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自身の独占欲を垣間見た瞬間

私は独占欲が強い。

現在は自身の独占欲の強さを当然理解している。そして、小学校低学年の時にそれが露呈したことがあったなぁと度々思い出しては苦い気持ちになるのである。


小学校低学年の時、私にはAちゃんという友人がいた。彼女とはお互いの家を行き来する仲であったが、私は彼女を少し見下している部分があったと考える。彼女は柔和で優しい子だったが、グズでオドオドしがちな面もあった。また、滑舌が悪く鼻を垂らしている時もあり、そういった部分が私の癇に障ることがよくあったように思う。また、彼女には母親がいなかった。母親と死別したのか、父親と母親が離婚して別に住んでいたのかはわからないが、彼女は父親と祖母と3人で暮らしていた。
以上が前置きであるが、Aちゃんが子供らしくて優しいいい子だったことは間違いないことである。

ある日学校帰りに彼女が私の家へ遊びにきた。母は彼女にとても優しく接していた。そんなことは当然である。娘の友人に親切にしない母親など珍しいだろう。しかし、私にはそれが少し気に食わなかった。私はマザコン気質なのである。大好きな母が自分よりもAちゃんを優先させて親切にしていることが寂しかった。彼女に母親がいないことも関係していたのではないか。小学校低学年の私のちいさなちいさな脳内は母親のいない可哀想な友人にほだされた自分の母が彼女に奪われてしまうような感覚で満たされたように思う。

少し気に食わない気持ちに襲われつつもAちゃんと私は夕方まで私の家でゲームをして遊んだ。そしてAちゃんが帰る時間になった。私の家と彼女の家はかなり離れていたため、母が車で彼女を家まで送ることになったのだ。

当時私は水色でプラスチックの宝石があしらわれたミュールをとても気に入っていた。履くと少しお姉さんになった気分になり高揚感を覚えていたように思う。玄関に置いてあったそのサンダルに彼女は目を止め、ささやかに羨ましがったのだ。すると母は彼女に、彼女の家に着くまでそのサンダルを履いて行ってもいいよ、と言った。彼女は目を輝かせて嬉しそうにしていたことを覚えている。しかし、その時の私は最低な気分になっていた。ただでさえ母に優しくされている彼女に軽い敵対心を覚えていたのに、大切にしていたミュールまでも彼女に貸すことになってしまったからだ。母のみならず靴にも独占欲を感じていたのだろう。それでもすでに貸すことになってしまったものを貸したくないと主張することはできなかった。しかし彼女に優しくすることもできず、はっきりと覚えてはいないが彼女を送る車内で悪態をついてしまった気がする。

父親と祖母と暮らしている彼女にとって、キラキラしている少し大人びたミュールを買ってもらう機会はなかったのかもしれない。
母親と暮らしていない彼女にとって友人の母親といえども母親というものに優しくしてもらうことは嬉しいことだったかもしれない。
私の母にとって私の友人に親切にすることは私のためであることや、母は大人として、少し不遇にも見える彼女に少しでも親切に接したくなったのかもしれない。
今なら、色々なことを想像できる。しかし、独占欲が強くひねくれもので感情を抑え切ることができなかった当時の幼い私は、私のミュールを履いて喜ぶ彼女に優しくできなかった。そのことが現在でもとても心残りであり、思い出すたび苦い気持ちになる。

人には優しくした方がいい。
これは当然のことと思われるが、道徳的な意味だけでなく、人に優しくできなかった経験は自分の記憶のなかの薄暗い部分として残り続けるからだ。自分のなかに辛い記憶を残さないためにも人には優しく接した方がいいのである。今でもいっときの感情を他者にぶつけてしまうことが多々ある。これは直すためにはどのようなトレーニングを積めば良いのだろうか。人のバックグラウンドや気持ちを思いやることのできる優しい人間になりたいと切望している。

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