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不老不死ビジネスはいつの時代も大人気

始皇帝の不老不死の丹薬、楊貴妃が毎日食べていた不老長寿の薬クコの実、西洋錬金術の不老不死霊薬エリクサー、インドの不死の飲み物アムリタ、日本の不死の木の実トキジクノカク。

世界各国いつの時代にも不老不死を謳う何かが追い求められ、現代でも美魔女愛用の若返るエキスだったり、足や腰やの痛みを取るサプリだったりと、不老不死ビジネスは廃れていない。

「こないだTVで不老不死てゆってたやろ?不死はハッキリしてるけど不老は難しくない?何歳なん?ちょっとわかりにくいよな不老」
「そやなァ…ひとそれぞれやろな。どこを老いのスタートにするかによって違ってくるからな。まァ『ピークから老いていかない』てのは共通なんちゃう?自分の中での絶頂期みたいなんがあって、きっとソコなんやろ。でも何をもってしてピークとするかの基準は個々独自のモノサシで決めてるから不老の年齢はひとによるんやろな」

自己申告の不老で年齢を止めることが出来たとして、世の中の人口バランスはうまくいくのだろうか。
カワイイ絶頂期として3歳で止めるひともいれば、外見の絶頂期20歳で止めるひともいて、大人としての自信がついてきた35歳あたりで止めたいひともいるだろうし、燻し銀の60歳で止めたいひとだっているに違いない。
止めたい年齢の人気が高いトシは問題ないが、果たして99歳で止めたいひとが現れるだろうか。
おめでたい100歳で止めたいひとはいるだろうけれど、ナチュラルに100歳を迎えられるかどうかは確実じゃない、95歳で天寿を全うする人生かもしれないではないか。

止めたい年齢までは普通に自力でトシを重ねるわけだから、後半でピークを設定しているひとはそれまでに不慮の事故に遭わぬよう注意する必要が出てくる。
若い時から食生活に気をつけ適度な運動をしておかないと、経済的安定を得たピークで年齢を止める頃には通院がセットになっているかもしれないのでそこも継続的に注意。
あくまでも不老不死だから、健康まで保証しているわけではない。

死なないしトシも取らないが、健康の維持まではしてくれない。
勘違いをしてはいけないぞ、不老不死を。
老いることで自然と出てくる身体の変化はなかろう。
12歳で年齢を止めれば筋肉痛が2日後に来ることはないし、20歳で年齢を止めれば老眼とも無縁だろう、35歳で年齢を止めれば五十肩にもならん。

しかし10歳で盲腸炎になれば盲腸は失うし、25歳でギックリ腰になればクセになり、30歳で内臓疾患にかかればうまく飼い慣らす終わりのない闘病人生が待っている。
身の安全と健康管理は自分でやらねばならないのが、不老不死。
通院三昧のタイミングでうっかり不老を始めたら大変だ、死なないせいで入退院の繰り返しが永遠に続く。

見た目、精神的成熟性、収入、環境、その他もろもろ。
どれもこれも同時期にはやって来ないピーク。
そのひとが何を重視しているかによってピークの年齢は変わる。
自分の基準だけのことではなく自他共にピークだと言えるという査定基準があったとしても「他の人の年齢」によってピークの見え方はズレる。

10代から見てと70代から見てでは、同一人物のピークのことでも同じ年齢を言いそうもない。
25歳の他人10人を集めてピーク年齢を聞き出したとしても、同じ年齢を言いそうもない。
性別や性格が違えばピーク年齢の算出もそれぞれ違うだろうし、ピーク年齢をはじき出そうとしている相手との関係性によっても「そのひとのピーク」が違ってくる。

若さこそすべてだと思う美意識の女性なら19歳や20歳くらいがピーク年齢なのだろう。
しかしこれが自他ともに認める見た目のピークなら、自分では20歳くらいがピークでも「色気が要る派」の他人の査定が入れば年齢的には32歳あたりがピークになりそうだ。

