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パッセンジャー(小説感想)_タフ過ぎる女の逃亡生活

『パッセンジャー』は小鳥遊書房から2021年9月に日本語訳が刊行されたリサ・ラッツの小説で訳者は杉山直子 。
ジャンルはミステリーまたはクライム・ノベルと紹介されていて、いくつかの伏線が張り巡らせているから再読しても楽しめ、女性ならではの鬱屈や屈託をとても強引にねじ伏せていく主人公の印象が強いストーリになっている。
以下、ネタバレを含む感想などを。

ひとりで膨大な距離を移動

物語はウォータールー(ウィスコンシン州)に住む20代後半の女性ターニャ・デュポイスが、夫フランクが階段で事故死したのをきっかけに車で逃亡するところからはじまる。
なおターニャは本名ではなく、その後に何回も名前を変えることになるが、本名は終盤に判明するため便宜上以下ターニャで通す。

逃亡生活はアメリカ国内のいくつもの州を跨いでターニャ自身が車を運転、または列車で移動しながら各地を転々とする。
ノーマン(オクラホマ州)を出発して、逃亡先はオースティン(テキサス州)、バーリントン(ヴァーモント州)などとなる。私がアメリカの地理に疎く距離感を掴みづらかったので、試しに地図上へターニャの居た場所をプロットしたら、かなりの距離を移動していることが分かる。

ターニャは居場所を移動する際に身分証証明を偽造または盗み、警察にバレないように薄汚い安モーテルに泊まりながら、行く先々でトラブルに起こしたり巻き込まれることになる。
そうしてターニャがいくつかの難題をくぐり抜けていくうちに、ターニャが逃げる理由や、バーテンダーの女ブルーと一緒に埋めた死体が誰だったのか、メールでやり取りをしているライアンとは誰なのか、などの疑問が後半一気に明かされる展開になっている。

回収された様々ば伏線のなかで最も笑えたのは、殺し屋がターニャを車へ乗せようとするやりとり。
最初読んだときはターニャがなぜ助手席よりもトランクに入りたがったのか分からず会話の不自然さしか印象になかったが、車の助手席で湖に突っ込んだトラウマが原因というのを訳者解説に書かれていたので読み直して理解。
その後殺し屋たちがブルーに撃ち殺されることを考えたら、ターニャの言い分は正しい。

「乗れ」と教授は繰り返した。
「トランクよ」とわたしは言った。
「わたしをトランクに押し込めるべきだわ」
教授は会計士のほうを向いて言った。
「こっちの女は何かおかしいぜ」
「わたしがトランクの中にいたほうが、あなたたちは安全なのよ」
それは本当だ。わたしの言っていることは論理的だった。

頭のおかしな、ぶっ飛んだ人々

この小説には道徳観念や正義感にクセがある登場人物の比率が高く、頭のおかしい人たち同士で、”誰が最もぶっ飛んでいるのか”のチキンレースをしているかのよう。

まずターニャの場合、目立った行動を控えるべきで自分に直接の被害が無いにも関わらず、大規模爆破に使えるだけの肥料とライフルなどを隠し持っているレジナルド・リーを殺して家ごと燃やしている。
返り討ちや警察からの取り調べのリスクを考えたら、その動機を正義感からと言い切るにはリスクが大きい。
さらに、ノーラ・グラスの無実がはらされた後にドメニックのもとへ会いに行くエピローグがエンディングとなるが、ターニャは正当防衛とはいえブルーの元夫ジャック・リードも殺している。2件の殺人を犯しておきながら、警官であるドメニックのもとへ会いに行ける神経は図太すぎる。

ドメニックにしても、バーで一緒に酒を飲んでハンバーガーを食べただけの女と会うため、ターニャの職場を調べ上げて追いかけてくるしつこさにはストーカー気質がある。

そうして、さらにぶっ飛んでいるのがターニャの恩人ともいえるブルーで倫理観がかなりおかしい。
まず、ローラ・カートライトの旦那を殺しておいて、これは元夫と偽ってターニャに死体を埋めるのを手伝わせている。しかも「さよなら、ジャック。」とまで言っていたが、そもそも死体はジャックですら無いし、なんならこの時点でジャックはまだ生きていた。

一番酷いのはあわよくばターニャにジャックを殺させようと、自分の名前を名乗らせて銃まで持たせていたところ。ターニャへロクに事情を説明せずに行き当たりばったりな計画は無茶振りとしか言いようがない。
あげくにローガンを殺すために車で湖で突っ込むのも、ジャックを殺してくれたことへのお返しにしてはやり過ぎだし、他に理由があったとしても理解し難い。

女性蔑視とアイデンティティの喪失に抗う

ターニャは逃亡生活だからなるべく人との関わを避けたいのだが、一杯やりたくなってちょくちょくバーへ立ち寄る。
そうすると見知らぬ男たちが土足でターニャの領域へ踏み込んでくるのを追い払うことになるのだが、そのやりとりがいちいち愉快。シカゴ駅でのやりとりが最も秀逸だった。

セールスマンは飲み物を注文する前に、最初の質問を繰り出してきた。
「何を読んでるんだい?」
わたしは彼を無視しようとして、盾のように新聞を立てた。彼は咳ばらいをした。
「何を読んでるんだい?」ともう一度言った。
「新聞」
ぶっきらぼうにすれば、相手が合わせるしかない。
「僕の名前はハワード」
「あら、そう」
無視するだけだど、同じセリフを繰り返す男もいるからだ。
<中略>
「近頃の女は、礼儀ってもんを知らないよな」
「そうね、そのとおりよ。ウーマンリブの目標はまさにそれ。男女平等じゃなくて、失礼な態度をとる権利の獲得よ。わたしたちはもう礼儀正しくお話しする必要がなくなった。だから何か他のことで暇をつぶしたら」

ターニャは、ノーラ・グラスとしての身元がバレないよう必要に迫られて名前を偽装し、髪型、髪の色、化粧、瞳の色を変えた。そうして好みの飲み物や服装までしょっちゅう変えている。
さらに泊まるのは安モーテルで、食事は粗末な食事ばかり。バーで落ち着こうにも魅力の薄い男たちから口説かれて落ち着かないし、本当のことはあまり言えないからたいていは嘘をついて過ごすことになるからアイデンティティを喪失しかけている。
相談できるのはブルーとメールでやりとりするライアンくらいだが、人としていまいち信用出来ない。そんな過酷な状況にあるターニャが類まれな精神的なタフさによって問題を解決していく様子がなんともいえない魅力的な女性として描かれていた。


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