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シンデレラ(感想)_保守的なディズニー版と、時代の空気に配慮したアマプラ版

2021年9月にAmazon Prime Video(以下アマプラ)で独占配信になった、カミラ・カベロ主演のミュージカル映画『シンデレラ』をみたのだが、私の記憶していたシンデレラと設定が異なっていて「シンデレラってこんな話だったかな?」と、いくつか違和感を感じるところがあったので、ついでにウォルト・ディズニー・ピクチャーズ(以下ディズニー)制作の『シンデレラ(2015年)』もみてみた。
以下、両方のシンデレラについてのネタバレを含む感想と比較などを。

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6年前とはいえ、保守的なディズニー版「シンデレラ」

まず、2015年に公開されたディズニー制作、主演リリー・ジェームズの『シンデレラ』について。全体をとおしての印象としては、私の記憶の中にあるシンデレラとほぼ一致していた。
特に印象的だったのは、継母役のケイト・ブランシェットの演技に貫禄があり過ぎて、虐げられているシンデレラに対して本当に同情してしまうところ。
また、リリー・ジェームスの腰の細さを強調させるドレス姿は美しいし、舞踏会の豪華なセットはさすが、美術はさすがのディズニー品質で安心してみていられる。

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継母が持ち帰ったガラスの靴を割ってしまい、シンデレラが屋根裏に幽閉されるシーンではこのあとどうなることかと思ったが、開いた窓からシンデレラの歌声が外に漏れ聞こえるようになって、密かに兵に混ざっていたプリンスの耳に届くという演出もドラマティック。

しかし、記憶にあるシンデレラの設定やストーリーからほとんど変化のないのも少し意外だった。比較的最近(2015年)のディズニー作品ということで、もっとジェンダーギャップに配慮した作品に仕上がっていると思ったのだ。

時代ごとのディズニー・プリンセスの変化

『白雪姫(1937年)』『シンデレラ(1950年)』『眠れる森の美女(1959年)』など、1950年代のディズニー・プリンセスたちのゴールは結婚になっている。王子はプリンセスを救う役として登場し、プリンセスは女性らしくあること(控えめで自己主張せずに優しい)を求められており、行動力はほとんど求められない。そして人種はいわゆる白人女性のため、この頃のプリンセス像は現代の感覚からすると保守的な印象に思える。

時代が進み美女と野獣(1991年)のベルになると、身分は町に住む庶民となっており、読書好きというパーソナリティが追加されたことで美しさだけでなく知性も強調された。
アラジン(1993年)のジャスミンは白人女性ではないし、塔の上のラプンツェル(2010年)では母親から自立することで、かつてのディズニー・プリンセスを虐める継母の束縛から脱却できる強い意志を持つようになった。
そして、アナと雪の女王(2013年)のエルサは周囲の圧力に抗い、Let It Go(なるようになれ)」と自己を解放していた。恋愛をしたとしても結婚はゴールではなく、もはや過去のプリンセスのような古い女性像はない。

以上のように、ディズニーがプリンセスのあり方を時代と共に変化させてきたことを踏まえて、2015年公開の実写版「シンデレラ」を、過去作のプリンセスたちと比較すると、意外にも保守的なシンデレラ像が踏襲されていることが分かる。

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母からの遺言『勇気と優しさ』をやたらと意識していることや、自ら森で馬を乗りまわすところは、かつてのシンデレラのイメージと異なっているように見えるが、最近のプリンセス像と比較すると大幅に変わっている印象はない。アニメと実写という表現の違いがあるため、実写ではターゲットとする年齢層を高めに狭めているのはあるのかもしれないが、それが過去作を踏襲する理由にはならないと思う。
ちなみに、『勇気と優しさ』を強調し、継母へ向けた最後のセリフが「許すわ」だったのは、シンデレラが結婚後に王の添え物のようなお飾りのプリンセスにはならず、統治する側に立つ人間の資質を視聴者に意識づけするための演出だろう。

ダイバーシティを意識し、イメージを刷新してきたアマプラ版の配役

続いては、対称的な印象の設定になっているアマプラ版について。
こちらはミュージカル映画となっており、冒頭「Rhythm Nation」と「You Gotta Be」のマッシュアップや「Somebody to Love」、「Material Girl」など、往年のヒット曲カバーが懐かしさも相まって楽しませてくれるのが印象的だった。

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そして、ダイバーシティを意識したアマプラ版の配役は、ディズニー版シンデレラのイメージから大幅に刷新されている。
主演をつとめるのは、キューバ生まれのカミラ・カベロ。米国内ではヒスパニックの人口増加比率が最も高く、数でも黒人よりも多数であることと無関係ではないと思う。
このヒロイン、劇中では姉妹たちからエラと呼ばれるが、これはシンデレラという呼称が、“cinder“と“ella“を組み合わせたもので、灰かぶり姫という意味があることを考慮してあえて避けられていると思われる。

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継母と姉はエラに対して冷たい態度を取るものの、洗濯した衣服の取り込みを嫌々ながらも自分たちでこなしており、エラへ一方的に家事全般を押し付けるようなことをしていない。
さらに継母は過去にピアニストを目指していたが、女であることを理由に諦めていた設定がある。だからこそエラにも結婚を勧めるという展開はディズニー版よりも善人な印象を持たせる。
さらに、フェアリー・ゴッドマザーの役を、ゲイであることをカミングアウトした黒人のビリー・ポーターがつとめていて、ロバート王子は王位継承に興味がなく、代わりに政策へ意欲的な妹のグウェンまでいる。このようなキャラクター設定からも、アマプラ版からはダイバーシティへの意識が感じられる。

結婚よりも、夢を叶えることを優先させるヒロイン

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エラはドレスデザイナーになる夢を持っており、ロバート王子から求婚されても自分の夢を優先させたいと一度は断る。ロバート王子にしても王位継承権を放棄し、エラと一緒に生きることを意志表示するし、強権的な王の態度に対して妃がダメ出しをして、王も自分の非を認める。
アマプラ版の登場人物たちは、自らの意志きちんと持っており、根っからの悪人が存在しない優しい世界観が出来上がっているため、もはやシンデレラというタイトルが必要なのかといった印象だが、ガラスの靴や舞踏会など大まかな展開は踏襲されていて、「こんなところが違っている」とディズニー版との差分を発見する楽しみはある。
特に気になったのはロバート王子のその後についてで、王位継承をしたくないのは伝わってくるが「では代わりに何をやりたいのか」の説明はないため、エラと一緒に世界をまわるときに何をするのかといったところ。
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ディズニー・プリセンスは時代に合わせて変化してきたと先述した。2つの「シンデレラ」を比較して思うのは、2015年のディズニー版は昔ながらのプリンセス像をかなり踏襲していて、2021年のアマプラ版はかなり現代に寄せているということ。

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しかし、映画としての個人的な好みとなると別の話で、やはり私の好みとしてはディズニー版「シンデレラ」の方が楽しめた。
アマプラ版のミュージカル・シーンは音楽のPVを観ていてるように楽しめるが、脚本として楽しめるのはどちらかといういうことで、それは小さい頃から刷り込まれたストーリーに馴染みがあるせいなのかもしれない。
しかし、継母や姉たちに虐げられてきたシンデレラが最後に幸せになれるという人生大逆転のカタルシスは(もはや様式美だが)、悪人不在のアマプラ版では薄れてしまっているのが残念。どうせフィクションなんだから、苦労してきたからこそ幸せになれる方が物語としては楽しめるというのが本音。

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