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あなたを呪うためじゃなくて、自分のために生きてるだけ

追い詰められていることに気がつくのがいつも遅い。己のSOSを察知するセンサーが鈍っているのは、子どものころからだ。持って生まれた性分なのか、育てられ方の問題なのか、よくわからないけれど。

Twitterでライターアカウントとは別に、コスメアカウントなるものを作成した。理由は、化粧品のお仕事をもう少し増やしたいなと思ったから。今年の4月に受注していたお仕事を見直して、報酬に納得がいっていないものや、記名ではないもの、自分には向いていないジャンルの継続をお断りした。本当に書きたいものだけを書こうと、決意を新たにしたのだ。そして自ずと、それまでぽつぽつ入っていたメディアでのコスメの案件が減ってしまった。ありがたいことに0まではいっていないけど、毎月定期的に発注してくれるメディアはなくなった。今は美容関連は、LP記事と不定期のクライアントさんだけ。

化粧がとてもすきだ。嫌いな顔を、ある程度受け入れることができるようになるから。だいすきな古着を着こなせる、まともな顔になれるから。コンプレックスだった“韓国人みたいな”ツリ目や“ロシア人みたいな”白い肌を受け入れることができたのも、ぜんぶ化粧を知ったおかげだ。こういうとき、自由な校風の学校で思春期を過ごせたことをありがたく思う。中2で転校せずにあのまま窮屈な女子校に押し込められていたら、今ごろわたしは鏡を見るたび首を吊っていた。

だから、自分の中で数少ない外向きな趣味である化粧や古着は、わたしの中でとても大事なものになった。

コスメアカウントの運営はまあまあ順調で、1週間経たないうちにフォロワーさんは100人を超えた。実はSNSを戦略的に運営するのってこれが初めてで、ちょっとワクワクしてもいた。化粧を工夫して、色味を調整して、加工して。ちょっと照れくささはあるけど、自分の顔をネットに晒す。いろんな人気のアカウントを見たけど、やっぱり顔を出している方が人気が出やすいらしい。これまでも有り余る承認欲求を満たすべくときたま自撮りをTwitterにあげていたけれど、それとはかなり意味の異なる行為だ。ほどよく垢抜けて見えなければ意味がないし、客観的に自分の顔を分析するのはなかなか難しい。

ただ、ちょっとした懸念もあった。昔から読んでくれている方は知っているかもしれないけれど、わたしは過去一度だけnote内で揉めてしまった。その相手も偶然コスメアカウントを運営していて、早い話がフォロワーや活動圏が被ってしまったのだ。わたしはそのひとのことをほんとうにすっかり忘れていたので、彼女のアカウントを見つけたときは驚いた。顔出しをされていた方だったから、すぐに本人だと気がついて、わたしも見たくないし見られたくないだろうなと思って即座にブロックをした。

振り返ってみれば、その原因は相手とわたしの心地よいとする距離感が異なっていたことによるものだったのだと思う。押し切られるままに連絡先と実生活用の鍵付きアカウント(その頃はまだ、現在こちらと連携しているライター用のアカウントを持っていなかった)を交換してしまった。正直、これといった用事もないのにしょっちゅうLINEが送られてくるのも、実生活を覗かれるのも精神的に負担だった。わたしは連絡無精で、仲の良いひとともそれほど密にやりとりをするタイプじゃないから。

彼女は何気ない小さな嘘が多くて、それも不信感を増す要因だった。7月◯日だと言っていた誕生日を突然「今まで偽っていてごめんなさい、本当は△日です」と言い出したり、年齢が聞くたびに変わっていたり、過去のエピソードが都度異なっていたり。既婚者で夫がいたはずなのに、6月生まれのフリーと自称し出したり。

フェイクを入れることが悪いとは思わない。それはインターネットの海の特性を考えたら、むしろ当然のことだから。わたしだって小さな嘘は混ぜている。でも、あんまりにも何気ない嘘が多いと、もしくは"設定"が話のたびにブレると、こちらは何を信じていいかわからなくなってしまう。彼女の抱えている苦悩に真剣に耳を傾けたいと思っても、もはやそれすら嘘なのではと疑いたくないことまで疑う気持ちが生まれてしまう。

