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小さく明かりを灯すように

ゆっくりすごしていたら、夏になりました。

今年もさるすべりの花が咲いて、歩く道々、眺めています。



書くことから離れて、のんびりすごしていました。
なににつけ近視眼的になりがちだったのを、変えようと思いました。すこし遠くを見やるように日々を送り、本を読み、人に会い、そしてかわらず、草木を眺めてすごしています。


海に行ったり。


だれもいなくて、波音だけがして、きれいでした。


この日からずっと、自分のなかに、はろばろとした海がひろがっている感じがつづいています。
この海を思うたびに、おだやかな気持ちで日々をすごせるようになった気がします。





こじれた関係がゆるやかに変わったり、遠ざかった人とやわらかなことばを交わしたり、最近、人との関係を結びなおすことがいくつかありました。

力をゆるめてぼうっとしていただけだったのですが、望みもあせりもしないでやわらかな気持ちでいれば、人とのあいだは流動的に変わってゆくのだな、そしていつでも、変わることはできるのだな、と感じました。

離れて、近寄って、遠ざかり、また寄せて、長い時間をかけて結びなおしてゆく関係もあるのだと知って、うれしかったし、すこし遠くに目線を送ることも、大事なのだなと思いました。


夕暮れの空を見たり、星を見たり、花の咲いてはこぼれてゆくのを見たり、うつろう時間をひとつひとつ、手にとってふれるようにすごして、日々を淡々と送る。
だれかの書いた本を大切に大切に読んで、胸にしまう。
たくさんことばを溜めてゆく。


ことばが出てこないときがあります。沈黙を選びたくなるときも。
ことばを発することができなくて、写真を撮ろうとしても撮れなくて、絵を描こうとしても、描けない、人ともかかわれない、すべてをとざして呼吸をとめて水に潜るようにすごすしかない時間があります。
でも最近は、その時間が涵養してくれるものの大きさを感じています。
海溝の暗さと重さが必要なときもある。


私は、深い海と浜辺を往還しながら生きているのだと思います。でも海の底で見つけたすべらかな丸い石とか、きれいなものがいくつもあって、そういうものを拾いながら行ったり来たりできればいいな、と思っています。


書けない時間が養ってくれたことばを、ちいさくひとつひとつ糸目をていねいに見て、織るように書いてゆきたいです。じょうずでなくてもいいから、正直に。
沈黙の美しさに魅せられてしまうことが多いけれど、ことばがあるから伝わることもたくさんある気がします。



最近は、渡す、ということをしきりに考えています。
命は、はかない。自分がいつまで生きられるかわからない。できることも少ない。だからこそなにを渡してゆけるか。渡せるものをちゃんと渡してゆくこと。

海底で拾った小石とか、波に洗われたガラスのかけら、時間を刻んだ貝殻。きれいなもの、たしかにそこにあったもの。拾いあげて、ことばにして、明かりを灯すように差し出してゆく。そういうことを、これからはしてゆきたいです。




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