明日香03

明日の君と逢うために(感想) _記憶喪失で揺らぐアイデンティティについて

『明日の君と逢うために』はパープルソフトウェアから2007年に発売された作品で、当時の対応OSはWindows2K/XP/Vista。
公式サイトによる作品紹介は以下の通り。

四方を青い海に囲まれた島、御風島。
その中心には、人が近づくことを許さない、深く大きな森が広がっている。
子供の頃、御風島に住んでいた主人公・八代修司。
今は都会で暮らしながら、いつか島へ帰ることを望んでいた彼は、
従姉である御風里佳からの鈴森学園への転入の誘いに、
願ってもない事と、島に戻ることを決める。
久しぶりに訪れた懐かしい場所での小さなハプニングと予想外の再会。
想像していたものとは少し違うけれど、修司の望んでいた光景が、
確かにそこに存在した。
有名な進学校である鈴森学園での学園生活は厳しいけれど、
いつだって明るい笑い声が響いている。
八代修司の新たな日々は、こうして始まり
そして、流れていく時間の中で、彼は一つのことを思い出す…

以下、メインヒロイン若宮明日香の失った記憶(過去)との決着の仕方について言及するがネタバレを含むため、プレイ前の方にはオススメしない。
余談だが、Wikipediaのキャラクター紹介に、ストーリーの進行に重要な意味を持つネタバレを含んでいるのには驚いた。
日常パートが長く、各エンディングに到達するまでのプレイ時間が長いゲームなので、結末の分かっているシナリオを読み続けるというのは地味にキツイ。

明日香02

神隠しにあった明日香と、明日香を失ったことに執着する修司

御風島には稀に神隠しになる人がいることがあって、島民から畏怖されている森がある。この森の奥では神に会うことがあるとも伝えられており、広大な森では携帯の電波も届かない。
本作品では神隠しのことを"向こう"側へ行くと表現しているため以下表現を合わせる。
若宮明日香は鈴森学園2年生。明るい性格で好奇心旺盛、運動神経が良くてルックスも良い。努力をせずとも勉強が出来て常に学年首位の天才である。頭の良さは洞察力にも活かされており勘が良いために相手の考えていることを事前に察知してしまう。また、他人を見下した言動(本人に悪気は無い)が多く上から目線の発言が若干鼻につくが、ストーリーの中心となるヒロインとなっている。明日香は7年前に自らの意志によって"向こう"側へ行っており、1年前に現世へ戻って来たが以前の記憶を失っていた。

食卓

対して主人公の八代 修司は明日香の幼馴染。野球でショートをやっていたこともあり運動神経は良い。しかし編入した鈴森学園の生徒のレベルが全体的に高すぎるために、学園内での修司の学力と運動能力は相対的に低くなってしまっている。7年前に明日香が"向こう"側へ行った時、最後に明日香と一緒に居たのが修司。
自分の息子まで"向こう"側へ連れて行かれることを恐れた修司の両親により東京へ引っ越したが、修司は明日香を失った心の隙間を埋めることが出来ず、明日香と再会するために御風島へ戻ってきたところからストーリーが始まる。また、修司は"向こう"側へ行く前に明日香のことを「あーちゃん」と呼んでいた。

明日香がなぜ"向こう"側へ行き、また帰ってきたのか

明日香は幼いながら神童と呼ばれ、頭が良すぎるが故に両親を含む周囲の人間とのコミュニケーションがうまくいっていなかった。(これは過去の自分の記憶を失った明日香自身の推論として語られる)唯一の理解者はどこへでも一緒に着いて来てくれる修司のみという状況で、周囲から孤立していたことが想像される。また、明日香はそもそもが好奇心旺盛であるために自らの意志で"向こう"側へ行ったとされている。
修司は明日香が"向こう"側へ行った理由を最後まで理解出来ないが、そもそも明日香は天才であり修司は凡人なので、凡人が天才の言うことを理解出来るわけがないのでこれは仕方がない。

また、過去の事例では神隠しに会った人が現世へ戻ってくる場合期間はおよそ2~3年であり、神隠しに会う以前の記憶まで失うことは無いということになっている。ところが明日香の場合は戻ってくるのに6年も経過していたためにその代償として記憶を失って帰って来たと説明されている。

