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ウィザードリィ V 災禍の中心(感想)_美しいゲームバランスのRPG

ここ何年も長時間RPG(ロールプレイングゲーム)をプレイすることがなくなった。他にやりたいことがあるからというのも勿論あるのだが、そもそもRPGはレベル上げ作業に飽きるのと、ストーリーが好みに合わないとゲームクリアまでモチベーションを保てず、途中で投げ出してしまうから。そうしてクリアせずに断念したゲームがたくさんある。
ゲームに楽しみを見出だせないとふと我に返って、なんだか効率が悪い”作業”をしていると感じてしまうのだ。(そもそもゲームに効率を求めすぎると楽しめないというのもある)

しかし、ぼんやりと自分が過去に長時間やり込んだRPGを思い起こすとウィザードリィ・シリーズの5作目が思い浮かぶ。
レベル上げの比率がゲームに費やす時間の大部分を占め、過去作に比べればストーリーめいた展開は存在するが、それがメインの魅力ではないHeart of the Maelstrom(災禍の中心)は好きすぎて、末弥純の『末弥純画集 ウィザードリィ』を古本で購入したりもした。
古い記憶のゲームであるため思い出補正もあるのだろうが以下、それだけではない魅力についての感想を。

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不親切な海外のRPG

硬質で触り心地の良い素材でつくられ角張ったパッケージには、Wizardryのロゴとドラゴンのイラストが彫り込まれていて、国産RPGよりも大人っぽくて硬派な印象があった。
ウィザードリィ V(以下#5)はいくつかのプラットフォームで発売されたが、私は1990年に発売されたPC-98版でプレイした。
#1「狂王の試練場」も好きなのだが、最初に手にしたのが#5だったので、やはりこちらの方が思い入れがある。

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スタート画面、英語の文字列のみだからまず何をしたら良いか分からなかった

私の当時購入した、たいていのPC-98用ゲームは、2HDのフロッピー・ディスクで2枚以上の容量を必要としていた。だから起動してデュプリケイト・ディスクに差替えてしまえば、1枚の容量に収まるのが拍子抜けだった。
#5がそれほど容量の軽いゲームだったということで、スタート画面では城にいることになっているのだが、線とアルファベットの文字のみで構成されたシンプルな画面に戸惑う。
マニュアルを読みながら何とかキャラクターを作成し、ダンジョンへ降りてもワイヤーフレームの白い線が壁を認識させるが、壁の色や質感も判別できない。

画面がシンプルなだけならまだよいのだが、ゲームバランス的に序盤の難易度が高いためせっかく作成したキャラが即死する。
また、オートマッピング機能がないため、方眼紙などにマッピングする作業がマストなのだが、状態異常などで城へ帰還することになったりすると面倒臭さくて途中で投げ出してしまうのだが、途端に自分の現在地が分からなくなって迷子になってしまう。
さらに、ドラクエのように町の人が親切にヒントをくれるわけではないため、次にどう進めるべきかのヒントも見つけられなかった。
NPC(Non Player Character)との会話から冒険のヒントを聞き出すことはできるのだが文字入力が必要で、例えば序盤に登場するBROTHERHOOD寺院にいるG'BLI GEDOOKから情報を引き出すにしても、『TRIAXIAL GATE』『ORB』などの、情報を引き出せそうなワードを打ち込まなくてはならない。しかもクセのある翻訳のせいで日本語が少し難解だったりした。

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1990年というとファミコンではドラクエ4が発売されており、PC-98用に発売されたRPGではイースIIIが前年に発表されている。
そういう親切でグラフィカルな国産RPGに慣れてしまっていた自分には、シンプルな線画のダンジョンでプレイするモチベーションが持続しなかった。
そうして、地下2Fにすらたどり着けずにあっさりとパーティが全滅させられることが何度も続いたため、辛抱できずにしばらく放置することになる。

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諦めきれずに「プレイングマニュアル」なる攻略本を購入してゲームを再開するも、やはりパーティがあっさり全滅したり、死んだキャラを蘇生に失敗するとロストしてしまったりと心が挫そうになる。
それでも放置と再開を繰り返しながらも、HELMやGLOVEを宝箱から発見して装備させるこでとで前衛のAC(アーマークラス)を少しづつ下げ、魔法使いがMAHALITOを覚えるようになる頃にはこのゲームのコツが分かってくると死ににくくなって、はじめてこのゲームの魅力に気付きはじめる。
難易度が高いだけに、スムーズにゲームを進められた時の嬉しさは半端ないし、慣れるとゲームバランスの良さが分かる。

