【読書感想】世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学
著:近藤悠太
贈り物(プレゼント)をするのはガラじゃないです。
めんどくさいです。
できることならやりたくないです。
もちろん、もらうことは好きですが、あげるほうはちょっと。。。
正直に言ってしまいした。
職場や、学校、親戚、等々。
贈り物を贈りあう機会にしばしば直面します。
旅行のお土産、季節の変わり目でのお中元や、イベント関連(バレンタインデー)。
煩わしくてかないません。
なぜ人は贈り物をするのか。
「贈り物は必要ない」と思っていた、私のための本だと思い、購入決定。
まさにアンチテーゼ。
贈物の意義を私は理解することができるのか?
今回紹介する本のタイトルにある「贈与」とは。。
まずは本書で書かれている定義を紹介しましょう。
P4
「僕らが必要としているにもかかわらずお金で買うことができないものおよびその移動「贈与」と呼ぶことにします。」
ただの定義づけですが、ここにこそ、私が贈物に対して感じる、煩わしさが詰まっている気がしました。
お金で買うことができないモノになるのは、贈り手から贈られた瞬間に、
「お金で買えないモノ」と変換されるそうです。
私たちは、お金で買えないものを受取り、贈っている。
さらに
P22
「他者から贈与されることでしか本当に大切なものを手に入れることができない」そうです。
煩わしさのカタルシスではありませんか。
贈与を受け取る場合は、
本当に大切なものを他人から受け取るからこそ、何か申し訳なさのようなものを感じ、
また、贈与を贈る際は、
本当に大切なものを相手に贈っているからこそ、厚かましさのような(もっと良い言い方がありそうですが)感覚を感じていた。
このためだったか。
かなり捻くれている私ですが腑に落ちました。
世の中には「贈与」をすることが好きな人も大勢いらっしゃいますよね。
なぜ人は「贈与」をするのでしょうか。
私はずっと贈り手の自己満足だと思っていました。
書いていて、自分がとてもひどい人間に思えてきました。。
続けます。
贈物は「相手のことを想い、時間、お金をかけて行い、相手を喜ばせたいという勝手な行いだ」と考えてしまう私はどうかしている。。。
文章にすると、意見の暴力性が増してしまっている気がします。
あと稚拙さも滲み出てきたように感じてきました。
続けます。
贈与好きな人の中に、世界的な有名人がいます。
おわかりでしょうか。そうです。赤い服のあいつです。
「サンタクロース」です。
相手がでかすぎる。こいつを理解すれば私も「贈与」のことが理解できるのでは?本書の第1,4章で語られていますが、贈与には出発点があり、差出人が送り相手に知られると「贈与」は相手を縛り付けてしまうそうです。
差出人がわかると相手を縛ってしまうのは、なんとなくわかりますよね。
職場の人から旅行のお土産をもらったから、自分が旅行に行った際はお返しのお土産を買って帰ろうと考えたり(職場の人に買ったことない私ですが)、
義理の親からおすそ分けをもらったので、ふるさと納税で届いた野菜でお返ししたり(これはやったことあります汗)。
P96
「贈与は、受け取ることなく開始することはできない」
P102
「他者からの贈与は僕らの前に、必然的に不合理なものとして現れる」
さらにこの章の例を見て下さい。
『認知症の母が、毎日16時になると外へ徘徊するということに悩まされている息子の話です。
息子が徘徊しようとする母を制するのですが、そうすると母から暴力を受けてしまう。悩んだ末に介護士に相談したところ、
「息子さんが幼稚園児の時の迎えの時間が16時だったのでは」と聞かれたとのことです。
そこで息子は徘徊に出ようとする母に、今日は幼稚園のお泊り会だから帰らないよ」と伝えたところ、おとなしくなった』
認知症になってもなお、愛する息子のために、行動する母の
胸を締め付けるようなエピソードです。
この行動は母から息子への「贈与」です。
また、息子からすれば、一見、16時に徘徊する行動は不合理な行動ですが、母の意図が分かったことで合理的なものとして現れました。
「贈与」は時間を超えるのです。
ここでサンタクロースの正体がわかるのです。
サンタクロースとは親から子への「贈与」を差出人不明で行うことができる発明なのです。
この本すごいよ・・・
子供がもし、親からの「贈与」について縛られるものだとしたら、子供早々に身が持たなくなります。
なぜなら子は親へ「贈与」をする力がないからです。
そのため、親からの「贈与」に苦しむことになり、子どものままでいられなくなってしまいます。
つまり、のちにサンタクロース正体を知ることになる子供は、その時点で大人になそうです。私の説明ではちょっと詭弁ぽいですが、本書の説明ではたくさんの例と共に、段階を踏んで説明がされていますので是非一読を。
自分が知りたかった贈り物の意義を理解することとは、話がずれてきていますが、人から人へと贈るという行為の尊さを私に示してくれる本なのです。
最後に
これまで贈物嫌いの私がこの本を読んだ感想を書いてきましたが、P22、P96からの抜粋等で「贈与」はもらうことで始まると説明されていました。最後に触れようと思い、ここまであえて解説をしませんでした。
本書では「まえがき」にて、例と共に説明をしています。
何が書かれているのか、またその話は本の後半の大きなテーマの一つのように私は感じたので是非皆様で読んで確かめて欲しいです。
昔のテレビゲーム攻略本みたいな締め方をしてますが、
私自身感じたのは、「贈与」によって何を受け取ったのかと考えることが大切だと思いました。
「贈与」はモノで贈られるモノわかりやすく、また、安易にそれだけを見て感じて考えてしまいがちですが、
それを贈ってくれた相手のことを思いやることこそが、すごく大切なことなのだと思いました。
もしかして当たり前のところに着地してしまいましたかね。
でも、私はこの本を読んで少しだけ、旅行に行った際は、お土産を買い、職場で配ってみてもいいかなと思えました。
本を読み終えたのが約ひと月前で、その後旅行はしてませんが。
贈物の意義とは何なんだと、偉そうに言った私です。
意義は何かはわかりませんが、贈物をしてくれる人は少なくとも私より、尊い存在であり、決して邪険にしていいものではない。
さらに、あえて言えば、贈物する人はする人で、そういう考えもあるよね。といった、分かった風にして切り離すものではないこと。
私たちは社会の中で生きていて、それらの関係を、ある種で「贈与」によって形作っているのであるから、だからこそ「尊い」のだと。
「贈与」に少し近づくことができた本でした。