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見えない

ゆりちゃんは、どこか遠かった。
おなじ専攻の友達だったけれど、さほど親しいほうではなかった。

あの人、見える人らしいよ。
ゆりちゃんについて、そういう噂があった。見えないはずのものが見えるのだとか。東北出身で、イタコだか歩き巫女だかなんだかの血筋らしくて、先だの前だのが見えるんだとか。
話してるとき、ふっとありもしないほうを見てるときがある、だとか。

私はほかの子たちと過ごすことが多かったので、ゆりちゃんのことはよく知らなかった。ただおそろしく着眼点の鋭い人だとは思っていた。みなが見過ごすような小さな情報をみつけて、そこから論をたちあげる。目の付け所がよくて、その論文は早くに学術誌にも載った。
よく見える人だな、と思っていた。

ゆりちゃんと話すとき、目線が合わない。
こちらを見ているけれども焦点はどこか私のむこう、奥のほうに結んでいるような感じがする。私自身、視線恐怖があるから目を合わせることは抵抗があるけれども、マナーとして無理して見ている。ゆりちゃんも近いものがあるのかもしれない。失礼にならないように相手のほうを見ているけれど、焦点を遠くにとばすことで対処しているんじゃないかな、と。
それを人は、へんに不安視して噂が立ったんだろうな、と思っていた。


就職して一年もたたないうちに、私は体を壊して薬を飲んで生活していた。退職して体も悪いままで先の見えないとき、とつぜんゆりちゃんから手紙が届いた。
共通の知人から、私のことを聞いた。どうしているか心配で、手紙を書いた、とあった。
連絡先くらいは知っていたけれどやりとりするような仲ではなかったゆりちゃんからの手紙には、ただただ私を気遣うことばがあふれていて、そして、彼女自身の境遇についても書いてあった。私などよりはるかに状況が悪くて、命にかかわる事態を乗り越えたあとだった。
苦しさを分け合うとか傷をなめ合うとかではなくて、ただ自分に何ができるか考えて、力になれることがあればなにかしたい、その気持ちだけでしたためられた手紙だった。
返事を書いたことは覚えているけれどなにを書いたか覚えていない。ろくなこと、書けなかった気がする。自分のつらさしか考えられなかった私から、相手に対して何ができるかだけを考えていたゆりちゃんに、なにを言えただろう。


その手紙の一件があったあとも、とても仲良くはならなかった。ずっとほのかに遠いままだった。ふだんのやりとりなどはしない。でも忘れたころに、なにげなく、言葉をかわす。


その後私もふたたび働きはじめてゆりちゃんは研究職の道に進んだ。私の仕事の関係で、研究職の仕事を取材する必要があったとき、ゆりちゃんに連絡をとった。こころよく取材に答えてくれて、ことこまかに教えてくれた。あいかわらず目線は合わなかった。こちらに投げかけられる視線は私のもっと奥に焦点を結んでいて、ずっと向こうを見ている。

研究職生活について話していたゆりちゃんがふいに、あのね、と言った。
忘れられない言葉があるのね。
そういって、急にトーンを変えて話しだした。
あのときの負けを取り返しに行く、って考えかたもあるんだってことを教えてもらったのね。それがけっこう残ってる。うまくいかなかったことを、そのときは負けだと思っていても、あとになって自分がそれを取り返しに行くことって、できるんだって。過去の不遇をいまの自分が助けることもできるし、いまの不遇を未来の自分が助けることもあるんだって。なんかそういうことを教えてもらって、わりとそれがね、響いてるんだよね。

急にそんな話をしだした違和感もあって、なぜかゆりちゃんのその言葉がずっと残っている。
それからほどなく、私はふたたび体を壊した。今度は命にかかわる事態だった。薬漬けで、ほぼ寝ていた。仕事、社会生活、人間関係、家族関係、生活、しゃべること、文体、思考、ぜんぶ壊れて、長い時間をかけて、すこしずつ、ひとつずつ、直していった。とても時間がかかった。でもどうにか命をつないで、生活を取り戻せた。
その間、ときどきふってわいたように蘇ってくるゆりちゃんの、あのときの言葉をなんども思い返した。取り返しに行くことは、できる、ということ。