それでも彼女のことは嫌いじゃなかったし、負担に思う一方で頼りにされていることを嬉しく思ってしまっていた。そして彼女から持ちかけられた「相談」に乗っていたのだが、ある日突然それは「介入」になった。彼女から求められたアドバイスであったはずなのに、手のひらを一瞬で返されて「勝手なお節介」ということにされてしまったのだ。

「カウンセリングを受けてみたいけど夫が金銭的に厳しいから許してくれない」と彼女が悩んでいたので、必要経費なのに辛いですよねとわたしは声をかけ続けた。そしたらいつのまにかそれは「彼女の意見」ではなくなっていて、どういうわけだか知らない間に「わたしの意見」になっていた。彼女は夫にわたしがアドバイスするLINEの文面をそのまま見せて、「チカゼさんって人が受けなきゃダメって言ってるから」と説明したのだ。そのせいでわたしが「彼女は絶対にカウンセリングを受けなければダメだ」と断じたことになっていて、そしたらなぜだか彼女の夫とわたしが直接電話で話すことになってしまって、気がつけば罵声を浴びせられていた。

「家庭の事情に首を突っ込まないでください」と彼女の夫は怒鳴った。風呂の壁に怒声が反響して、父の顔がフラッシュバックする。どこか冷静に、浴槽のラックに立てかけているiPadでボイスメモを起動した。証拠を押さえておかねば、とこういうときに咄嗟に判断する自分の反射神経はやっぱり弁護士の子どもなのだなと皮肉に思う。「あなたの家みたいにうちは裕福じゃないんです。あなたが自分のお金だけでカウンセリング代と医療費を支払っているのなら偉いけど、旦那さんや実家に頼っているんですよね? 甘えてますよね。同じ虐待サバイバーっていっても、しょせんは金持ちで苦労知らずなんですね」

それは実際の音声だったのか、後ほど彼女が「内緒ですけど言いつけちゃいますね」となぜか教えてきた彼女の夫のわたしへの中傷なのか、もう覚えていない。手元の音声を再生してたしかめたくは、ない。聞きたくない。

甘えている、といえば甘えているのだろう。法律家である父が怖くて、わたしは住民票にロックをかけることができない。その手はどこまでも延び、地の果てまでわたしを追いかけ、捉え、引きずり倒す。だからこそ、縁を切る選択肢がわたしにはなかった。その代わり、医療費とカウンセリング代を母親を経由して請求し続けている。あなたたちのせいでこうなったんだから、あなたたちが責任を持って支払ってくれ、と。それが叶わない状況の人たちにとっては、経済的に恵まれているわたしの行為は甘えでしかない。理解している。でも、わたしにとってはささやかな、そして精神の支えとなる大切な復讐だった。

電話を切ったあと、明け方までトイレで吐き続けた。便器に顔を突っ込んで胃液さえ出なくなるまで嘔吐して、彼女も見ていることを承知でTwitterに暴言を書き連ねた。忙しく親指を動かしていると、彼女はわたしをブロックしてくれていた。

たしかにわたしには、貧困の苦しみはわからない。明日寝る場所を心配する心細さも、飢える恐怖も、知らない。もちろん今は会社員の夫と2人暮らしでけっして彼女の夫の言うような裕福さはないけど、少なくとも困窮はしていない。でも、行動を起こせば縁を切れるその身軽さは、わたしにはどうやっても手に入れられないものなのだ。それがときどき、ものすごく悔しい。贅沢な話だけど。

そのあと、彼女と改めて言葉を交わす機会があった。「なぜあなたはあなた自身の言葉であなたの夫を説得しなかったのですか。わたしはあくまでアドバイスをしただけで、わたしの言葉をそのままあなたの夫に伝えるべきじゃなかった。そして、なぜわたしへの悪口をあなたの中に留めておいてくれなかったのですか」と怒り、「わたしへの誹謗中傷をSNS上に書いたら許さない」と半ば脅すように約束を取り付けた。わたしの気持ちを守るために。彼女は謝ってくれたけれど、それでもわたしは許す気になれなかった。

