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医師になる予感

70 医師になるかもしれない

 私が医学部に入学するときに誰が私が医者になると思っただろうか?多分私以外のひとはみなそう思ったはずだ。私は、身体のしくみ・構造を学びながら、その他の興味のある分野について探っていこうと思っていた。実際にその通りにここまで来た。医師という職業への問い、医行為への疑問、多職種との比較をする4年半だった。それは、今も続いているが、1年次と比べて、自分の中で整理されて、より詳細な問いが生じ、思考するようになった。

1年次には地域をフィールドとして活躍するという考え方に出会い、景色が開けた。従来私が持っていた、人は学校やビルなど「一つの建物」の中で仕事をするものであるという概念が壊された。愉快に地域で楽しむ大人たちの姿が私には初めて出会うもので、新鮮で刺激的だった。初めてのアルバイトを始めて、社会構造を学び、それが意外と解釈の幅があり曖昧性を内包していることを知った。

2年次には念願の肉眼解剖学の講義があり、それに没頭して暮らした。和食小料理店や結婚式場に勤めるようになり、サービス業に興味を持つようになる。お客様にとってどのような振る舞いが好ましいのか、を日々問いながらサービスをした。1年次のゼミの先生のすゝめでインクルーシブ野外教育について学んだ。多様性とは何か?合理的配慮とは何か?「あたりまえ」を揺るがされる体験だった。季節の変化に追いつけず、大学のストレスに耐えられず、パニック障害が悪化、冬、大学に行けなくなった。

3年次、自分の企画を初めてたてた。一方で体調面から大学を休学した。その間に、興味のあった、サービス業・旅館業で居候をしながらそれを体験した。作法以上に心づかいが大事だと学んだ。華やかであるが、毎日続けていくことにはとても努力があることを知った。ほかにも様々な職業を見る。町役場や製造会社、酒蔵など様々な職業を体験した。

復学した2度目の3年次、私は大学の韓国語サロンに毎週通うようになっていた。韓国人の親友も何人かできて、韓国の文化に染まっていった。さらに日本の文化をより深く知るようになっていく。前期が終わって、3週間の夏休みを韓国の短期留学に費やした。後期には、イスラエル・パレスチナ問題に関心を持ち、世界情勢や社会問題についてアンテナを持つようになった。哲学対話を友人と始めた。一方で医学部では総合試験に2つ引っかかった。

4年次、韓国の文化を学び、友人たちと交流する中で、日韓の歴史や韓国と日本の違いに興味を持ち、それらを学ぶべく、令和6年度日本韓国青年親善交流事業の日本代表青年に名乗りを上げ、選抜された。TOPIK5級を取得した。シェア本棚を開始した。対話することや表現することについて模索する。CBTとOSCEを受験する。OSCEの練習、特に医療面接の練習や臨床推論を通して、医師になるのだという実感を得た。

将来に対して確実にありたいという像を持たず、流れるように生きる私は、決意ではなく、ただ自分が医師になるのだと感じる。それならば良い医師になりたい。良い医師とはなんだろう?私は医学を最低限にしか修めてこなかった。病を説明することもできない。治療もできない。知識もない。CBTに受かってしまってよかったのだろうか?不安ばかりで後輩に勉強の仕方を教わりながら学ぶ。願わくは海外の医療を今のうちにみておきたい。全く話せない英語を続ける努力ができるだろうか?どうやって勉強していけばいいのだろうか?

私はどうやら、医師になるようだ。

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