れています。
 
日本競馬史上100年に一度の美しい馬と評する人もいます。
 
通算成績:20戦3勝 2着4回 3着2回
 
騎手はほとんど本田優。
 
 
●ゲームの声:香坂さき
 
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金髪に青い目。長い髪。色とりどりのネイル。
 
レースの時は銀のネックレスをつけ、黒のビキニにジーンスの短パン、黒のジャージを羽織ります。
 
クールな美貌の持ち主ですが、プライベートでは、荒っぽい女子高生的タメ口です。
 
3歳の頃からモデルをはじめ、一流の道を歩んできました。しっかりしたマネージャーのサポートを受け、そのことに恩義を感じています。
 
モデルをする時は、完璧にスタイリッシュな演技を決め、マスコミやファンへの対応も見事です。
 
しかし、彼女は自分のことを、空虚なお人形だと感じていました。
 
みんなは私のキレイさという外見だけでしか評価してくれない。
 
ほんとうの「私」は違うんだ。
 
街に張りめぐらされているポスターを見て、「あれって、誰?」と思った。
 
「ゴールドシチー」・・・だよね。
 
だとすればそれを見ている、ここにいる私って、何?
 
ある日、彼女はそれに耐えられなくなり、目的もなく走り始めます。
 
さんざん走った末に、見も知らぬ場所にたどり着きました。
 
息も絶え絶え、身体はクタクタ。泥だらけ。お気に入りのワンピもボロボロ。
 
でも、夕焼けの美しさに心洗われ、大泣きしました。
 
ホントウのアタシがここにいる・・・
 
こうして、彼女はトレセン学園に入り、モデルとウマ娘の二足のわらじを履く決心をします。
 
マスコミはこの話題で持ちきりでした。
 
マネージャーは大反対。そのきれいな身体に傷がついたらどうするの?
 
しかし、選抜レースに出走しても惨敗ばかり。なかなかトレーナーに恵まれません。
 
「走りは美しいけど、実力の方は・・・」
 
やっと中堅トレーナーに声をかけられ、「君をレースで輝かせるウマ娘にしてみせる」と言われ、彼女は大喜びします。
 
ところが、そのトレーナーが指示した練習方法とレーススケジュールで、彼女は大喧嘩することとなります。
 
君は美しく走れればいい。余計な筋肉をつけたらプロポーションにさわる。勝てるレースだけ走ればいいんだよ。
 
「それは違う!」と、彼女を追っていた新人トレーナー(ゲームする人)は異論を唱えます。
 
君をほんとうに一流レースで勝てるウマ娘にすると。
 
こうして、彼女は新人トレーナーの方と契約を結ぶことにします。
 
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彼女は何とか好成績をあげることができるようになって行きますが、聞こえてくる評判は「さすが美しい走り」「モデルとしては凄い」という声ばかりです。
 
彼女はそのことに繰り返し失望します。
 
彼女にも親友がいます。おしゃれでイミフな努力を嫌う都会っ子、トーセンジョーダンです。

東北なまりのユキノビジンは、シチーに尊敬の眼差しを向けています。
 
彼女たちは、シチーが美人であることを全然気にかけずに、気安く接してくれます。
 
 育成が順調に行けば、こうした連中と、トレーナーの有形無形の支えを受け、彼女は大レースでもどんどん成果をあげるようになって行くのですが、それでもファンは彼女の走りを「美しい」と言うばかり。
 
ゴールドシチーは、こころに大きな空洞を広げていくばかりとなっていくのですが・・・
 
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ゴールドシチーと、このあと取り上げるスマートファルコンを比較してみると興味深いと思います。
 
スマートファルコンはアイドルとして、ゴールドシチーはモデルとして、完璧といっていいプロ意識を持っていることでは共通です。マスコミやファンへのサービスにもニコニコしています。
 
ふたりとも、「演技力」がべらぼうに高い。
 
この後の章で書きますが、ペルソナ(仮面)を「意識的に」操ることに長けています。
 
ところが、2人には決定的な違いがあります。
 
スマートファルコンは、レースで走り、歌って踊れるアイドルでもある「ウマ娘」という、期待される社会的役割にすっぽりはまっていて、ひたすらその理想を追求し、高みをめざしていけばいい。
 
だから自分について、一貫してポジティブでいられます。
 
ところが、ゴールドシチーの場合には、美しいモデルであることと、泥臭くもあるウマ娘の道をきわめることには、矛盾したところもあります。
 
そして彼女は、モデルとしての自分を、ほんとうの「私」ではない、ただの空っぽな人形、強いウマ娘として認められた時に、はじめて、ほんとうの自分を受け入れて認もらえたことになると信じているのです。
 
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「二足のわらじ」を履く有名人は決して少なくはありません。
 
歌手でレーサー、コメディアンで芥川賞作家とか言えば、誰にでもすぐに名前が思い浮かぶでしょう。
 
しかしそういう人は、決して道楽としてやっているのでも、多芸多才をアピールしたいのではないのではないでしょうか。
 
社会的に認められた自分へのイメージのおしつけが嫌で、「本当の自分」を認めて欲しくて、もう一つの道も選んだのではないかとも想像します。
 
でも「レーサーできるのは金持ってるからだろ」「漫才師にしては文才があるので賞をとっただけ」といった評判をくつがえすことは容易ではないでしょう。
 
ほんとうの「私」を認めて欲しい、理解して欲しいと感じて、周りの人にそれを求めるようになった時、今度は、周りの人に自分がどう思われるか、ということに自分の判断の基準をおいてしまうという危険を犯すことになります。
 
「自分は自分」で開き直れればそんなことにはならないのですが、これは「ほんとうの自分病」にかかった人には、なかなか難しいことです。
 
「今とは別の、ほんとうの自分」を探す旅に出てしまうと、いよいよ「ほんとうの自分」を見失うという逆説があるわけですね。
 
ゴールドシチーのように、超美人だとか、東大出だとかいうブランドやスペックを持っていると、そういう外面的なフィルターを通してしか自分を見てもらえないと感じて苦しんでいる人もいます。
 
ネット上では、そういうことを隠してしまえばいいのですが、リアルワールドで人と親密になると、そうも行かなくなるでしょう。それを「贅沢な悩み」と切って捨てられると、いよいよ本人は辛いことになります。
 
すでにテイエムオペラオーのことを書いた時でも触れましたが、自分は自分と思っている人は、人のことを「うらやましい」とは思っても、決して「ねたましい」とは思いません。相手を「ねたましい」と思う人は、日頃の欲求不満の腹いせに、相手の欠点を見つけたり、足を引っ張ったり、傷つけようとしてきます。
 
でも、ありのままの自分にポジティブな人は、相手の学歴とか、美人とかの「外面的」特徴を気にしないで普通に接してくれるものです。ゴールドシチーにとってのトーセンジョーダンのような知り合いを、ひとりでも持てることは、とても貴重なことだと思います。
 
自分が美しいと見てもらえる人は、何もそのことで自分をおとしめる必要はありません。堂々とその美しさを誇っていいのです。それは健全な自己愛です。
 
実は、見ている人のかなりの部分は、そのこころの「美しさ」にも気づいてくれていることが少なくないかと思います。
 
そのことを信じていられるアイドルやモデルやタレントさんは、決してこころを病んだりしないでしょうね。
 
・・・さて、ゴールドシチーの場合はどうなるのでしょうか。
 
それは、実際にゲームをクリアーして行ってみてくださいね。
 

 

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