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アメリカは歌う(感想:1)_個人主義で荒々しいが、大衆的で情緒的な人びとに愛されてきた歌詞

「アメリカは歌う」は、東 理夫による著作で初版は2010年2月26日。
本書ではまだ録音技術の無いような時代から歌い継がれてきた、カントリー・ミュージックの歌詞に焦点をあてることで、差別を受けるの人々の抱えるルーツや社会課題について掘り下げられている。
自分は紹介されている曲のほぼ全てを聴いたことが無かったのだが、歌詞そのものの魅力だけではなく、その曲の生まれた背景が丁寧に深堀りされておりアメリカ入植者のルーツが学べたりと歌詞の持つ意味が様々な角度で考察されているため、曲を知らなくても充分に楽しめる内容となっている。

本書は4章に分けられており、各章のタイトルは以下の通り。

第1章 ジョン・ヘンリーと悲しみのナンバーナイン
第2章 アパラチア生まれのマーダーバラッド
第3章 北行きの列車に乗りたい
第4章 ドアマットからの脱出

今回はアパラチア山脈の僻地、「アパラチア・バックカントリー」と呼ばれる地域で歌い継がれてきたマーダー・バラッド(第2章)についての感想などを。
なお、本書は2019年にコンプリート版も出版されているのだがそちらは未読。

アパラチア・バックカントリーへ移住した人々

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アメリカ大陸へ入植したネーションは11に分断されるという話もあるが、本書の第2章では17世紀以降に入植したイギリス人を4つの波に分けて解説している。

第一の波は、1629年~40年にかけて経済不振や伝染病の流行から追われた市民と英国教会から迫害されてきた清教徒(ピューリタン)たち。このひと人たちは教育熱心で、やがて東部の大学群アイビー・リーグを生むことになる(YANKEEDOM)

第二の波は、クロムウェルによる清教徒革命のはじまりに追われてきた王党派。長子相続制度の下で土地の分配に与れなかった者たちが、広大な土地を支配して植民地経営の実権を握り、エリート支配層と労働者階級の文化を南部ヴァージニアでつくっていく。(TIDEWATER)

第三の波は、クエーカー教徒の一団。寛容な精神により人間は平等であるべきという考えによる人々で、ウィリアム・ペンによって率いられ入植先は北のニューイングランド地方と南のヴァージニア地方との中間、ペンシルヴァニア、北メリーランド、北デラウェア、そしてニュージャージーなど。(THE MIDLANDS)

そして、第四の波は、イングランドとスコットランドの「国境」に住んでいた人びと。麻の値段の暴落によって不況に弾き飛ばされるようにして入植してきた。(GREATER APPALACHIA)

アメリカに着いたものの、海岸寄りの土地、ペンシルヴァニアやヴァージニアやキャロライナは、すでに先着のイングランド系の移民たちで溢れていた上に土地が高騰していて、貧しい彼らには手に入れることは出来なかった。
当初、フィラデルフィアとニューキャッスルに入っていったが、彼ら特有の貧しさと後進性、粗雑さや居丈高な物腰、スコットランドやアイルランドから持ってきたウイスキーを手放すことのない生活振りや、女性たちの身体に張り付くような衣服といい、その反抗的でルールに従おうとしないマナーがペンシルヴァニアのクエーカーたちには我慢ならないものだった。

彼らは本国ではイングランドとの戦闘に明け暮れていたためか気性が荒く、先に入植していた人びととの折り合いが悪かった。そのためクエーカーに追いやられるように、アパラチア山脈の僻地「アパラチア・バックカントリー」と呼ばれる土地へと入っていった。
アパラチアに住む人びとは粗野だがカントリーミュージックを愛する人が多く、大衆主義的で家族を大事にし情緒的だという。

アパラチア・バックカントリーで歌い継がれてきたマーダー・バラッド

カントリー・ミュージックに「オハイオ川の岸辺」という恋人の若い娘を殺す男の歌があるがカントリー・ミュージックでは、他にも様々な殺人をテーマにした曲(マーダー・バラッド)があるという。

「オハイオ川の岸辺」の歌詞は、男が結婚の相談をしようと娘を連れ出したが断られたのでナイフを刺して川へ流したというもの。なお曲調はとても牧歌的でとても殺人をテーマにして歌われているようには聴こえない。
本書では他の似たような他のマーダー・バラッドの歌詞を列挙して、少し不気味な殺人がテーマであるにも関わらず、なぜこのような歌が歌い継がれてきたのかの考察が書かれている。

政府と戦いながらも密造酒を造ることでその存在感を増してきたのが、このアパラチア地方のスコッチ・アイリッシュだった。この地域がマーダー・バラッドという特異な分野の音楽を生み、育て、歌い継いでいる大きな理由は、まず彼らの耐えざる戦いの中で育まれた暴力的傾向があげられる。そして教育機関の不足。閉鎖的で外に目が向かない性向も大きく影響しているだろう。彼らの価値観を形成しているのは社会の規範ではなく、家であり、血族であり、個人中心の思想だ。この地域では戦力としての男が主であり、それを補佐する女性はあくまでも二義的な存在であった。こうした考え方は、祖国のボーダー地帯で長いあいだ培われたものだったのである。
<中略>
もし自分たちの社会に、こうした残虐なる伝統が否応なく刻印されており、逃れることができないのであれば、逆にそれを歌うことで現実の殺人を予防しようとしたのではないかというところに行きあたる。多くの歌い手たちが、マーダー・バラッドを母親から教わったという事実もまた、このことを裏づけているように思えてならない

また、女性蔑視(ミソジニー)の影響についても言及されており、男を誘う女が悪であるという女性嫌悪的文化の中で生きていることも関係しているともある。

カントリー・ミュージックにグレートブリテン島時代からの民族的なルーツを紐付け、歌詞の持つ意味をここまで掘り下げられるということが興味深く感心してしまった。

歌の歌詞を恋愛や生死をテーマにすればドラマチックになり、現実とは違う世界を想像することが出来るし追体験するができる。だから普段通りの平凡な日常を歌っても多くの人びとの共感を得ることは難しい。しかし、人びとの共感を得るためだけに殺人をテーマにしているわけではないという。
つまり女性の地位が現代よりも更に低かった時代、「二人の若い男女が周囲に誰もいない状況で、女の方から別れ話をしたら殺されることだってある」という戒めの意味があるのだ。それは、イングランドとの戦争に明け暮れた歴史や女性蔑視の文化など民族的なルーツとは無関係では無いということだ。

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余談だがカントリー・ミュージックの大物ケニー・ロジャースやロレッタ・リンなどにトランプ支持者が多く、前回の大統領選挙では有利に動いていた。
アパラチアの人びとは、シリコンバレーやニューヨークなどの日本人が想像しやすい繁栄とは別世界に生きており、「忘れ去られている白人」ともいわれる。
前回の選挙ではヒラリー・クリントンがトランプの支持者層を侮辱したことも影響するのだろうが、今回の選挙ではは果たしてどうだろうか。

アメリカは歌う


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