その後、わたしは新しく現在の公開のライターアカウントを作ったのだが、彼女はそれをほぼ毎日といっていいくらいの頻度で覗きに来ていた。それに耐えきれなくなって、わたしは彼女のことを呟いてしまった。もう見るのはやめてほしいと、そんな気持ちから、彼女の口を封じておいて、わたしはTwitterで彼女のことを書いてしまった。わたしは卑怯で狡くて弱いから、他人の口を封じておきながら自分は平気で約束を破ってしまったのだ。わたしはやられた側だからそのくらいやってもいいよね、と、筋の通らない言い訳をして。そういう自分の醜悪さは、わたしの中にいつもたしかに存在する。それをわたしは、彼女と彼女の夫と等しく許せない。

わたしが約束を破ったことに、当然ながら彼女は激昂した。そしてnoteでわたしを非難し、それを他の人に嗜められ、辞めますと宣言して姿を消した。その後も、わたしのTwitterやnoteにかなり長い期間張り付かれていた。「勝手に地雷源に突っ込んできた」「カウンセリングでうつが寛解したのならその程度だったんでしょ」「虐待受けてようがなんだろうが金持ちなら良かったじゃん」「一方的に自分の価値観や意見を押し付けてきて受け入れないとキレるなんて子供みたい」など、Twitterに暴言を書き連ねられて、他人の相談になんて乗るんじゃなかったという暗鬱とした気持ちになった。

彼女はその数ヶ月後にnoteに戻ってきて、わたしに対する謝罪文を掲載したが、すぐに引っ込めた。その謝罪文も、本当は載せてほしくなかった。もうほっといてほしかったのだ。わたしとは関わりを持たずに、違う世界で生きていってほしかった。

ただ、その気持ちは彼女だって同じだったのだろう。突然、自分の桃源郷にわたしがふらりと出現して、きっとものすごく怖かったに違いない。彼女からしてみれば、わたしはnoteから自分を追い出した張本人である。自分のテリトリーをまた踏み荒らしにきたのかと身構えるのは、ある意味自然な防衛本能だ。内情はもちろんよくわからないけれど、何度かやりとりをした共通のフォロワーさん数名に突然ブロックをされた。

その方たちに怒りはない。だって、付き合いの長い彼女の意見を信用するのは当たり前だし、突然現れたわたしがやばいやつだと警告されれば誰だって避ける。きっと、わたしだってそうする。一方の意見だけで決めつけるなんて、とは言えない。

けれどもわたしは、出鼻を挫かれた気持ちになってしまったのだ。新しい試みを始めようとしたその矢先で、妨害されて。あなたを攻撃するつもりなど毛頭なかったし、関わるつもりもないからブロックしたのに、と。でもそれはもちろんわたしから見た光景で、彼女からしたら「自分の邪魔をしにきた」としか思えなかったのだろう。

個人的なタイミングも悪かった。今日はちょうどLGBT法案に関する少しばかり攻めたエッセイが公開される日で、ぴりぴりしていたから。
しかし、想定通りきちんと批判(というか中傷?)はあったわりには、昨日の真夜中に不安がるわたしに「大丈夫だよ」と声をかけてくれる方たちがいたおかげで、さほどダメージは受けずに済んだ。発信していく中で、こういうこともあるよねと受け止められる自分がいた。

そしてふと思う。彼女にとって、今現在の美容のアカウントこそ、わたしにとってのこの世界なのかな、と。彼女が大切にしている世界も、わたしが今日こうやってぬくぬくと抱きしめてもらえた世界と同じくらい失いたくない場所なのだろう。その気持ちはとてもわかる。せっかく作ったアカウントだけど消しちゃおっかなとよぎった気持ちを引き止めてくれたのは、今周囲にいるひとたちだから。

きっと、読んでいるだろうから、最後に。
あなたの居場所を奪うつもりはない。あなたが美容のアカウントをやっていることを知ったのは、新しいアカウントを作成したときに偶然おすすめに出てきたからだ。あなたにじっとりと粘着して、血眼でTwitterを漁って、あなたの新しいアカウントを特定したわけじゃない。断じて、ない。それはあなたのアカウントをブロックしたタイミングで、わかるだろう。わたしは卑怯だからそういうことをしそうなタイプだし、あなたとの約束を一度破っているから、説得力なんてないけれど。それでも言う。本当に、あなたのことは忘れていたのだ。だからこれ以上のことは、どうかもうやめてほしい。わたしはただ、お仕事をしたいだけだ。すきなことをして、生きていきたいだけ。望んでいるのはわたしの幸せで、あなたを呪うために生きてるわけじゃない。本当に。

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