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しらさぎ

冬になって、空が白い。
いちめんまっしろの、雪のふりそうな空を見ていると、いつも思い出すのが父を見舞った日のこと。


父がすこし大きな手術をしたあと、お見舞いに行った。
行っても大丈夫、と母に聞くと、大丈夫だよ、おいで、と言われたので、電車に乗って向かった。ふるさとの辺鄙な駅に降りたったとき、息がしろくなって、底冷えするほど寒かった。

父は弱っていた。
手術自体はうまくいって術後の経過もよかったけれど、気持ちが弱っていた。ゆっくり娘と会話する余裕などなくて、点滴その他たくさんのチューブがからだについていた。手術痕から滲出する液で濡れていたパジャマを、着替えたい、とくり返す。母は脱ぎ着を手伝う。

父も、こんなすがたを娘に見られたくはなかったと思う。私も、来るのが早すぎた、ととても悔やんだ。
父の枕もとには、私が手術前に贈っていたお守りが飾られていた。


母の車で駅まで送られているとき、オーディオからいつも母が聞くラジオ番組が流れていて、それにあわせて世間話を母はしていた。いつもの調子でにこやかに、最近のことなど喋る。私はだまりがちで、窓の外ばかりみていた。

びっくりした? と母は言っていた。

父が弱っていても母に動揺した素振りなどみじんもなくて、平常となんのかわりもない様子をしていた。気をつけて帰んなよ、といって駅に私をおろし、また帰ってゆく。
ひとり単線のホームで、電車の来るのを待っていた。だれもいなかった。


いまはまだ来なくていいよ、と言うこともできたはずだった。
でも、母は見せることを選んだんだ、と思った。

あそこにいたのは父というより、命のともしびの弱まった、ひとりの人間だった。とても脆い、ひとつのいのち。父としてのすがただけではなく、そういうところも見てゆく、それがこれからは必要なのだと思った。
そして、その脆さもふくめて相手を受けとめるもうひとりの人間のすがたも、そこにはあった。動揺すらせず。なんのためらいも怯えもなく。それは母のつよさというより、たがいにその脆さもふくめてそばにいつづけた数十年の歳月がつくりだしたすがたなのだと思う。


だれもいない駅のホームからは冬枯れの田んぼが見えて、川霧かなにかでしろく煙っていて、とおくはよく見えなかった。雪でもふりそうなまっしろな空。田のむこう、葉を落とした木立がうっすらと見えて、そのさきはすべてまっしろだった。

ふいに田んぼの畦から白鷺しらさぎが飛びたって、まっしろな空のなかを飛んでいった。茶色く枯れたような平原からしろい空のほうへと線を描く白鷺のすがたを、とてもよく覚えている。


父はその後恢復していまは手術があったことさえ忘れたようにげんきに生活している。どんなに仕事が忙しくても趣味につかう時間は長いし、野良作業にもはまりだした。
でも冬が来るたび、しろい空を見るたび、私はあのホームですごしていた時間に戻ってしまう。

父の脆さ。それに寄りそう母のすがた。それを見せることを選んだこと。目にしたものを消化しきれなくて、たったひとり、ホームで冬枯れの田んぼを見ていたこと。
視界はしろく煙っていて、とてもとても寒かった。雪がふりそうで、でもひとひらも雪はふらなかった。

どんなに時間がたってもそこにとじこめられたようにじっと佇んでいる私がいる。そこにあるのは、予感とか、未来とか、来しかたの積み重ねられた時間とか、あるいはいのちのありかたすべてとか、だいじなものぜんぶだ。
ときどき思い出してたいせつに眺める。こころぼそさのなか、あざやかに飛んでいった白鷺のこと。


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