いちどだけ、ゆりちゃんの撮った写真を見たことがある。なんでもない風景写真だった。でも見た瞬間に、魂がごっそりえぐられるような感覚があった。写真を見てそんなふうに感じたことはない。ゆりちゃんの写真には、見えないはずのものが映っている。この世とはちがうもうひとつの別の世、みたいなもの。底が抜けたような突き抜けた悲しさと。あらわれるはずのないものと。世界を貫いてさらにその奥まで見はるかすようなまなざし。
こんなふうにものが見えていたら、いったいどんなに苦しいんだろう。たまらなくて涙が出た。
ゆりちゃんにはなにが見えているんだろう。
あの人に見えているものが、私には見えない。


すっかり体がよくなってしばらくしたころ、ゆりちゃんから連絡があった。会うことになった。私の家に呼んで、近くを一緒に歩いた。ちょうど土手で菜の花がきれいだから、見に行こう、と。
なんでもない話をして、お互い元気そうであることをたしかめる。菜の花のあいだをならんで歩いた。学生時代はぜんぜん仲が良くなかったのに、こうしてほのかに遠い間柄のまま、たまに会うことがふしぎだった。友情ともなにかがちがう。
ぼうっと菜の花を見ていて、ふとゆりちゃんのほうを見たら、取りだしたカメラで私を撮って、ちいさく笑いながらカメラをバッグにすっとしまった。流れるような動きで、一秒もなかった気がする。ぱっと取りだして、構えたり構図を考えたりすることなく、ぱっと撮って、しまう。
こんなふうに、まばたきするように写真を撮るんだ、と思った。

ゆりちゃんはいたずらっぽく笑っていて、やっぱり目線は合わなかった。
あのとき、なにを見ていたのだろう。
あの人に見えるものが、私はずっと見えない。
私に見えないものを、あの人はずっと見ている。
私を貫いてもっとずっと向こうにあるもの。


あのとき苦しかった自分のことを、ときどきこうして書いている。どうすることもできなかった時間を、もういちど取り返して慈しんで、そのときの自分をそこから掬いだすような感じで。
あのときの苦しさをことばに置きかえてゆくとき、ゆりちゃんの言葉を思い出す。“過去の不遇をいまの自分が助けることもできるし、いまの不遇を未来の自分が助けることもあるんだって。”
その言葉を口にしたときゆりちゃんは、なにか見えていたのかもしれない。私にその後おきることとか。先のこととか。
そして自分にできることとして、言葉を差しだしてくれた感じがしている。
その言葉をずっと大切に持っていたけれど、私が自分のなかに持っているだけではいけない気がして、こうして空気に返すように、ことばをつらねている。

いまゆりちゃんのことを思い返すとき、ゆりちゃんの目と、目線が合う気がする。あのときのゆりちゃんは、たしかにいまの私を見ている気がする。まなざしがここに焦点を結んでいるような。

でもいっぽうで、もっと向こうを見ている気もする。
いまこうして書く私のさらにまた向こう。
いま、苦しさを抱えている人、かつて苦しかった自分を抱えている人。その自分を助けることはできるんだよ、というあのときの言葉が必要な人、それをこれから手にしてゆく人のところに、ゆりちゃんのまなざしは向けられているのかもしれない。
つなげられてゆくその先のほうを。


なにを見ていたんだろう、と思う。
私に見えないなにか。見えないはずの遠いむこう。あの人の見ているものを、私は見ることはできない。でもあの人に見えているものを想うことはできる。私に見えないなにか。見えないものにむかって私も言葉を返してゆく。届くさきは見えない。でもきっとどこかにはつながっているはず。



...........

追記

ことばを発すること、このところまた怖くなっていました。
でもiotoqさんのこの記事を読んで、私はまだ返さなければいけないものがあることを思い出しました。ここにある声にこだまするように、すこしでも何か呼応することはできないか。そう思って勇気を出して書きました。
iotoqさん、ありがとう。だいすきです。
ためらいがちに差し出されたことばたちに、その存在に感謝しています。
ゆっくり休んだあと、またあなたの声を聴かせてもらえたら、うれしいです。


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