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禅僧のつぶやき

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備忘録
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#仏教

違う言葉を使っているからって、違う話をしているとは限らない。
違う話をしているからといって、中身が違うとは限らない。

大慈寰中説得一丈話
「一丈を説くことは一尺を行うことには及ばない。一尺を説くことは一寸を行うことには及ばない。」※百寸=十尺=一丈

これは行が是、説が不是というのではない。
説くより行う方が学ぶことは多い。
しかし種(一寸)には種の、木(一丈)には木の学びがある。

「師勝資強」
師は師匠。資は弟子。勝はすぐれている。強はしっかりしている。

たとえ師が劣ろうとも弟子がしっかりしているのであれば、そういう弟子を見出した師はすぐれている。弟子が腑抜けても師がすぐれていれば、そういう師の弟子はしっかりせざるを得ない。

師弟はつながり独立する。

悟に迷う。
迷を悟る。

どちらも迷悟あるのは同じ。

世の中にはたくさんの答えがある。
その中から自分に最善の答えを得ようと手を伸ばし、選択する。

でもそれが最善の答えだなんて、どうして分かるのだろうか?
自分に問うことを抜きにして。

答えだけ選ぼうとするから迷ってしまう。
自分の問いから見つめていけば、自ずと答えは見えてくる。

常識は時代や場所によって変わるけど、当たり前のことはいつの時代でも当たり前。2500年前と現代でも当たり前がある。

仏の語源は「目覚めた人」という意味らしい。 人は目が覚める時、どうなってる?  目が開いている。 目を開いたらどうなる?  見える。 何が見える? 目の前の事実が、現実が、自分が、周りが、色々と見えるのだ。 I see! I know...なんて口にするもんじゃないな。

世の中は形で溢れている。物も情報も答えも何もかも、たくさんの形が用意されている。しかし、本当に大事な事は形にはない。大事をそのまんま丸ごと、形にすることはできないからだ。
でも大事を伝えたいから、私達は表現し、形にしようとするのだ。矛盾するが、そんな形から私は大事を教えてもらう。

大事なことは、点と点で考えずに、線や面で見るように心がけなさい。立体に見るよう心がけなさい。隙間なく見るよう心がけなさい。

隙間なく見るにはどうしたらいいのさ?

あれ? 私達はすでに、隙間ない世界を生きているじゃないか。
https://zenessay.kosonji.com/buddhist-talk-17

「教える」ことは「教わる」ということ。

人に教えることで、自分は想像以上に学んでいる。
人と話している中で、新たな自分の一面に気づく。

一人では決してできない。学道とはまさしく自利利他の行だ。

先入観は目を曇らせる。
なぜなら、目を使っていないから。

観は、見える。
先入観は思い込み。

目から見えるのであって、
頭から見るのではない。

※こちらのnoteはブログ記事にしました。
https://zenessay.kosonji.com/itadakimasu

1、功の多少を計り彼の来処を量る。
それが、どれほどの労力を尽くして成されたものであるかを考え、どこからどのようにしてやってきてここにあるのかを考える。