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20代の終焉と、30代の幕開けと。

20代の終わりは、ひとつの時代の終焉を意味する。すくなくともぼく個人にとっては。

この日が来るのを心待ちにしていた。そして同時に、ひどく畏れていた。村上春樹が唱えた「30歳成人説」というものがある。趣旨としては「自分が本当にやりたいことなんかそうそう見つからないし、30歳まではいろんなことをやってみて、30歳になってから人生の進路を決めればいい」というもの。“本当の大人” は30歳から始まるのかもなあ、とそれを聞いて薄ぼんやりと思った。

20歳を迎える年に、人生で2度目の家出をした。1度目は大学受験に失敗した18歳の冬、そして2度目が関西の大学に進学が決まった20歳の春。

両親から離れ生命の保障される場所に移ったことが引き金になって、抑圧されていたものが噴き出すみたいにフラッシュバックと悪夢と希死念慮が襲いかかってきた。心身を容赦なくすり潰し、削り、損ない、崖の淵でほぼ屍体だったあのころ。自分がよもや30歳まで生き永らえるとは、想像もしていなかった気がする。当時の自分にそれを告げても、絶対に信じないはずだ。

いろいろなことがあった。本当に、書ききれないほどのたくさんのことが起きた。3年次に関東の大学に編入し、22歳になる直前で再び東京に戻った。さまざまな理由から就活をする勇気が持てず、学部を卒業したあとはそのまま院進して、半べそをかきながら修士論文に取り組んだ。

25歳でやっと社会人デビゥを果たし(デビューよりデビゥのほうがなんか可愛いよね)、成り行きで就職した学習塾を直属の上司にいじめられて1ヶ月で退職し、その後は業務委託の予備校講師として働き始めた。つまり若干26歳で、流れに流れて自営業になってしまった。

そしてそれとほぼ同時期に結婚が決まり、26歳でやっと親父の手から逃れ、夫と二人暮らしを始めた。新婚生活はさながら嵐のようで、たびたびフラッシュバックを起こすぼく自身も、それをケアせざるを得なかった夫も、くたくたに疲弊した。カウンセリングに通い、根治を目指し、主治医から一応の寛解宣言を頂戴したのがたしか28歳のとき。

その年、学生時代から細々とやっていた「ライター」という仕事を本職にするために一時的な広告代理店勤務を経て、ほぼ右も左もわからぬまま専業の物書きになった。どうにかこうにか連載先を獲得し、稼ぎを増やし、夫におんぶに抱っこ状態だった生活から抜け出しつつある、今。

頑張ったなあ、20代。よくぞこの10年、死なずに生き抜いたよ。荒れ狂う波を乗り越え、ときに溺れ、迷い、それでもなんとか無事に30歳を迎えた。

どうしてもきついことにフォーカスしちゃいがちだけど、楽しいことも嬉しいこともたくさんあった。大学の長期休暇は必ずどこか海外に飛び、バイトで稼いだお金をぜんぶ突っ込んで貧乏旅行に繰り出した。これからも付き合っていくであろう、大切な友だちもできた。それなりに恋愛もした。ただし、惚れた相手はほぼもれなくクソみてえな男とクソみてえな女だったけど。

あ、それから一番大きな変化についても。帰化をし改名をしたぼくは、国籍からフルネームまで出生時と何もかもが変わった。本当は20代のうちに胸オペも終えたかったんだけど、まあ少しくらいやり切れなかったことがあってもいいだろう。これからの人生の方が圧倒的に長いんだから。

“本当の大人” になるのは、やっぱり少し怖い。今まで享受していた「若さの特権」みたいなものを、いい加減に手放さなければならないときがついに来てしまった。20代だからこそ、許されていたこと。甘えや弱さやだらしなさ、そういうものが今後はきっと、通用しなくなるときが増える。

ただ一方で、若さの代償に得るであろう「何か」が、たまらなく楽しみでもある。厳しく苦しかった20代を通り抜けたこの先、幾分か身軽になった30代はぼくにとってどんな時代になるんだろう。

さようなら、「若さ」を存分に謳歌した20代のぼく。そしてこんにちは、“本当の大人”になりかけている30代のぼく。二度と戻れない時代、悔いはもちろんあるけれど。取り返しのつかない失敗もしたけれど。それでも今日は、どうにかここまで生き抜いた自分を褒めたい。今ここでキーボードを叩いて、呼吸をしている。それだけでぼく、めちゃくちゃ偉い。

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