舞ルート01

では、なぜ明日香は現世の"こちら側"へ帰ってきたのか。それは舞ルートで「修司と再会するため」だったと明日香から語られる。しかし、記憶を失っていたために修司と会ったところで「どうしたらいいのか分からない」と明日香は言う。つまり修司と再会したくて帰ってきたのにその思いすら失っているのだ。
そうして舞ルートではすれ違った二人が結ばれることはなく、明日香は再度"向こう"側へ行き、修司は舞と結ばれることになる。このあたりのもどかしさがあるからこそ、舞、明日香それぞれのシナリオが引き立ってくるのがこのストーリーの良いところ。

記憶を失った人間は、失う前の人間と同じ人間と言えるのか

その人の人格が形成される貴重な10代の6年間の記憶を失った人間は「記憶を失う前と後で同じ人間と言えるのか」というのがこのストーリーのテーマとなっており、タイトル通り"明日の君"と逢うために過去との決着が重要なテーマとなってくる。

この構造はライアーソフトの『腐り姫』でも同じようなことが言及されており、記憶喪失の主人公(五樹)について、主人公の義母(簸川芳野)は以下のように言っている。

過去とは、いまの自分を作り上げた、大事な遺産ではないかしら?
人ってね、最初から何もかも持っているわけではないと思う。
たくさんの、良いことや悪いことを経験して、自分を作っていくのよ。
だから、過去を見ないということはいまの自分を否定することになるんじゃないかしら。先のことを決めるために、そういう立ち返る場所が必要になると思わないかしら?
本人にしかできない重要な決断というものは、その人が自分自身をしっかり把握していなければできない。

つまり、過去からの積み重ねによってその人間がつくりあげられるのだから過去はその人をつくりあげたアイデンティティそのものと言ってもよく、物事を判断するための拠り所だというのだ。

自己同一性を求める過去と、これからの未来のどちらかを選択すること

修司は7年間明日香のことを忘れられなかっただけあって、明日香と再会した際に自分のことを憶えていないことに対して多大なショックを受ける。
その後明日香ルートでは、記憶を失った明日香と恋仲になるのだが、記憶の連続性がその人自身を形作っていることに拘る修司は、過去の「あーちゃん」を忘れることが出来ない。
さらにシナリオ後半「あーちゃん」がこの世で具現化したことにより、明日香は過去と決別するか、それとも修司と再会してからの記憶を失い、あーちゃんの記憶と入れ替わるかの選択を求められて葛藤することなる。

明日香

最終的には、明日香との再会を果たした冒頭シーンで「あーちゃん」と呼びかけた修司に対して無意識に涙を流した明日香のことを持ち出し「あーちゃん」と「明日香」の同一性を見出してハッピーエンドになるのだが、つまるところ7年間明日香を想い続けた『修司の気持ち次第』で決着が着くエンディングとなっており散々引っ張っておいてそれですか、という感はある。
それに、もしも修司が「あーちゃん」を選択して、過去の明日香との同一性を疑って現在の明日香を否定するならばさすがに現在の明日香が可哀想だ。

確かに「あーちゃん」は唯一の理解者ともうべき修司を置いて"向こう"側へ行ったことを責められるところはあるが、修司を置いて"あちら"側へ行ったのは幼少の明日香である「あーちゃん」であって現在の「明日香」ではない(ややこしい)。
むしろ記憶を失って周囲に自分の知っている人がいない環境で必死に生きてきた現在の明日香の方にこそ、幸せになって欲しいという行動を修司は取るのべきなのだ。(修司の気持ちの折り合いまで着けるべきとまでは思わない。あくまでも取るべき行動の話)

また、過去に拘らないとどうなるかというやりとりが、舞ルートで友達の七海と修司によって交わされる。

舞ルート04

七海:「人は過去だけじゃ生きていけない」
修司:「過去っていう寄る辺がなきゃ、現在も未来もない」
七海:「それは明日香が自分で取り戻すことで、八代ちんの役割じゃない」
七海:「八代ちんが明日香を気にするのは、わかる。でも、過去にこだわっていた自分を解放してあげてもいいんじゃないかな」

七海に言わせれば、大事なのは今の明日香や、これからの明日香であって過去の明日香にこだわることがそんなにも重要なのか。と言うことだ。

以上のように、このストーリーは、明日香エンドと舞エンドが対になっていると考えると、修司が舞を選択することによって、明日香の過去との連続性を重要視するか否かの決断が強調されることになる。そうして「何かを得る選択をする代わりに、何かを失う」ことになるのだが、自分はこういうところがこのストーリーで最も好きなところ。なぜならば何もかも手に入れて得た幸せに有り難みは少ないのだから。

そういう意味で個人的には、舞エンドこそが過去にこだわって島へ帰ってきた修司にとってのトゥルー・エンドだと思っているし好きなエンドになっている。

画像6


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?