あくがる
昔よく、父といっしょに蛍を見に行った。
用水路に水の流れる音を聞きながら、田んぼの畦道を歩く。うすくらがりのなか、ちいさな明かりがぽっ、ぽっ、と、吸ったり吐いたりするように、灯っては消える。稲のあいだを蛍は飛んで、しめった土のにおいがした。
しばらく蛍の光るのをただ見ていて、話もなんにもしなかった。水の音がつづいて、ときどき水撥ねの音がする。稲のそよぐ音。だんだん星がふえてゆく。
すぐに帰ろうとしない、父のことがとても好きだった。夜を呼吸するような時間も。
憧る、という古語がある。
どこともなく出歩くこと。心が体から離れて、さまようこと。
この歌にもある、その「あくがる」という言葉を思うとき、いつも蛍を見ていた父のことを思い出す。
夕飯のあとふらりと外へ行く。田んぼしかない、水の音ばかり聞こえる草のなかで、ただぼんやりと蛍を見る。家庭が苦手だったわけではない、むしろ大事にしていたと思う。でもそこがしあわせであれ、ふしあわせであれ、そういうこととは関係なく、人はふらりと出てしまうときがあるのだと思う。日常からふっと抜けて。さまようようにふらふらと。
あくがれいづるように畦道を歩いていたすがたをよく覚えている。となりで、影のように、亡霊のように、私も歩いた。私もあくがれていたのだと思う。私も、帰ろう、とは言わなかった。ずっとその時間にいたかった。水は夜の色を映して、消えては灯る光がゆれる。
いまでもときどき、この時期になるとふらりとくらがりのなかへさまよい出たくなる。明滅する光のなかで水の音を聞いて、草いきれのなか遠いものを思いたくなる。
あのころなぜ、父はひとりで行かなかったのだろう。
あくがる、その時間のさびしさをよく知っていたのかもしれない。
父も私も蛍も、しずかに明滅してさまようひとりぼっちの命だった。
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