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「ロス男」感想:日々満員電車に揺られて心の削られていく感覚が緩和される本

ロスト・ジェネレーション世代(1970~1982年頃生まれ)の吉井は、フリーランスのライターをやっているが正規雇用の経験は無く、独身で年収が250万程度しかない、常に何かをロス(喪失)したような感覚を持って生き続けており「そろそろ本当の人生を起動したい」と考えている。作中に何度もこの表現が出てくるのだが、そんな吉井が飲み友達と飲み歩いたり、婚活パーティーへ行ったり、アスペルガーの女性に恋をしたりして自分自身に折り合いをつけるまでが描かれている。総論としては、自分自身の境遇と重ねても共感出来る人物がたくさん出てくるというのもあるのだが、重たいテーマを必要以上に暗い雰囲気にしていない良作だと思った。(以下ネタバレアリ)


「希望を抱かぬ者は、失望することもない」バーナード・ショー
冒頭、名言をピックアップする仕事を依頼された吉井の選んだ言葉がこれである。また、吉井による以下セリフが本人の生きづらさを的確に物語っている

無人ATMから出てきたときの、あの寒々しい気持ち。そのあと牛丼屋で食う牛丼のあのまずさ。あれだけは経験した人にしかわからないだろうな

この場合食べる牛丼というのは、一杯350円程度のチェーン系の牛丼屋のカウンターへ独り座って食べる牛丼のことだと思うが、食べ飽きていることもあり無性に腹が減ってるとき以外は大して旨いものでもない。かといって、キャッシングした金で豪遊するわけにも行かずハンバーガーでは腹は満たないし選択肢としては牛丼一択なわけで、それがキャッシングして食べるものとなったら惨めな気持ちも含めて不味さは尚更だろう。また、吉井の周囲には他者との距離感の取り方が下手くそな人が集まってくる。

飲み友達のカンちゃんは70歳を過ぎており、奥さんから別居されているし奥さんは死が目前に迫ってもなお同居を拒まれている。

ヤクザライターの小野は婚活で女性とデートまでは持ち込むも結婚までは出来ない。また、この小野という男はSEを辞めてヤクザライターになったのだがその理由も悲痛だ。

俺がSEをしながら、心の底から欲していたものがわかるか。うまいお世辞。罪のないウソ。気の利いた一言。折れない心。いい距離感を保って軽口が叩ける仲間。尊敬しあえる恋人。ほっと一息つける場所。楽しくて速やかに過ぎていく時間。そうしたものが欲しかった。でも俺には何一つなかった

15歳のコーキ君は筑波大学附属駒場中学(筑駒)に通う秀才でコスパの悪いことには興味が薄く母親との会話を何年も断っている。また、ゲイであることをカミングアウト出来ずに悩んでいる。

アスペルガーの女性漫画家、朝井は母親に先だ立たれてから基本的には5年以上も毎日同じもの(朝はヨーグルトとバナナと紅茶、昼はトースト一枚とホットミルク、夜はタラコパスタにネギと海苔の味噌汁)を食べ続けている。
朝井の場合は少しだけ事情が違っており、一人で生きていくこともまた人生ではないかと母親から以下のように言われている。

もしママがいなくなったあと、いまのままの君が好きだと言ってくれる人がいたら、その人と一緒にいられるように努力しなさい。努力しても好きになれなかったら、諦めなさい。あなたは一人が好き。あなたは一人でも生きていける。本当は全ての人が、最後は一人で生きていかなきゃいけないの。でも普通の人にはそれが難しい。だからママは思うわ。一人が苦にならないあなたの性格こそ、神様がくれた最高のプレゼントじゃないかしらって

つまり、吉井も含めてカンちゃん、コーキ君、小野、朝井と皆コミュニケーションが下手くそで、人との繋がりの薄さにより幸福から見放されたような人たちなのだ。

「幸福って、なんだと思います?」
「いなくなって欲しくない人の名前を、すぐにあげられることじゃないかな」

こんなセリフが作中にあるのだが、吉井による締めくくりが以下の通りだ。

愛する対象を持たぬ後半生は虚しいということだ。人を愛することでしか、自分や世界と和解できないのなら、逆にいえば愛する人ができた瞬間から、本当の人生は何度でも起動するのだ

作品の締めとしては自分が愛する人さえいれば生きていける。と美しく終わっている。どう終わらせるのが納得出来るのかというのは読者の好みでしかないので、自分もこれくらいが丁度良いと思う。
とはいえ、吉井が何度も思う「そろそろ本当の人生を起動したい」という表現について、自分もロスジェネ世代なので近しい思いを感じることがある。

「そろそろ本当の人生を起動したい」というのは、裏返すと「自分はもっと幸せになれる権利がある」という前提からスタートしている。このような発想の根幹にはやはり世代間格差という世の中の状況があるために、自分が不幸なのは自分の努力が足りないからではなく、周囲の環境のせいだと考えてしまうからだ。
カンちゃんはいい加減な男ではあるが、バブルの恩恵を受けていて自宅とは別にマンションを持っているし蓄えもある。吉井の年収は250万だが将来家を1軒だって持てる希望すら持てない。
吉井の世代が社会へ出る頃は就職氷河期というのがあり、まともな正社員になれずにフリーターになったような人間がたくさんいる。正社員として就職出来たとしても、遅くまで残業することになり賃金は高い家賃や光熱費に消えてロクに貯金も出来ないし、低収入だから結婚相手も見つかりづらい。また、一度身体を壊すなどしてドロップアウトしてしまうと再起することは困難で、転職して高待遇になれる可能性は低い。世の中全員が貧していれば気にならないが、高待遇の比較対象がいたりマスコミが煽るので「自分はもっと幸せになれる権利がある」という考えに囚われてしまうのも仕方がないではないか。


少し話しは逸れるが、マイルドヤンキーは勝ち組だという人の文章をどこかで目にしたことがある。田舎で早めに結婚して子どもを生んで、週末はイオンモールやロードサイドの店を家族で過ごすのが幸せだと言うのだ。大学入学や就職を機に都会へ行こうものなら、満員電車に揺られて高い生活費を支払うためだけに最低限の生活を生きていくことになる。そんな生活に嫌気がさして、帰郷したとしても婚期の早い田舎ではロクな結婚相手が残っていないので結婚も出来ない。
マイルドヤンキーにも悩みはあるだろうし、都会にも楽しみはあるだろうが現代の日本において独り身で日々を過ごすのはあまりにも辛い現実があり過ぎるので自分はこのエピソードに共感してしまう。

それでもなお、”お独り様”で生きていかなければならいのであれば自分の中で折り合いをつけるしかない。例え自分の年収が2500万円になったとしても(なったこと無いから分からないけど)自分を他の誰かと比較し続ける限り、心の渇きが満たされることはきっと無いのだから。

つまり「自分はもっと幸せになれる権利がある」ではなく、「生きるっていうことはそもそも辛いもので、良いことなんか本当にたまにしか起こらない」くらいで考えておく方が精神衛生上は良いのだと思う。つまりバーナード・ショーの言葉通りに過度な希望を抱いてはいけないのだ。

また、最後に美味しんぼにも以下のようなフレーズがある。

いいかい、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ

まさにその通りだな。と思うがしかし、歳を取ると油ものを食べたいと思わなくなるからトンカツすら食べたく無くなるんだよな。なので自分の場合は「スーパーで値引き前の刺し身を食えるくらい」かな。

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