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無駄を排除した画面と、美しいモンスターグラフィック

#5の魅力は、なんといっても数値と文字の羅列で構成された、シンプルだけれども美しく設計されたゲームバランスだ。(私のプレイしたPC98版ではBGMすらなかった)
プレイヤーがキャラクターに対して自由に思いを込められる要素は名前だけで、あとは年齢や能力値のパラーメターが割り振られているのみ。種族を選択したのに体型や顔のグラフィックスすらなく、毒や麻痺などの状態異常も文字列で示されるだけ。

数値と文字列だけのキャラクターでシンプルなワイヤーフレームの迷宮を探索し、レベルが上がったときの変化はそれらの能力値が変化するだけだなのだが、そうした数値の変化に一喜一憂できるのはプレイヤーの想像力に委ねられている部分がかなり大きい。
そう。無いのであればプレイヤー自身が想像すればよくて、最初から無いのだから絵柄に対する好き嫌いが発生しようがない。むしろ想像力で補うだけ思いを込められる。

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そうして、白黒のシンプルな世界に豊かな色彩で画面に現れるのが、躍動感のあるポーズで迫ってくるシリアス・タッチのモンスターたち。
地下2Fのエレベーター付近をウロつき、何度でも甦ってきてパーティーへ襲いかかってくるThe Hurkle Beastの愚直さも好きだが、とくにお気に入りなのが這うような姿勢で身体の大半を占める大きな口を開けて、こちらに向かってくるAOMOR EATER

#1「狂王の試練場」のユーモラスな絵柄のモンスターも味わい深いのだが、#5の末弥純によって描かれたモンスターからは、ダンジョン探索の雰囲気を高めてくれる独特の緊迫感が伝わってくる。
#5と、#1~3の違いはNPCの存在、ダンジョンの拡大、SWIMスキル、後衛からの飛び道具などいくつかあるが、私にとってはモンスター・グラフィックの迫力が一番の魅力だ。

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数学的な美しさと、独特なユーモアのセンス

高いボーナス値が出るまで何度もキャラメイクをやり直し、やっとパーティーを組んでダンジョンを探索をはじめる。そうして数十時間かけて育てたキャラクターであってもあっさりと全滅する。そういうシビアなゲームだからこそうまくいったときの喜びが大きくて、さらにこのゲームへの愛着が湧いてくるのだが、それはゲームバランスが優れているから。
ストーリー上のラスボスとなるThe S*O*R*N 打倒後も、NINJAの育成やODIN SWORDなどのレアアイテムを手にするために”地獄”と呼ばれる地下777階へ、毎日のように降りて行きたくなる中毒性の高さがある。

そういう難易度の高いシリアスなRPGなのかと思いきやユーモアのセンスには独特なものがあって、時間停止空間やコールドスリープのようなSF設定があったりする。さらに地下迷宮なのに健康温泉が存在し、鎧を着たまま泳ぐという想像のしづらいシチュエーションもある。
職業選択に関わってくるGOODとEVILの属性が、偶然居合わせたモンスターを見逃すか否かによってあっさり鞍替えするお手軽さも驚きだが、全裸のNINJAはAC-10でシャーマン戦車並みの防御があるという設定もギャグだろう。

セリフまわしにも独特なトーンがあって、地下2Fの鎖で閉じられた扉をHACKSAWで瞬時に開くのを「まったく! こいつは重労働だぜ!」と、感情をあらわにしていたり、極めつけは物語のクライマックスともいえるThe S*O*R*Nとの対戦前、冒険者たちに向けられる「このぬるぬるの、ヒキガエルめ!!」というセリフの間抜けさは記憶に残っている。

ぬるぬるのヒキガエルめ!!

今どきのゲームはグラフィックが綺麗で、パラメータも膨大になっていてストーリーや演出もよく作り込まれていると思う。しかし作り込まれることによってゲームバランスが軽視され、プレイヤーの想像する余地が減ってしまうのも事実だ。
未だにウィザードリィ Vのような、シンプルなゲームをプレイしたくなるのは、ほどよい難易度のゲームバランス、プレイヤーが想像する余地、それと独特のセンスさえあれば、記憶に残るRPGになり得るというお手本のようなゲームだったからだと思う。

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