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【あの頃にピラフが普及した】平成の米騒動を知っているか

1993年に起こった平成の米騒動では日本米を入手することが困難だった時期がある。

祖父母が農家であった我が家では引退後も家用の米を祖父母が作っていたので日本米に困ることはなかったが、世間では確実に日本米が高騰し、平成の世に農家に米泥棒が出没するというアンビリーバボーなニュースが飛び交った。

そのニュースを耳にする度に「ウチに余ってる古米を激安で売ろう。外国米よりよっぽどうまい」と言って闇米事業に着手しようとする兄を「そんなことしてたらロクな死に方せんよ」と10歳年下の小学生の弟が止めていた。

米を作る土地が余っている宮崎のド田舎でも日本米が品薄だったのだから、全国各地で日本米不足だったことだろう。
現役で米農家をしている知人宅には、都会的な格好をしている知らない人が訪ねて来て「売っていただける日本米はありませんか」と言われたらしく、年寄りたちが戦後を思い出すと言っていた。
あの頃は自分たちが食べる米もなくて芋のツルを食べていた…いやいやいや、あるのよ外国米が。
クチに合わない、てだけで。
芋のツルまでの食糧難ではないのよ、あるから外国米なら。

日本米の在庫がよほど底をついているのか…と我が家だけはにわかには信じがたい。
なぜなら米農家を引退して家用の米だけに規模を縮小しているのに、祖母宅には古米・古古米と、2年前の米もが余りまくっていたからだ。

友人からは米屋のだましのテクニックを聞いた。
日本米の価格があがり、とても10キロという単位では買えない。
高価な10キロの日本米の横に無色の袋に入れられた何の表示もない3キロ入りの米が販売されている。
日本米かどうかを確認すると「まぁ、日本米ですよ」と言う。
他に選択肢があるわけでなく3キロの「まぁ、日本米ですよ」を薄々アヤシイと思って買って帰ると、日本米の中からビニール包装された外国米が1キロ弱ほど出てきたのだそうだ。
「まぁ日本米」とはこういう意味かと友人のオカンは感心してた。
そしてこういう風にして米を売らねばならない米屋さんも可愛そうに…と言うのである。
これで固定客を逃がすだろうに、と。

一応の良心の呵責は見せての別包装。
混ぜるのはさすがにあくどいという罪の意識はあったみたい、と当時高校生だった私と友人は盛り上がった。
外国米は炊飯器で炊いてもそのままではパサパサして食べれたもんじゃないので、ずっとチャーハンだと嘆いていたがこの頃はまだ余裕だった。
チャーハンまでは日本食という味覚で食べていたようだが、ついに彼らの弁当がチャーハンの次の段階へ進んだ。
お弁当に入るごはんが「外国米のピラフ」になったのである。

「ピラフて何?」
「炊き込みご飯の洋風版みたいなヤツ」
「え~~~イイじゃん」
「たまにやからイイとよピラフは。毎日やとあんどすって」

どうやらオカンたちの間では、具材を切って炒める手間のかかるチャーハンよりも、炊飯器ひとつで炊き込めるピラフが流行り始めたのだ。
ミックスベジタブルとベーコン、バターとコンソメ、スイッチオン、醤油を垂らしてま~ぜまぜ、そんなレシピで作るのが「ピラフ」らしい。

白米が苦手な私にとっては、毎食ごはんに味がついているなんて夢のような食卓なのに、米騒動の時のみんなの反応と私の反応はまるで違った。
みんなは外国米のピラフっつ~食べ物を食べているのに、日本米が手に入る我が家は白米を食べている何も変わらない日常。
そして白米を食べずにおかずだけを食べる私の食生活も、いつも通り。

クラスメイトに「タイ米のピラフ」を味見させてと言えば一口もらえるだろうが、ド偏食の私が食べられるかどうかがわからないので手は出せない。
普段から日本米すら食べていない私がウチで「タイ米食べてみたい」と言ったところで米を食べてる実績が無いので、タダで日本米が食べれるのにわざわざタイ米を買ってもらえるはずがない、なんせ億の借金抱えてるしね。

冷凍ピラフを見ると平成の米騒動を思い出す中年がたくさんいるだろう。
令和のピラフは平成のピラフと味が違うのだろうか。
私は平成の米騒動を日本米で乗り切ったので、タイ米もピラフもついぞ食べるチャンスがなかった。
死ぬまでに「タイ米のピラフ」を試食するような機会に恵まれたらいいなと思っている。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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