顔の若さのピークで言えば20歳がひとまずの絶頂期だろうとは思うが、20歳の時はどんなひとでも一番風呂の顔をしている。
とびきりキレイなんだけど、あたりがキツい。
その点30歳そこそこの二番風呂顔だと、とびきりキレイのピークをちょいと過ぎ優しさが顔に出て良さは倍増している。
ついつい湯船に長居しちゃうのと一緒で、ずっと見ていられる二番風呂顔をピークと感じるひとも多いことだろう。

経済的な安定をピーク年齢と捉えているひとなら、出世しまくって納得のポジションになった頃合いの中年以降がピークになりそうだけど、これはなかなか判断が難しい。
経済状況がそもそも変動するものなのでそれに合わせて自分の経済的安定感も変わってくる。
稼げる自分であることをピークにすれば、社会的地位とある程度の収入が得られる年齢であれば経験もあるし経済的に不安定になるような大々的なミスはしないだろう。
仕事上は。
ただ、だいたいそのくらいの年齢になると魔が差してやらかしてしまうひとはいる。
プライベートで。
前からやらかしてはいたんだけどとうとうバレる詰めの甘さが出るのもこの年齢あたりの油断にある。
隠し果せるほど神経を研ぎ澄ますスタミナがない年齢でひとは経済力を持つので、カネでどうにかしようとするのだ。
社会的地位も収入も失うのは仕事でミスをしないことだけではない。
仕事のストレスをプライベートで発散する時にミスをする危険性は、経済的安定のピークを感じている時のほうが高いのだ。

自分を取り巻く環境の安全を主軸と考えるピーク年齢なら、最新防犯システムなんかを導入したり会社のセキュリティを万全にしたいだろうから、費用面で考えて若い時にピークは迎えないだろう。
安全な暮らしと会社の万全なセキュリティに「これでよし」ということがあるのだろうか。
何をしても死ぬまで「これでよし」と思えることはないような気がする、環境の安全を求めるタイプのひとはとくに安心なんてしないんだろうな。
施錠したあとで本当にかかっているか不安になってドアノブをガチャガチャやるタイプだ。
その毎回の確認でかかっている力により施錠が甘くなってドアノブが緩みグラついてせっかくの安全が脅かされるからやめたほうがいいと思うがどうだろうか。

最も判断が難しいピーク年齢は精神的成熟性のピークである。
これは非常に難しい。
精神的成熟性はつまり類まれなる包容力を持ち得る人間のことだろうが、死ぬ寸前まで成長するチャンスがあるから困ったもんだ。
老いることでどんどんチカラをつけている、それが精神的成熟性。
頑固な老人にさえならなければさらなる成熟も可能だからどこをピークと見積もるか。
息絶えるその瞬間まで素晴らしく精神的に高みへ向かい続けた人間であったなら、いっそ有終の美を飾って終わりたいだろうに。
永遠に続かないからこそ人生は美しく、常に自分を律して成長していたいと望んだのだ、そのひとは。
死ぬこともまた人生の一部である。

老いて寿命を全うするのが、心身には一番よさそうだな。
ひとりの人間が不老不死を手に入れて生きながらえるより、人間性を培いながらたくさんの人間が切磋琢磨して命を繋ぎ、一期一会を大事にして丁寧に生きていずれ死に、その死が残された人間の「どう生きるか」に影響を与え続けるほうがよっぽど人間らしい。
死なず老いずではどうも人間味がないから。

こんなに不老不死について考え、結論、老いて死ぬのが人間としめたが、令和5年も不老不死ビジネスは廃れないだろう。
今年も健康食品は売れ、肩こりに効く液体、シワが消えるクリーム、膝の軋みを何とかするサプリがきっと売れる。
スマホを30㎝以上離さないと文字が読めないまでに老眼が進んだ私は、来月も目薬を買うだろう。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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